ROCKSTARS

all about my favorite Rocks.

ゴッズ

2022-10-21 19:44:28 | band

ゴッズ The Gods


活動期間
  1965~1969(1967年以降が正式なGodsの活動期間)


メンバー
 <keyboard>

  ケン・ヘンズレー/Ken Hensley(vocal, keyboards, guitar)在籍1965~1969
 <guitar>
  ミック・テイラー/Mick Taylor(guitar)在籍1965~1967
  ジョン・コーナス/John Konas(guitar, vocal)在籍1965~1969
  アラン・シャクロック/Alan Shacklock(guitar)在籍1969
 <bass>
  ジョン・グラスコック/John Glascock(bass, vocal)在籍1965~1967、1968~1969
  ポール・ニュートン/Paul Newton(bass)在籍1967
  グレッグ・レイク/Greg Lake(bass, vocal)在籍1967~1968
 <drums>
  ブライアン・グラスコック/Brian Glascock(drums)在籍1965~1967
  リー・カースレイク/Lee Kerslake(drums)在籍1967~1969


 
 「ゴッズ」(The Gods)は、サイケデリックやプログレッシヴな要素を持っていたイギリスのロック・バンドである。
 ミック・テイラー(のちローリング・ストーンズ)、グレッグ・レイク(のちキング・クリムゾン、EL&P)、ケン・ヘンズレー(のちユーライア・ヒープ)などが在籍したことでも知られる。

 ハットフィールドの学友だったミック・テイラー、ブライアン・グラスコック、ジョン・グラスコックの3人は、アラン・シャクロック(guitar)とマルコム・コリンズ(vocal)を加え、1962年に「ストレンジャーズ」(The Strangers)を結成。のち「ジュニアーズ」(The Juniors)と改名する。
 彼らはEMI/コロムビア・レコードと契約し、1964年8月に唯一のシングル『There's A Pretty Girl』を発表したが、1965年にコリンズとテイラーが脱退。
 ヴォーカルにブライアン・レッドモッドを補充したジュニアーズは、1965年に「ハイ・ナンバーズ」(The Hi Numbers)に、さらに1966年には「フェイヴァリット・サンズ」(The Favourite Sons)に改名。
 フェイヴァリット・サンズは1966年に解散、その後グラスコック兄弟はミック・テイラーと再び合流、そこにロンドンで交流が生まれたケン・ヘンズレー(organ, vocal)が加わり、「ゴッズ」(The Gods)が結成された。

     

 1966年、ゴッズはロンドンのウェンブリーにあるスターライト・ボールルームでのクリームのライヴでオープニング・アクトを務めている。翌67年6月には、ポリドールからデビュー・シングル『Come On Down To My Boat Baby』をリリースした。このレコーディングが終了した後の1967年5月、ミック・テイラーがピーター・グリーンの後任としてジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズに参加するためにゴッズを脱退した。

 1967年6月にはベースがジョン・グラスコックからポール・ニュートンに交替。同年9月には、ミック・テイラーの代わりにジョー・コーナス(guitar, vocal)が加入。またこの年にはリー・カースレイク(drums)もバンドに加入している。

 1968年、ポール・ニュートンに代わって新たに元ザ・シェイムのグレッグ・レイク(bass, vocal)が参加したが、同年9月には「シャイ・リムス」へ参加(その後「キング・クリムゾン」に参加)するために脱退、後任としてジョン・グラスコックが復帰した。
 ゴッズはこの時のメンバー(ケン・ヘンズレー、ジョー・コーナス、ジョン・グラスコック、リー・カースレイク)で、1968年にデビュー・アルバム『ジェネシス』を発表した。

 1969年、ジュニアーズ~ハイ・ナンバーズ~フェイヴァリット・サンズ時代にバンド・メイトだったアラン・シャクロック(Alan Shacklock Guitar)がサポート・メンバーとしてステージを共にする。この年2月には、ビートルズの『ヘイ・ブルドック』をカヴァー・シングルとして発表しているが、これがゴッズの最も知られた曲であろう。
 ゴッズは、一部では「ロンドンのマーキー・クラブにおけるローリング・ストーンズの後継者」と言われての声もあったが、セカンド・アルバム『To Samuel A Son』録音後の同年3月には解散した。
 解散時のメンバーは、ケン・ヘンズレー、ジョー・コーナス、ジョン・グラスコック、リー・カースレイクである。
 この後ヘンズレーとグラスコックはクリフ・ベネット(vocal 元レベル・ラウザーズ)・バンドに参加するが、時を経ずしてコーナスとカースレイクも合流し、バンドは「トー・ファット」(Toe Fat)に発展する。

     

 解散後の同年5月にはシングル『マリア』を発表。これはミュージカル『ウエスト・サイド物語』で使われた曲である。
 1970年1月には1969年に録音したアルバム『To Samuel A Son』をリリース。
 この1970年、ゴッズ解散時のメンバーの4人(ケン・ヘンズレー、ジョー・コーナス、ジョン・グラスコック、リー・カースレイク)は「Head Machine」の変名でアルバム『Orgasm』を発表している。


ディスコグラフィ

 <アルバム>
  1968年 ジェネシス/Genesis
  1970年 トゥ・サミュエル・ア・サン/To Samuel a Son
  1970年 Orgasm ※「Head Machine」名義

 <シングル>
  1967年 Come On Down to My Boat Baby
  1968年 Garage Man
  1968年 Baby's Rich
  1969年 ヘイ・ブルドッグ/Hey Bulldog
  1969年 Maria(from West Side Story)


【メンバー変遷】

#1 1965~1967(#2以降が正式なGodsの活動期間)
  ケン・ヘンズレー(vocal, keyboard, guitar)
  ミック・テイラー(guitar)→ John Mayall & Bluesbreakers
  ジョン・グラスコック(bass, vocal)→ #4
  ブライアン・グラスコック(drums)→ Octopus、Toe Fat

#2 1967~1968
  ケン・ヘンズレー(vocal, keyboard, guitar)
  ジョー・コーナス(guitar, vocal)
  ポール・ニュートン(bass)→ Spice
  リー・カースレイク(drums)

#3 1968
  ケン・ヘンズレー(vocal, keyboard, guitar)
  ジョー・コーナス(guitar, vocal)
  グレッグ・レイク(bass)→ Shy Limbs
  リー・カースレイク(drums)

#4 1968~1969
  ケン・ヘンズレー(vocal, keyboard, guitar)→ Cliff Bennett Band~Toe Fat
  ジョー・コーナス(guitar, vocal)→ Toe Fat
  ジョン・グラスコック(bass)→ Cliff Bennett Band~Toe Fat
  リー・カースレイク(drums)→ Toe Fat
  アラン・シャクロック(guitar support member)


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スウィート

2022-10-19 00:28:32 | band

スウィート Sweet


【活動期間】
   1968~1981
    ザ・スウィートショップ/The Sweetshop(1968)
    ザ・スウィート/The Sweet(1968~1973)
    スウィート/Sweet(1973~1981)

【メンバー】
  ブライアン・コノリー/Brian Connolly(vocal 在籍1968~1978)
  アンディ・スコット/Andy Scott(guitar, keyboard, vocal 在籍1970~1981)
  スティーヴ・プリースト/Steve Priest(bass, harmonica, vocal 在籍1968~1981)
  ミック・タッカー/Mick Tucker(drums, vocal 在籍1968~1981)
  フランク・トーピー/Frank Torpey(guitar 在籍1968~1969)
  ミック・スチュワート/Mick Stewart(guitar 在籍1969~1970)
    
   
 スウィートはイギリスのロック・バンドである。
 もともとはティーンエイジャー向けのバンドだったが、1970年代からハード・ロック・サウンドにシフトした。
 現在まで、世界中で3500万枚以上のレコード・セールスを記録している。

 1965年、ミック・タッカーは、ウエスト・ロンドンで活動していた7人組のソウル・バンド「ウェインライツ・ジェントルメン」(Wainwright's Gentlemen)に、フィル・ケントンの後任ドラマーとして加入。この当時のウェインライツ・ジェントルメンのヴォーカリストは、のちディープ・パープルのメンバーとなるイアン・ギランであった。ギランは1965年5月まで在籍した。
 1966年になると、ブライアン・コノリー(vocal)がバンドに加入する。
 コノリーとタッカーは1968年1月までウェインライツ・ジェントルメンに在籍していたが、バンド・メイトだったフランク・トーピー(Frank Torpey guitar)とともにバンドを脱退し、「スウィートショップ」(Sweetshop)を結成。そしてすぐにスティーヴ・プリースト(bass 元ジ・アーミー)をメンバーに加えた。

