今日は卒論の発表、そして最後の登校日だった。
4年間の最後を、こうして自分の手で作り上げた卒論という形で締めくくることができて満足だ。
私の大学はそこまで忙しい訳ではないが、学問においても、やりきれてよかった。
この卒論は私に多くを教えてくれると共に、完成に至るまでこの4年という指導の時間は貴重だった。
そんな意味では、この論文はバスケットボールを通じて関わってくれた全ての人と共に作り上げたものなのだと思う。
そう思うと、やっぱり人と関わるって素晴らしいね。
無事大学生活を終えることができて、それを指導と両立できたこと、あらためて自分を少しだけ褒めたい。
特に大3.4年は完全にのめり込んでしまった。
遊ぶことなどとうに忘れて、人生の全てを捧げるような気で取り組めて…
それでも、自分のやるべきことは見失わないでいれたのも、子供達の存在のおかげだ。
子供達のためにコーチを全力で取り組んでいたから、学問が疎かになりました、就活何もやってません。
俺としては、そこを見失った時、子供達に合わせる顔がない。
指導者である以前に、大学生として、そして1人の人間として、まずは自分に軸を置かなければならない。
それが、「鑑としてあれるか」だと思う。
もし俺が大学生活を疎かにしてコーチでいるなら、得られる知見は1つ。
「バスケに没頭して勉強をやらないのは、仕方ないことだ」
悪い鑑となるか、良い鑑となるか…
私はいつでも、後者でありたい。
勉強は得意ではない。
というか、自分に得意なものは大してない。
ただ1つ言えることは、やるべきことはやりきる人間であって、「できない」なら「できる」までやり続けられる人間でありたい。
今ここで俺は1つやり切ったが、これからがその本番だと思う。
社会に出れば自分の無力を知り、存在が否定され、自分への価値が見出せなくなる日はきっと来る。
そんな絶望があったとしても、一歩踏み出す勇気は常に持ち続けていたい。
それが、これからするであろう彼らとの最後の約束。
君たちも俺も、世界は違えど同じように自分自身の弱さと戦っている。
俺も頑張るから、君たちも頑張れ。
例え辛い時があっても、「君たちもどこかで頑張っている」そう思うことだけが、俺を動かす力になると。
そしてまた会う日には、それぞれが成長した姿を見せ合うのだと…