 1968年3月、スウィートショップはデビューを果たす。
 数ヵ月後にはバンド名を「ザ・スウィート」と改め、同年7月にはフォンタナ・レーベルからフィル・ウエインマンのプロデュースでデビュー・シングル『スロー・モーション』をリリースしたが、全く話題にならなかった。
 1969年にはトーピーが脱退、同年7月にミック・スチュワート(guitar)が加入。
 その後パーロフォン・レーベルに移籍して3枚のシングル・レコード『Lollipop Man』(1969年9月)、『All You'll Ever Get from Me』(1970年1月)、『Get on the Line』(1970年6月)をリリースしたが、いずれもチャートに登場することはなかった。
 1970年8月、スチュワートが脱退してJohnny Kidd & The Piratesに加入すると、オーディションによって元エラスティック・バンドのアンディ・スコットが後任に選ばれた。これがバンドにとって大きな転機となる。
 まずは、スージー・クアトロへ数々のヒット曲を提供したことで有名なマイク・チャップマン & ニッキー・チンのコンポーザー・チームがマネージメント、作詞作曲を担当することになる。マイクとニッキーはRCAと契約を交わし、プロデューサーに改めてフィル・ウエインマンを起用。この態勢で翌71年にリリースした『ファニー・ファニー』は、全英13位、オランダとスウェーデンでは1位を記録、スウィートにとっての初ヒットとなった。ようやくブレイクの兆しが見えるようになったわけである。

     

 この後、『ヘル・レイザー』『ボールルーム・ブリッツ』『ティーンエイジ・ラムペイジ』など全英トップ10ヒットを連発。1973年にリリースした『ブロック・バスター』はバンド初の全英1位となっている。ヨーロッパ諸国でも人気は上昇、ドイツ、オーストリア、オランダ、ノルウェーなどで好調なセールスを記録する。またアメリカでは1972年にリリースした『リトル・ウィリー』が3位の大ヒットを記録してミリオン・セラーとなったほか、1973年の『ボールルーム・ブリッツ』が5位を記録しており、スウィートはティーンエイジャー向けのバブルガム・サウンドと、グラム・ロックの魅力を併せ持ったバンドとして、一躍人気を得た。
 1973年、バンド名を「ザ・スウィート」から「スウィート」に変更。
 1974年に発表したセカンド・アルバム『スウィート・ファニー・アダムス』は、多忙だったチン&チャップマンがあまり制作に関わることができなかったため、バンド自らがほとんどの曲を制作している。このアルバムは全英チャート27位(ドイツ2位、スウェーデン4位)のヒットとなったが、これは彼らのオリジナル・アルバムとしては唯一の全英トップ40アルバムである。
 この年にはアメリカ編集アルバム『荒廃の街角』(Desolation Boulevard)も発表したが、これは全米アルバムチャートで25位まで上昇してスウィート唯一のゴールド・アルバムを獲得、ブレイクの足掛かりをつかんだ。
 同年6月には、チャールトン・フットボール場でピート・タウンゼント(ザ・フー)のサポートを務めている。

     

 しかしスウィートの成功の陰で、バンドとチャップマン & チンとの関係は緊張度が高まっていた。
 スウィートは、バブルガム・サウンドのイメージとティーンエイジャー向けのアイドル・バンド的な評価に満足していなかったうえに、チャップマン & チンによるコントロールに対して徐々に不満を募らせるようになっていたからである。
 スウィートは、自分たちの手で音楽を制作をしようと決意し、よりハードなサウンドへのシフトを試みる。そして1975年に発表したシングルが、メンバー4人で共作した『フォックス・オン・ザ・ラン』であった。これが全英2位、全米5位、ドイツとオーストリアでは1位となる大ヒットを記録、『リトル・ウィリー』以来のミリオン・セラーとなった。
 続いてリリースしたシングル『アクション』も4人の共作で、シングル・チャートは全英15位、全米20位まで上昇した。この曲はのちに「デフ・レパード」もカヴァーした、スピード感あふれるスリリングなハード・ロック・ナンバーである。
 この成功により自信をつけた彼らは、チン&チャップマンと決別し、翌76年には初めて全曲4人の共作によるオリジナルで構成したアルバム『甘い誘惑』(全米27位)を発表した。
 ルックスもよく、メロディーを重視したポップなハード・ロック・バンドとして認められたスウィートは、1970年代半ばが全盛期であり、ピート・タウンゼントからも絶賛されていた。とくに日本では一時クイーンのライバルと見られていたほどだった。 

     

 順調に見えたスウィートの勢いに陰りが見えたのは1977年である。
 アルバム『Off the Record』は、以前から人気の高かったドイツではチャート11位を記録したが、アメリカでは前作『甘い誘惑』の27位から151位へ急落。
 シングル・レコードも、ヨーロッパ各国ではスマッシュ・ヒットしていたが、本国イギリスやアメリカでは低迷が続く。
 この年、RCAからポリドールに移籍したスウィートは、サウンドをハード・ロックからメロディックなポップス寄りにシフトする。こうして1978年1月に移籍後の初アルバム『Level Headed』を発表。ここからシングル・カットした『愛が命』が、イギリス9位、アメリカ8位と久々にヒット、持ち直したかに見えた。しかし、これが最後の全英チャートトップ100シングルとなったのである。
 1978年11月には、健康上の理由もあって、フロントマンのブライアン・コノリーが脱退(発表されたのは1979年2月)、ソロ活動を開始する。
 残った3人はスウィートとしての活動を継続。ベーシストのプリーストがリード・ヴォーカルを兼ね、ゲストとしてキーボード奏者のゲイリー・モバーリー(Gary Moberley)を加えて、シングル『コール・ミー』をリリース。
 1979年にジャーニーやチープ・トリックと行ったアメリカ・ツアーにはギタリストのRay McRinerが参加するなど再浮上に向けて模索していた矢先の同年12月26日、ミック・タッカーのポーリーン夫人が自宅浴室で死亡。この悲劇が理由となって、スウィートは1980年の全てのツアーをキャンセルした。が、再び浮上することはなく、1981年に解散した。
 1980年から81年にかけて、スウィートはアルバム『Identity Crisis』をレコーディングしたものの、西ドイツとメキシコで発売されただけだった。
 その後スウィートはイギリスでの短いツアーののち、1981年3月20日にグラスゴー大学で最後のライヴを行い、同年ついに解散したのである。

 1984年、ブライアン・コノリーが全く新しいメンバーでスウィートを再結成、1996年12月まで活動した。
 1985年、スウィートの代表曲をメドレーにしたダンス・シングル『イッツ・ザ・スウィート・ミックス』がリリースされ、全英45位にランクされた。これをきっかけにアンディ・スコット(guitar)とミック・タッカー(drums)は、元アイアン・メイデンのポール・マリオ・デイ(vocal)、元グラン・プリのフィル・ランゾン(keyboard)、マル・マクナルティ(bass)を加えてスウィートを再結成した。
 2008年1月には、スティーヴ・プリースト(bass)がロサンゼルスを拠点に「スティーヴ・プリースツ・スウィート」(Steve Priest's Sweet)を結成。

     


【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)

 <アルバム>
  1971年 Funny Funny, How Sweet Co-Co Can Be(フィンランド1位)
 ★1972年 The Sweet's Biggest Hits(フィンランド3位)
 ★1973年 ブロックバスター/The Sweet(US191位)
  1974年 スイート・ファニー・アダムス/Sweet Fanny Adams(UK27位 ドイツ2位 スウェーデン4位 オーストリア6位 フィンランド9位)
  1975年 荒廃の街角(旧邦題:危険なブールヴァード)/Desolation Boulevard(US25位 スウェーデン2位 カナダ5位 フィンランド9位 ドイツ9位)
☆★1975年 ライヴ・アンド・ベスト/Strung Up(スウェーデン4位 オーストリア10位 オーストラリア10位)
  1976年 甘い誘惑/Give Us A Wink(US27位 スウェーデン3位 ドイツ9位)
  1977年 明日なき青春/Off The Record(US151位 オーストリア5位)
  1977年 The Golden Greats
  1978年 甘い罠/Level Headed(US52位)
  1979年 標的/Cut Above The Rest(US151位)
  1980年 Water Edge
  1982年 Identity Crisis

 <シングル>
  1968年 スロー・モーション/Slow Motion
  1969年 The Lollipop Man
  1970年 All You'll Ever Get from Me
  1970年 Get on the Line
  1971年 ファニー・ファニー/Funny Funny(UK13位 オランダ1位 スウェーデン1位 ノルウェイ2位 ドイツ5位 アイルランド7位)
  1971年 コ・コ/Co-Co(UK2位 US99位 ドイツ1位 ノルウェイ2位 スウェーデン2位 オランダ,3位 アイルランド3位)
  1971年 アレキサンダー・グラハム・ベル/Alexander Graham Bell(UK33位)
  1972年 ポパ・ジョー/Poppa Joe(UK11位 オランダ1位 ノルウェイ2位 スウェーデン2位 ドイツ3位)
  1972年 リトル・ウィリー/Little Willy(UK4位 US3位 カナダ1位 ドイツ1位 オランダ6位 ノルウェイ7位 アイルランド9位)
  1972年 ウィグワム・バム/Wig-Wam Bam(UK4位 ドイツ1位 アイルランド4位 オーストリア5位 オランダ6位 ノルウェイ6位)
  1973年 ブロック・バスター/Block Buster!(UK1位 US73位 オーストリア1位 ドイツ1位 アイルランド1位 オランダ1位 ノルウェイ3位)
  1973年 I'm on My Way
  1973年 ヘル・レイザー/Hell Raiser(UK2位 ドイツ1位 アイルランド2位 オランダ4位 オーストリア4位 ノルウェイ5位)
  1973年 It's Lonely Out There
  1973年 ロックン・ロールに恋狂い/Ballroom Blitz(UK2位 US5位 カナダ1位 ドイツ1位 アイルランド1位 オーストラリア1位 オランダ2位 ノルウェイ2位 スウェーデン3位 オーストリア5位)
  1974年 ティーンエイジ狂騒曲/Teenage Rampage(UK2位 ドイツ1位 アイルランド1位 ノルウェイ2位 スウェーデン7位 オーストラリア10位)
  1974年 初恋の16才/The Six Teens(UK9位 ドイツ4位 ノルウェイ7位 オーストリア9位 オランダ10位)
  1974年 Turn It Down(UK41位 ドイツ4位 ノルウェイ4位 スウェーデン10位)
  1974年 ペパーミント・ツイスト/Peppermint Twist(オーストラリア1位)
  1975年 フォックス・オン・ザ・ラン/Fox on the Run(UK2位 US5位 ドイツ1位 オーストラリア1位 カナダ2位 アイルランド2位 オランダ2位 ノルウェイ2位 オーストリア3位 スウェーデン6位)
  1975年 アクション/Action(UK15位 US20位 ドイツ2位 ノルウェイ2位 スウェーデン2位 オーストリア3位 オーストラリア4位 カナダ5位 オランダ5位 アイルランド7位)
  1976年 恋はだましあい/The Lies in Your Eyes(UK35位 ドイツ5位 スウェーデン6位 オランダ9位)
  1976年 7月4日/4th of July
  1976年 ロスト・エンジェル/Lost Angels(スウェーデン5位)
  1977年 愛の炎/Fever of Love(スウェーデン7位 ドイツ9位)
  1977年 Stairway to the Stars(ドイツ15位)
  1977年 ファンクでいこう/Funk It Up(David's Song)(US88位)
  1978年 愛が命/Love Is Like Oxygen(UK9位 US8位 カナダ8位 アイルランド8位 オーストラリア9位 ドイツ10位)
  1978年 カリフォルニア・ナイツ/California Nights(US76位)
  1979年 コール・ミー/Call Me(ドイツ29位)
  1979年 マザー・アース/Mother Earth
  1979年 ビッグ・アップル・ワルツ/Big Apple Waltz
  1980年 Give the Lady Some Respect
  1980年 Sixties Man
  1982年 Falling in Love
  1984年 It's It's…The Sweet Mix(UK45位)
  1985年 Sweet 2th - The Wigwam Willy Mix(UK85位)
  


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スプーキー・トゥース

2022-10-07 16:07:57 | band

スプーキー・トゥース Spooky Tooth


【活動期間】
  ①1967~1970
  ②1972~1974
  ③1998~1999
  ④2004
  ⑤2008~2009


【メンバー】
  ①1967~1974
   マイク・ハリソン/Mike Harrison(vocal, keyboards)在籍1967~1970
   ゲイリー・ライト/Gary Wright(vocal, keyboards)在籍1967~1970
   クリス・ステイントン/Chris Stainton(keyboard, guitar, bass)在籍1970
   ジョン・ホウケン/John Hawken(keyboards)在籍1970
   ルーサー・グロヴナー/Luther Grosvenor(guitar)在籍1967~1970
   ヘンリー・マッカロー/Henry McCullough(guitar)在籍1970
   グレッグ・リドリー/Greg Ridley(bass)在籍1967~1969
   マーク・グリフィス/Mark Griffiths(bass)在籍1969
   アンディ・リー/Andy Leigh(bass)在籍1969~1970
   アラン・スペナー/Alan Spenner(bass)在籍1970
   スティーヴ・トンプソン/Steve Thompson(bass)在籍1970
   マイク・ケリー/Mike Kellie(drums)在籍1967~1970

  ②1972~1974
   マイク・ハリソン/Mike Harrison(vocal, keyboards)在籍1972~1974
   ゲイリー・ライト/Gary Wright(vocal, keyboards)在籍1972~1974
   マイク・パトゥ/Mike Patto(vocal, keyboards)在籍1974
   ミック・ジョーンズ/Mick Jones(guitar)在籍1972~1974
   イアン・ハーバート/Ian Herbert(bass)在籍1972~1973
   クリス・スチュワート /Chris Stewart(bass)在籍1973~1974
   キース・エリス/Keith Ellis(bass)在籍1974
   ヴァル・バーク/Val Burke(bass, vocal)在籍1974
   ブライソン・グラハム/Bryson Graham(drums)在籍1972~1973、1974
   マイク・ケリー/Mike Kellie(drums)在籍1973~1974
   
  ③1998~1999
   マイク・ハリソン/Mike Harrison(vocal, keyboards)在籍1998~1999
   ルーサー・グロヴナー/Luther Grosvenor(guitar)在籍1998~1999
   グレッグ・リドリー/Greg Ridley(bass)在籍1998~1999
   マイク・ケリー/Mike Kellie(drums)在籍1998~1999

  ④2004
   マイク・ハリソン/Mike Harrison(vocal, keyboards)在籍2004
   ゲイリー・ライト/Gary Wright(vocal, keyboards)在籍2004
   ジョーイ・アルブレヒト/Joey Albrecht(guitar)在籍2004
   マイケル・ベッカー/Michael Becker(bass)在籍2004
   マイク・ケリー/Mike Kellie(drums)在籍2004

  ⑤2008~2009
   マイク・ハリソン/Mike Harrison(vocal, keyboards)在籍2008~2009
   ゲイリー・ライト/Gary Wright(vocal, keyboards)在籍2008~2009 
   スティーヴ・ファリス/Steve Farris(guitar)在籍2008~2009
   シェム・フォン・シュローク/Shem von Schroeck(bass)在籍2008~2009
   マイク・ケリー/Mike Kellie(drums)在籍2008~2009
   トム・ブレフテリン/Tom Brechtlein(drums)在籍2009年





 「スプーキー・トゥース」はイングランド出身のロック・バンド。
 マイク・ハリソンゲイリー・ライトという、ふたりの強力なヴォーカリスト兼鍵盤奏者を擁するユニークな編成で、ブルースを基調にしたヘヴィなサウンドが特徴である。とくに初期はサイケデリックな雰囲気を持ちながらもアメリカン・ロックへ接近するなど、多様な音楽性を包含したバンドである。
 スプーキー・トゥースに在籍した歴代メンバーは、その後のブリティッシュ・ロック界にも足跡を残したミュージシャンの名が多く見られる。その意味でも、1960年代後半~1970年代前半にかけてのブリティッシュ・ロック界における重要な存在だと言える。


◆ラムロッズ
 「ラムロッズ」(The Ramrods)は、マイク・ハリソン(vocal)とジミー・ヘンショウ(guitar)を中心として、1960年にイングランド北西部の町カーライルで結成されたスキッフル・バンドである。1963年後半、ラムロッズにハリスンのバンド仲間のグレッグ・リドリー(bass)が加入し、バンド名を「ヴィップス」(The V.I.P.'s)に改めた。これがスプーキー・トゥースの原型である。


◆V.I.P.’s
 V.I.P.'sの活躍に目をとめたのが、当時キンクスのマネージャーだったラリー・ペイジである。
 1964年10月、ペイジの力添えでV.I.P.'sはシングル『Don't Keep Shouting at Me』をリリース、メジャー・デビューを果たす。この曲は本国イギリスで注目されることはなかったが、フランスではシングル・チャート2位を記録する大ヒットとなった。
 V.I.P.'sは間もなくペイジとは袂を分かつが、1965年にはアニマルズのマネージャー、マイク・ジェフリーズの紹介で西ドイツに渡り、ハンブルグのスター・クラブに出演している。
 V.I.P.'sの大きな将来性に目を留めたのが、アイランド・レーベルの創設者のクリス・ブラックウェルである。ブラックウェルはすぐにV.I.P.'sと契約し、1966年には「Vipps」名義を含むシングル3枚をリリース。なかでも10月にリリースした『I Wanna Be Free』は、イギリスでは不発に終わったが、フランスや西ドイツなど本国以外でまたも大ヒット。とくに西ドイツではチャート1位を獲得している。
 またこの頃のことであるが、1966年9月に初めてイギリスに来たジミ・ヘンドリックスともセッションする機会があった。この時ジミのマネージャー、チャス・チャンドラー(元アニマルズ)はV.I.P.'sの演奏を気に入り、V.I.P.'sに「ジミのバック・バンドにならないか」と声をかけたそうである。V.I.P.'sはこれを断り、ジミは後日ノエル・レディング、ミッチ・ミッチェルとトリオを組むことになる。


 1966年、西ドイツから帰国後に、V.I.P.'sは大幅なメンバー・チェンジを行う。

 まずウォルター・ジョンストーンの代わりにスティーヴ・ウインウッドの推薦で1966年12月にマイク・ケリー(drums 元ロコモーティヴ)が、そしてキーボード奏者としてキース・エマーソンが加入したが、「ラムロッズ」結成時からバンドを支えてきたジミー・ヘンショウが脱退。1967年初頭にはフランク・ケニオンの代わりとしてルーサー・グロヴナー(guitar 元ディープ・フィーリング)が加入する。
 こうしてV.I.P.'sのラインナップは、1967年初頭には、マイク・ハリソン(keyboard, vocal)、ルーサー・グロヴナー(guitar)、グレッグ・リドリー(bass)、マイク・ケリー(drums)、キース・エマーソン(keyboard)の5人となった。しかし間もなくエマーソンは「ナイス」結成のためバンドを離れた。


 ◆アート
 サイケデリック・ムーヴメントの勃興期だった当時の背景と、バンドの方向性から、1967年4月にはバンド名を「アート」(Art)と改める。
 アートはこの年7月、アルバム『Supernatural Fairy Tales』とシングル『What's That Sound?』を発表。これは一般受けはしなかったものの、アンダーグラウンド・シーンで注目された。
 1967年10月、ツアー先の西ドイツで、留学のため渡欧していたアメリカ人シンガー兼キーボード奏者のゲイリー・ライトと出会う。クリス・ブラックウェルの提案でバンドはライトをメンバー加え、これを契機として新たに「スプーキー・トゥース」と名乗ることになる。


 ◆スプーキー・トゥース(1967~1970)
 1968年1月、スプーキー・トゥースはゲイリー・ライトのオリジナル曲『Sunshine Help Me』で、アイランド・レーベルからシングル・デビューを果たした。同年8月には、当時トラフィックやローリング・ストーンズなどを手掛けていたジミー・ミラーのプロデュースによって、デビュー・アルバム『イッツ・オール・アバウト』を発表。このアルバムは、サイケデリックな空気を持ちつつも、アメリカン・ロックからの影響も伺わせる内容で、評価は好意的なものだった。
 この年秋にはザ・バンドの名曲「ザ・ウェイト」のカヴァーをシングルとしてリリースし、アメリカン・ロックへの接近をより明確にするとともに、好意的な評価を得た。


 1969年5月、セカンド・アルバム『スプーキー・トゥー』を発表。これはスプーキー・トゥースの最高傑作と言われているものである。
 プロデューサーは前作に続きミラーが担当。サイケデリックな空気感、アメリカン・ロックへの接近、ブルージーでヘヴィな音楽性がバランスよく抽出されており、母国イギリスではデビュー作同様セールス的には振るわなかったものの、A&Mレコードから発売されたアメリカ盤は全米アルバムチャートで最高44位を記録(全米トップ50アルバムしたバンド唯一の作品)したほか、ヨーロッパ諸国でも好評で、オランダのアルバム・チャートでは最高4位の大ヒットを記録している。
 ちなみにこのアルバムは佳曲がそろっており、シングル・カットされた『Better by You、Better than Me』は、後年「ジューダス・プリースト」がアルバム『ステンド・グラス』(1978年)の中でカヴァーしている。また「Evil Woman」におけるグロヴナーの弾くハード・ロック的アプローチのギター・ソロは高く評価されている。そのほか『I've Got Enough Heartache』にはスティーヴ・ウインウッド(piano)が、『Feelin' Bad』にはジョー・コッカー(backing-vocal)が参加しているのも注目される。
 しかしベースのリドリーはアルバム完成直後の1969年2月に脱退して「ハンブル・パイ」の結成に参加したため、『スプーキー・トゥー』はオリジナル・ラインナップによる最後のアルバムとなった。
 名手リドリー脱退後は、短期間在籍したマーク・グリフィス(のちマシューズ・サザン・コンフォート)を経て、アンディ・リーが加入。





 『スプーキー・トゥー』の高評価に後押しされて順調に活動を続けるスプーキー・トゥースがさらに大きな飛躍を期待されて制作したのが、サード・アルバム『セレモニー』(1969年12月発表)である。
 このアルバムは、ゲイリー・ライトがイニシアティヴを取ったものであった。
 ライトが試みたのは、彼が敬愛する現代音楽家ピエール・アンリ(Pierre Henry)とスプーキー・トゥースのコラボレーション、つまり前衛音楽とロックの融合だったが、これには賛否両論が起こった。
 アンリの母国フランスでは「ミュージック・コンクレート」の下地ができていたこともあって評価は好意的だったが、英米では一部で「ロック史上に残る大失敗」とまで言われるほどの酷評を受け、アルバム・チャートも全米92位と低迷、『スプーキー・トゥー』で上昇気流に乗りかけたバンドの勢いに水を差す結果になってしまった。
 ライトはのちに「これはスプーキー・トゥースのアルバムというよりひとつのプロジェクトだった。つまりわれわれは演奏しただけであり、『セレモニー』はピエール・アンリのアルバムだったのだ。しかしアルバム完成時にレーベル側は『これは素晴らしいアルバムである。スプーキー・トゥースの新作としてリリースするつもりだ。』と言った。それに対してわれわれは『これはバンドの方向性とは合わないアルバムだ。もしわれわれの新作としてリリースするならば、スプーキー・トゥースのキャリアを損なうだろう。』と言った。そしてまさにその通りになったのだ。」と述べている。


 『セレモニー』でファンやメディアを失望させる結果になったライトは、他のメンバー、とくにハリソンとの主導権争い、あるいは感情的な対立が原因で、1970年にバンドを脱退してソロ活動に入った。続いてアンディ・リーも脱退し、サザン・コンフォートに加入する。
 残ったハリソン、グロヴナー、ケリーは3人は、かつて共演したことのあるジョー・コッカーのバック・バンド「グリース・バンド」のメンバー(ヘンリー・マッカローguitar、クリス・ステイントンkeyboard、アラン・スペナーbass)を迎えて、「Spooky Tooth Featuring Mike Harrison」名義で4枚目のアルバム『ザ・ラスト・パフ』を制作したが、アルバム発表前にバンドは解散してしまった。ただし、『ザ・ラスト・パフ』は、これをスプーキー・トゥースの最高傑作と推す声も一部であがっているほどの力作に仕上がっている。
 このアルバムからはビートルズの作品である『アイ・アム・ザ・ウォルラス』がシングル・カットされ、ヨーロッパでヒットを記録した。





 スプーキー・トゥースは解散したが、1970年の秋に、ハリソン、グロヴナー、ケリー、ジョン・ホウケン(keyboard 元ナッシュヴィル・ティーンズ~ルネッサンス)、スティーヴ・トンプソン(bass 元ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズ)というラインナップで、ヨーロッパ・ツアーのためにだけいったん再結成し、ツアー後に改めて解散した。
 解散後、マイク・ハリソンとゲイリー・ライトはそれぞれソロ活動を始める。ルーサー・グロヴナーはソロ・アルバムを発表後、「スティーラーズ・ホィール」に参加。マイク・ケリーは「スリー・マン・アーミー」を経てピーター・フランプトンの「フランプトンズ・キャメル」に参加して活動を続けた。
 グリース・バンドの3人(ヘンリー・マッカロー、クリス・ステイントン、アラン・スペナー)は、1971年に英国スワンプ・ミュージックの傑作とも言われているアルバム『Grease Band』を発表している。なかでもマッカロックは1972年から73年にかけてポール・マッカートニーの「ウィングス」に参加して一躍名を上げた。





 ◆スプーキー・トゥース(1972~1974)
 1972年夏以降になると、ゲイリー・ライトとマイク・ハリソンの関係は修復され、ふたりはスプーキー・トゥースの未来について話し合うようになっていた。その結果、同年秋にハリソン、ライト、ミック・ジョーンズ(guitar 元ワンダーホィール)、イアン・ハーバート(bass 元ジャンクヤード・エンジェル)、ブライソン・グラハム(drums 元メインホース)というラインナップでスプーキー・トゥースの再結成が実現したのである。なお、ベースは間もなくクリス・スチュワート(bass 元ロニー・レーンズ・スリム・チャンス)と交替した。
 新生スプーキー・トゥースは1973年5月に通算5作目となるアルバム『ユー・ブローク・マイ・ハート・ソー・アイ・バステッド・ユア・ジョウ』を発表。この直後にドラマーがオリジナル・メンバーのマイク・ケリーに交替したが、古くからのファンはケリーの復帰を歓迎した。
 新作『ユー・ブローク・マイ・ハート』はメディアからの反応も良く、バンド側も同年11月には矢継ぎ早に6枚目のアルバム『ウィットネス』をリリースした。
 『ユー・ブローク・マイ・ハート・ソー・アイ・バステッド・ユア・ジョウ』『ウィットネス』の2作は、かつてのアルバムのようにライトのオリジナル曲を中心として制作されおり、全盛期を思い起こさせるような充実した仕上がりとなっている。
 しかしこの頃にはハリスンとライトの間でバンドの主導権を巡っての対立が生じており、これによって1974年春にはハリソン、ケリー、スチュワートの3人が相次いで脱退してしまったのである。
 ゲイリー・ライトとミック・ジョーンズは、ハリソンの後任としてマイク・パトゥー(keyboard, vocal 元パトゥー)を迎える。またベーシストにはキース・エリス(元ジューシー・ルーシー)が起用されたが、短期間でさらにヴァル・パークと交替している。そしてケリーの代わりとしてブライソン・グラハムが呼び戻された。このメンバー(ライト、ジョーンズ、パトゥー、パーク、グラハム)で1974年に発表したのが、通算7枚目のアルバム『ザ・ミラー』であるが、セールスは全く振るわず、結局これがスプーキー・トゥースのラスト・アルバムになった。
 結果、ライトはソロ活動のためまたもバンドを離れ、1974年11月にスプーキー・トゥースは活動を停止した。


 その後、マイク・ハリソンとゲイリー・ライトはソロとして活動する。なかでもライトのシングル『夢織り人』(Dream Weaver)は1976年のビルボード・シングル・チャートで2位、同タイトルのアルバムは同年のビルボード・アルバム・チャートで7位の大ヒットを記録した。
 ミック・ジョーンズは「フォリナー」を結成し、大成功を収めた。
 パトゥーは「ボクサー」を結成、3枚のアルバムを残すが、1979年3月に36歳で死去した。エリスも「ボクサー」の結成に参加して再びパトゥーとバンド・メイトとなったが、1978年12月に32歳の若さでこの世を去っている。
 ケリーは1970年代後半に「ジ・オンリー・ワンズ」へ参加。グラハムはセッション・ドラマーとして活躍した。


 ◆スプーキー・トゥース(1998~1999, 2008~2009)
 1998年、ライトを除く4人のオリジナル・メンバー(ハリソン、グロヴナー、リドリー、ケリー)で再結成し、25年ぶりにニュー・アルバム『Cross Purpose』を発表した。
 再結成ライヴは、2001年に『Live In Europe』としてリリースされている。


 2003年11月19日、グレッグ・リドリーがスペインのアリカンテで肺炎とその合併症のため56歳で死去。


 2004年6月、ハリソン、ライト、ケリーはジョーイ・アルブレヒト(guitar)とマイケル・ベッカー(bass)を加えて「スプーキー・トゥース」として活動を再開させ、ドイツでライヴを行った。この模様はDVD『Nomad Poets』(2007年)に収められている。
 2008年2月、ハリソン、ライト、ケリーをフィーチャーしたスプーキー・トゥースが再始動。Mr.ミスターのギタリストであるスティーヴ・ファリスと、シェム・フォン・シュローク(bass)を伴い、ヨーロッパでツアーを行った。
 2009年5月29日、ハリソン、ライト、アルブレヒト、ベッカー、そしてケリーの代わりにトム・ブレフテリンを加え、シェパーズ・ブッシュ・エンパイアで行われたアイランド・レコード50周年記念コンサートで演奏した。


 2017年1月18日、マイク・ケリーが69歳で死去。
 2018年3月25日、マイク・ハリソンが72歳で死去。
 2023年9月4日、ゲイリー・ライトが80歳で死去。





【ディスコグラフィ】
 ◆アルバム
  1968年 イッツ・オール・アバウト/It's All About
  1969年 スプーキー・トゥー/Spooky Two(全米44位)
  1969年 セレモニー/Ceremony(全米92位) *with Pierre Henry
  1970年 ザ・ラスト・パフ/The Last Puff(全米84位)*クレジットは「Spooky Tooth featuring Mike Harrisom」
  1971年 タバコ・ロード/Tabacco Road(全米152位)
      *『イッツ・オール・アバウト』の「Too Much of Nothing」を「The Weight」に差し替えて再発
  1973年 ユー・ブローク・マイ・ハート・ソー・アイ・バステッド・ユア・ジョウ/You Broke My Heart So I Busted Your Jaw(全米84位)
  1973年 ウィットネス/Witness(全米99位)
  1974年 ザ・ミラー/The Mirror(全米130位)
  1999年 Cross Purpose
  2001年 Live In Europe
  2007年 Nomad Poets-Live In Germany 2004

 ◆シングル
  1968年 ザ・ウェイト/The Weight
  1968年 サンシャイン・ヘルプ・ミー/Sunshine Help Me(全米 [キャッシュボックス] 126位)
  1968年 ラヴ・リアリー・チェンジド・ミー/Love Really Changed Me
  1969年 ザット・ワズ・オンリー・イエスタデイ/That Was Only Yesterday(オランダ13位)
  1969年 サン・オブ・ユア・ファーザー/Son Of Your Father
  1969年 フィーリン・バッド/Feelin' Bad(全米 [Bebbling Under] 132位)
  1970年 アイ・アム・ザ・ウォルラス/I Am The Walrus (オランダ38位)
  1973年 オール・ソウン・アップ/All Sewn Up

  1974年 Two Time Love
  1975年 Fantasy Satisfier



【メンバー変遷】

 #1  1967~1969
   Mike Harrison(piano, vocal)
   Gary Wright(keyboard, vocal)
   Luther Grosvenor(guitar)
   Greg Ridley(bass)→ Humble Pie
   Mike Kellie(drums)

 #2 1969
   Mike Harrison(piano, vocal)
   Gary Wright(keyboard, vocal)
   Luther Grosvenor(guitar)
   Mark Griffiths(bass)→ Steve Gibbons Band
   Mike Kellie(drums)

 #3 1969~1970
   Mike Harrison(piano, vocal)
   Gary Wright(keyboard, vocal)→ solo, Wonderwheel
   Luther Grosvenor(guitar)
   Andy Leigh(bass)→ Matthews Southern Comfort

   Mike Kellie(drums)

 #4 1970
   Mike Harrison(piano, vocal)
   Chris Stainton(keyboard)*ex The Grease Band

   Luther Grosvenor(guitar)
   Henry McCullough(guitar)*ex The Grease Band
   Alan Spenner(bass)*ex The Grease Band

   Mike Kellie(drums)

 #5 1970
   Mike Harrison(piano, vocal)→ solo
   John Hawken(keyboards)*ex Renaissance
   Luther Grosvenor(guitar)→ solo, Stealers Wheel
   Henry McCullough(guitar)*ex The Grease Band
   Steve Thompson(bass)*ex John Mayall's Bluesbreakers → Stone The Crowes
   Mike Kellie(drums )→ ThreeMan Army


 #6 1972~1973
   Mike Harrison(piano, vocal)*ex Junkyard Angel
   Gary Wright(keyboard, vocal)*Wonderwheel
   Mick Jones(guitar)*Wonderwheel
   Ian Herbert(bass)*ex Junkyard Angel
   Bryson Graham(drums)*Mainhorse, Wonderwheel

 #7 1973
   Mike Harrison(piano, vocal)
   Gary Wright(keyboard, vocal)
   Mick Jones(guitar)
   Chris Stewart(bass)*Ronnie Lane's Slim Chance
   Bryson Graham(drums)→ Spooky Tooth#10

 #8 1973~1974
   Mike Harrison(piano, vocal)
   Gary Wright(keyboard, vocal)
   Mick Jones(guitar)
   Chris Stewart(bass)
   Mike Kellie(drums)

 #9 1974
   Gary Wright(keyboard, vocal)
   Mike Patto(keyboard, vocal)*Patto
   Mick Jones(guitar)
   Keith Ellis(bass)*ex Juicy Lucy → Boxer
   Mike Kellie(drums)→ The Only Ones

 #10 1974
   Gary Wright(keyboard, vocal)→ solo
   Mike Patto(keyboard, vocal)→ Boxer
   Mick Jones(guitar)→ Foreigner
   Val Burke(bass)
   Bryson Graham(drums)→ The Only Ones
 
#11 1998~1999
   Mike Harrison(piano, vocal)
   Luther Grosvenor(guitar, vocal)
   Greg Ridley(bass, vocal)
   Mike Kellie(drums)

#12 2004
   Mike Harrison(piano, vocal)
   Gary Wright(keyboard, vocal)
   Joey Albrecht(guitar)
   Michael Becker(bass)
   Mike Kellie(drums)

#13 2008~2009
   Mike Harrison(piano, vocal)
   Gary Wright(keyboard, vocal)
   Steve Farris(guitar)
   Shem von Schroeck(bass)
   Mike Kellie(drums)

#14 2009
   Mike Harrison(piano, vocal)
   Gary Wright(keyboard, vocal)
   Steve Farris(guitar)
   Shem von Schroeck(bass)
   Tom Brechtlein(drums)


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テン・イヤーズ・アフター

2022-10-05 18:10:50 | band

テン・イヤーズ・アフター Ten Years After


【活動期間】
  ①1966~1974
  ②1988~


【メンバー】
  ①1966~1974
   アルヴィン・リー/Alvin Lee(vocals, guitars) 在籍1966~1974
   チック・チャーチル/Chick Churchill(keyboards) 在籍1966~1974
   レオ・ライオンズ/Leo Lyons(bass) 在籍1968~1974
   リック・リー/Ric Lee(drums) 在籍1968~1974
   
  ②1988~
   アルヴィン・リー/Alvin Lee(guitar, vocal, harmonica) 在籍1988~2003
   ジョー・グーチ/Joe Gooch(guitar, vocal) 在籍2003~2014
   マーカス・ボンファンティ/Marcus Bonfanti(guitar, vocal) 在籍2014~
   チック・チャーチル/Chick Churchill(keyboards) 在籍1988~
   レオ・ライオンズ/Leo Lyons(bass) 在籍1988~2014
   コリン・ホッジキンソン/Colin Hodgkinson(bass) 在籍2014~
   リック・リー/Ric Lee(drums) 在籍1988~

  1988~2003        2003~2014        2014~
   アルヴィン・リー(g、vo)   ジョー・グーチ(g,vo)    マーカス・ボンファンティ(g、vo)
   チック・チャーチル(key)   チック・チャーチル(key)   チック・チャーチル(key)
   レオ・ライオンズ(b)      レオ・ライオンズ(b)      コリン・ホッジキンソン(b)
   リック・リー(drs)      リック・リー(drs)      リック・リー(drs)


  
 1960年代後半から1970年代前半にかけて活躍したブルース・ロック・バンド。
 ブルースをベースに、ジャズやR&Bなどのエッセンスを加えたハードな演奏が特徴で、ライブ・バンドとしても名を馳せた。
 1960年代に隆盛を誇ったブルースは、のちのハード・ロックへと繋がる源流のひとつへと進化していったが、テン・イヤーズ・アフターはその過程を形作ったバンドのひとつである。
 また、ギタリストのアルヴィン・リーの「マシンガン・ピッキング」による速弾きは、1960年代後半のロック界において傑出した存在であり、多くのフォロワーを生んだ。
 

 テン・イヤーズ・アフターの原型となるバンドは、1960年の終わり頃にイングランドのノッティンガム市で、アルヴィン・リー(guitar)、レオ・ライオンズ(bass)、イヴァン・ジェイ(vocal)によって結成された「イヴァン・ジェイ & ジェイキャッツ」(Ivan Jay & the Jaycats)である。
 バンドは1962年に「ザ・ジェイバーズ」(The Jaybirds)と改名し、同年ドイツのハンブルグにある「スター・クラブ」に出演。
 翌63年、ジェイバーズはイングランドに戻った。
 その後さらに「イヴァン・ジェイ & ザ・ジェイメン」(Ivan Jay & the Jaymen)と改名したバンドは、ノッティンガムのマンスフィールド周辺でその名が知られるようになる。
 1965年8月、ドラマーがリック・リー(drums、元The Mansfields)に交替し、バンドはアルヴィン・リー(guitar, vocal)、レオ・ライオンズ(bass)、リック・リーのギター・トリオ編成となる。(なおアルヴィンとリックは同姓であるが、血縁関係はない)
 1966年、バンドはロンドンに進出し、「アイヴィー・リーグ」(The Ivy League)のバックを務めるなどしていたが、1966年にチック・チャーチル(keyboard)がバンドに加わると、バンド名を「Blues Trip」に変えた。(マーキー・クラブ出演時には「Blues Yard」の名を使っている)
 そして同年、最終的に「テン・イヤーズ・アフター」と改名したのである。
 「このバンドが10年後も続いているように」という願いがこの名の由来であるが、テン・イヤーズ・アフターは改名9年目の1974年に解散することになる。しかし1988年に再結成してからは息の長い活動を続けている。


      


 テン・イヤーズ・アフターは、マーキー・クラブなどで演奏活動を続けていたが、1967年に出演したウィンザー・ジャズ・フェスティバルでのパフォーマンスが認められたのがきっかけとなり、デッカ・レーベルの子会社であるデラム・レコードと契約することになった。
 1967年10月にデビュー・アルバム『テン・イヤーズ・アフター・ファースト』を発表すると、1968年にはスカンジナビアとアメリカでツアーを行う。
 エネルギッシュなライヴ・パフォーマンス、アルヴィン・リーのギター・プレイに加え、当時のブリティッシュ・ロック界を覆っていたブルース・ブームに後押しされ、彼らへの注目は高まってゆく。
 1968年8月、代表曲『アイム・ゴーイング・ホーム』が収録された2枚目のアルバム『イン・コンサートを発表。『イン・コンサート』は、スケジュールの都合によって当時としては異例のライヴ・アルバムとして制作されており、ライヴ・バンドとしての評価が高まっていたテン・イヤーズ・アフターの魅力が詰まったものになっている。
 1969年、「ニューポート・ジャズ・フェスティヴァル」にロック・バンドとしては初めて招かれる。この年はほかにも「シアトル・ポップ・フェスティヴァル」、「ウッドストック・フェスティヴァル」などの大型イベントに出演した。
 特筆されるのは、8月17日に出演したウッドストックである。この夜ステージに上がったテン・イヤーズ・アフターは『アイム・ゴーイング・ホーム』を大熱演。このパワフルなパフォーマンスは「ウッドストックのハイライトのひとつ」と絶賛され、テン・イヤーズ・アフターの人気を確固たるものにした。
 1970年にはワイト島で行われたポップ・フェスティヴァルにジミ・ヘンドリックスやマイルス・デイヴィスらと出演している。


 テン・イヤーズ・アフターは、1969年~1970年の間に『ストーンドヘンジ』『夜明けのない朝』『クリックルウッド・グリーン』『ワット』の、4枚のアルバムを発表しているが、これらはすべて全英アルバム・チャートトップ10入りのヒットを記録しているほか、ヨーロッパ、とくに北欧圏で高い人気を誇った。また全米アルバム・チャートでも『クリックルウッド・グリーン』が14位、『スペース・イン・タイム』(1971年)が17位まで上昇するなど、アメリカでも人気を得るに至った。
 なお『クリックルウッド・グリーン』からシングル・カットされた『Love Like a Man』は、テン・イヤーズ・アフターの唯一の全英トップ10シングル(全英10位、ドイツ9位、オーストリア8位)である。このシングル・レコードのA面は45回転の3分間ヴァージョン、B面は33回転の8分近くのライブ・ヴァージョンで、これはA面とB面で回転速度の異なるトラックを収めた初のレコードである。


      


 1971年、レーベルをデラムから、コロムビア(アメリカ)、クリサリス(イギリス)に移籍し、『スペース・イン・タイム』を発表。このアルバムはミリオン・セラーとなったほか、シングル・カットされた『チェンジ・ザ・ワールド』は、全米40位(テン・イヤーズ・アフター唯一の全米トップ40シングル)、カナダ10位のヒットを記録した。
 1972年5月、「プロコル・ハルム」とのジョイント・コンサートのため初来日。翌73年6月にはアルバート・ハモンドを伴って再来日している。


 絶頂期にあったテン・イヤーズ・アフターだが、音楽的マンネリズムに陥った感が生じてきたうえに、ポップス路線へのシフトを企図するレーベル側と、ブルース・ロックを追求したいアルヴィン・リーとの方向性の相違が表面化するようになった。こうした中でアルヴィン・リーのソロ活動の比重は徐々に大きくなり、これらの理由が原因となってバンドは次第に低迷してゆく。
 勢いを失いつつあったテン・イヤーズ・アフターは、1974年に通算8枚目のスタジオ・アルバム『バイブレーションズ』を発表したが、内容は全く精彩を欠いており、このアルバムの発表後間もなく解散した。
 アルヴィン・リーはソロとして活動を続けたのち、1978年に「テン・イヤーズ・レイター」(Ten Years Later)を結成。
 レオ・ライオンズはマイケル・シェンカー在籍時の「UFO」のプロデューサーを務め、『現象』『フォース・イット』『ノー・ヘヴィー・ペッティング』の3枚のアルバムをプロデュースし、UFOの飛躍に貢献した。
 リック・リーとチック・チャーチルは音楽出版やマネージメントに関わり、一時演奏から遠ざかることになる。


     


 1975年8月4日、サンフランシスコのウィンターランドでアメリカでのフェアウェル・コンサートのため一時的に再結成。
 1983年は、7月1日に当夜限定で再結成してロンドンで行われた「マーキー・クラブ25周年記念コンサート」に出演したほか、8月のレディング・フェスティヴァルにも出演している。


 1988年、いくつかのコンサートとレコーディングのため、本格的に再始動。
 1989年8月には15年ぶりのアルバム『アバウト・タイム』を発表した。
 2003年、アルヴィン・リーが脱退。後任としてジョー・グーチが加入した。
 2004年、自主レーベル「Ten Years After Records」を設立し、第一弾アルバム『Now』を発表。
 2013年、アルヴィン・リーが急死。同年12月30日、「Hundred Seventy Split」の活動に専念するためグーチとライオンズが脱退する。
 2014年、マーカス・ボンファンティ(guitar, vocal)とコリン・ホッジキンソン(bass)が加入。
 2017年、9年ぶりに13枚目のアルバム『A Sting in the Tale』を発表。


 2013年3月6日、テン・イヤーズ・アフターの代名詞でもあったアルヴィン・リーが、心房細動を治療するための「通常の外科的処置後に起きた予期せぬ合併症」のため68歳で急死した。死後、スペインの自宅から、1972年の『ロックンロール・ミュージック・トゥ・ザ・ワールド』のレコーディング・セッションで録音された音源が見つかった。これはデモ音源やリハーサル・トラックではなく、「アルバムに収まりきらなかった」という理由でお蔵入りとなった、いわば完成品であった。この音源はプロデューサーであるクリス・キムゼイによってミックス・ダウンされ、2017年にバンド結成50年を記念してリリースされたボックス・セット『1967-1974』に収録された。


     


【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム)
  <アルバム>
   1967年 テン・イヤーズ・アフター・ファースト/Ten Years After
  ☆1968年 イン・コンサート/Undead(全英26位 全米115位)
   1969年 ストーンドヘンジ/Stonedhenge(全英6位 全米61位)
   1969年 夜明けのない朝/Ssssh(全英4位 全米20位 ドイツ6位)
   1970年 クリックルウッド・グリーン/Cricklewood Green(全英4位 全米14位 デンマーク5位 ドイツ8位 ノルウェー8位)
   1970年 ワット/Watt(全英5位 全米21位 カナダ16位 ドイツ9位 イタリア8位 デンマーク7位 ノルウェー8位)
   1971年 スペース・イン・タイム/A Space in Time(全英36位 全米17位 デンマーク8位 スウェーデン9位)
   1972年 ロックンロール・ミュージック・トゥ・ザ・ワールド/Rock & Roll Music to the World(全英27位 全米43位 デンマーク2位 スウェーデン8位)
  ☆1973年 ライヴ!/Recorded Live(全英36位 全米39位 ドイツ10位 ノルウェー9位)
   1974年 バイブレーションズ/Positive Vibrations(全米81位 デンマーク15位 スウェーデン11位)
   1989年 アバウト・タイム/About Time(全米120位 ドイツ87位)
  ☆2001年 ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト/Live at the Fillmore East 1970
   2004年 Now
  ☆2005年 Roadworks
   2008年 Evolution
  ☆2014年 The Name Remains the Same
   2017年 A Sting in the Tale

  <シングル>
   1968年 
    Portable People
    Rock Your Mama
    I'm Going Home(Live)/Hear Me Calling(オランダ11位、ベルギー28位)
   1969年
    Spoonful
    A Sad Song
    I Woke Up This Morning
   1970年
    Bad Scene
    Good Morning Little School Girl
    Love Like a Man(全英10位、全米98位、オーストリア8位、ドイツ9位)
    Working on the Road
   1971年
    I’m Coming On(ドイツ47位)
    I'd Love to Change the World(全米40位、カナダ10位)
    Baby Won't You Let Me Rock'n' Roll You(全米61位、カナダ54位)
   1972年
    One of These Days
    You Can't Win Them All
    Rock'n' Roll Music to the World
    Choo Choo Mama(全米89位)
   1973年
    Tomorrow I'll Be Out of Town
    Standing at the Station
    I'm Going Home(live '73)
   1974年
    It's Getting Harder
    Stone Me
    Going Back to Birmingham
   1989年
    Let's Shake It Up
    Highway of Love
   2017年
    Suranne Suranne
   
    


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コロシアム

2022-09-09 11:02:38 | band

コロシアム Colosseum


【活動期間】
  ①1968~1971
  ②1994~2015
  ③2020~

【メンバー】
  ①1968~1971
   ジョン・ハイズマン/Jon Hiseman(drums, percussion) 在籍1968~1971
   ジム・ローチェ/Jim Roche(guitar) 在籍1968
   ジェイムス・リザーランド/James Litherland(guitar, vocal) 在籍1968~1969
   デイヴ・"クレム"・クレムソン/Dave "Clem" Clempson(guitar, vocal) 在籍1969~1971
   デイヴ・グリーンスレイド/Dave Greenslade(organ, piano, keyboards) 在籍1968~1971
   ディック・ヘクストール=スミス/Dick Heckstall-Smith(sax, clarinet) 在籍1968~1971
   トニー・リーヴス/Tony Reeves(bass) 在籍1968~1970
   ルイス・セナモ/Louis Cennamo(bass) 在籍1970
   マーク・クラーク/Mark Clarke(bass) 在籍1970~1971
   クリス・ファーロウ/Chris Farlowe(vocal) 在籍1970~1971 
 
  ②1994~2015
   ジョン・ハイズマン/Jon Hiseman(drums, percussion) 在籍1994~2015
   デイヴ・"クレム"・クレムソン/Dave "Clem" Clempson(guitar, vocal) 在籍1994~2015
   デイヴ・グリーンスレイド/Dave Greenslade(organ, piano, keyboards) 在籍1994~2015
   ディック・ヘクストール=スミス/Dick Heckstall-Smith(sax, clarinet) 在籍1994~2004
   バーバラ・トンプソン/Barbara Thompson(sax, flute) 在籍2004~2015
   マーク・クラーク/Mark Clarke(bass) 在籍1994~2015
   クリス・ファーロウ/Chris Farlowe(vocal) 在籍1994~2015 

  ③2020~
   デイヴ・"クレム"・クレムソン/Dave "Clem" Clempson(guitar, vocal) 在籍2020~
   マーク・クラーク/Mark Clarke(bass) 在籍2020~
   クリス・ファーロウ/Chris Farlowe(vocal) 在籍2020~
   キム・ニシカワラ/Kim Nishikawara(sax) 在籍2020~
   マルコム・モルティモア/Malcom Mortimore(drums) 在籍2020~
   エイドリアン・アスキュー/Adrian Askew(keyboard) 在籍2020~2021
   ニック・スティード/Nick Steed(keyboard) 在籍2021~ 
   

 1960年代後半のアート・ロック・ブームの中で活躍したジャズ・ロック・グループ。
 プログレッシヴ・ロックのパイオニア的存在とも言われている。


 1960年、ジョン・ハイズマン(drums)、デイヴ・グリーンスレイド(keyboard)、トニー・リーヴス(bass)、クライヴ・バロウズ、ポール・マクドウェルの5人によって、「ウェス・ミンスター・ファイヴ」(Wes Minster Five)が結成された。このバンドが、のちの「コロシアム」の源流である。
 ウェス・ミンスター・ファイヴは高校の仲間によって作られたバンドで、彼らが卒業する1962年に解散した。


 その後ジョン・ハイズマンは、「ニュー・ジャズ・オーケストラ」などを経て1966年5月に「グラハム・ボンド・オーガニゼイション」に加入するが、そこでサックス奏者のディック・ヘクストール=スミスと出会う。
 ヘクストール=スミスはグラハム・ボンド・オーガニゼイションを脱退すると、1967年7月に「ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズ」に参加する。
 1968年4月には、ジョン・ハイズマンとトニー・リーヴスがジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズに加入。ハイズマン、リーヴス、ヘクストール=スミスの3人が参加したアルバムが『Bare Wires』(1968年6月発表)である。このアルバムはかなりジャズに傾倒したものになっている。
 1968年8月、ハイズマン、リーヴス、ヘクストール=スミスの3人は、ブルース・ブレイカーズから脱退。


 ジョン・ハイズマンは新しいグループの結成へ向けて、1968年8月17付メロディ・メイカー紙でメンバーの募集を告知。これを見て応募してきたジム・ローチェ(guitar)とジェームス・リザーランド(vocal)に加え、元ウェス・ミンスター・ファイヴのメンバーで、ローチェとも旧知の仲であり、「サンダーバーズ」や「ラム・ジャム・バンド」を経てセッション・ミュージシャンとして活動していたデイヴ・グリーンスレイド(keyboard)、そしてブルース・ブレイカーズから行動を共にしていたリーヴス(bass)、ヘクストール=スミス(sax)の計6人で、「ジョン・ハイズマンズ・コロシアム」を結成、リハーサルに入る。
 同年10月11日~12日、スカボローの「シーン・トゥー・クラブ」でデビュー・ライヴを行い、11月にはクリームの解散コンサートに出演。
 この11月にはさっそく英フォンタナ・レコードと契約し、12月にはファースト・アルバムのレコーディングが始まったが、1曲録音しただけですぐにローチェが脱退したため、リザーランドがギターも兼ねることになった。
 こうしてラインナップが固まり、バンド名も最終的に「コロシアム」となった。





 1969年5月、ファースト・アルバム『コロシアム・ファースト』がリリースされると、アート・ロック・ブームが席捲するロック界でたちまち注目のバンドとなった。
 この年秋、ヴァーティゴへ移籍。まもなくセカンド・アルバム『ヴァレンタイン組曲』の制作が始まるが、リザーランドが自己のグループ「Brotherhood」(のちの「モーグル・スラッシュ」)を結成するため、アルバム録音が終わった10月に脱退。後任としてデイヴ・"クレム"・クレムソン(元ベイカールー)が加入した。
 同年11月、セカンド・アルバム『ヴァレンタイン組曲』を発表。このアルバムは、ジュリアス・シーザーの最期の3ヵ月を主題としており、アート・ロックあるいはジャズ・ロックの名盤として高く評価されている。
 なお、1970年にアメリカでのみリリースされた『grass is greener』はアメリカ編集盤であり、クレムソンを含むラインナップで録音されている。ジャケットは『ヴァレンタイン組曲』と同じ構図で、曲目も4曲が『ヴァレンタイン組曲』と重複しており、ギター・パートはクレムソンがオーヴァー・ダビングしたものである。





 1970年8月にナショナル・ジャズ・アンド・ブルース・フェスティヴァルに出演したのち、プロデューサー業に専念するためリーヴスが脱退(のち「グリーンスレイド」に参加)し、後任として元ルネッサンスのルイス・セナモが参加するが、9月には元セント・ジェームス・インファーマリーのマーク・クラークに交替。この時に英国ロック界のベテラン・ヴォーカリスト、クリス・ファーロウも迎えられた。このラインナップで制作されたのが、『ドーター・オブ・タイム』(1970年11月発表)である。ただし、このアルバムのベースは、半分以上ルイス・セナモが弾いている。
 1971年3月に行なったツアーでは圧倒的な演奏力を見せつけているが、そのうちマンチェスター大学とブライトンのクラブ「ビッグ・アップル」で行ったライヴの模様を収録したライヴ・アルバムが、同年6月にリリースされた『コロシアム・ライヴ』である。
 そしてコロシアムは、このライヴ・アルバムを発表したのちに解散。
 1971年11月6付メロディ・メイカー紙は、コラシアムの解散を報じ、これを惜しんでいる。





 解散後、クレムソンはピーター・フランプトンの後任として「ハンブル・パイ」に、クリス・ファーロウは「アトミック・ルースター」に、マーク・クラークは「ユーライア・ヒープ」に加入。
 グリーンスレイドは、リーヴスを誘って自己のグループ「グリーンスレイド」を結成。
 ヘクストール=スミスは1972年7月にアイランドからソロ・アルバム『A Story Ended』をリリース。
 そしてハイズマンは、1972年6月に「テンペスト」を、1975年に「コロシアムⅡ」を結成している。

 1994年、アルバム『コロシアム・ライヴ』のラインナップ(ハイズマン、ファーロウ、クレムソン、グリーンスレイド、ヘクストール=スミス、クラーク)で23年ぶりに再結成。
 1997年、27年ぶりとなるスタジオ・アルバム『Bread & Circuses』を発表。
 1999年、一時期、オリジナル・メンバーのベーシスト、トニー・リーヴスがサポートとして参加。
 2003年、『Tomorrow's Dream』制作中にヘクストール=スミスが体調不良で休養に入り、ハイズマンの妻であり英国ジャズ界を代表するサックス奏者のバーバラ・トンプソンがサポートとして参加。2004年にヘクストール=スミスが亡くなると、トンプソンがそのまま正式メンバーとなった。
 2007年初来日。2月17日~18日に、ハイズマン、ファーロウ、クレムソン、グリーンスレイド、トンプソン、クラークというラインナップで、クラブチッタ川崎でライヴを行った。
 2014年、11年ぶりにスタジオ・アルバム『タイム・オン・アワ・サイド』をリリース。
 2015年、2月28日のロンドンのシェパーズ・ブッシュ・エンパイアで行われた公演を最後に、コロシアムは活動を終了することが発表された。
 2018年、バンドの創設者であるドラマー、ジョン・ハイズマンが死去。
 ハイズマン死去のあと、残されたクリス・ファーロウ、クレム・クレムソン、マーク・クラークを中心に、2020年コラシアムは再始動する。
 2022年4月、コラシアムは8年ぶりとなるフル・アルバム『Restoration』を発表。





【ディスコグラフィ】(*=ライヴ・アルバム)
  1969年 コロシアム・ファースト/Those Who Are About to Die Salute You(全英15位)
  1969年 ヴァレンタイン組曲/Valentyne Suite(全英15位)
  1970年 ドーター・オブ・タイム/Daughter of Time(全英23位 ドイツ36位)
  1971年 *コロシアム・ライヴ/Colosseum Live(全英17位 オーストラリア48位)
  1995年 *LiveS The Reunion Concerts 1994
  1997年 Bread & Circuses
  2003年 Tomorrow's Blues
  2003年 *コロン1994-リユニオン・コンサート/Live Cologne 1994
  2003年 *The Complete Reunion Concert
  2007年 *コロシアム・ライヴ!05/Live05
  2009年 *Theme for a Reunion
  2014年 タイム・オン・アワ・サイド/Time on Our Side
  2015年 *Live At Boston Tea Party, August 1969
  2020年 *Live At Montreux Jazz Festival 1969
  2020年 *Live At Ruisrock, Turku, Finland, 1970
  2020年 *Live At Oioer Club, Rome, Italy 1971
  2020年 *Live '71, Canterbury, Brighton & Manchester
  2022年 Restoration



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グレアム・ボンド・オーガニゼイション

2022-09-02 15:28:07 | band

グレアム・ボンド・オーガニゼイション Graham Bond Organisation

【活動期間】
   1963~1967年

【メンバー】
  グレアム・ボンド/Graham Bond (1937.10.28~1974.5.8) vocal, sax, organ, mellotron
  ジャック・ブルース/Jack Bruce (1943.5.14~2014.10.25) bass, vocal
  ジンジャー・ベイカー/Ginger Baker (1939.8.19~2019.10.6) drums, percussion
  ジョン・マクラフリン/John McLaughlin (1942.1.4~    ) guitar
  ディック・ヘクストール=スミス/Dick Heckstall-Smith (1934.9.26~2004.12.17) sax
  ジョン・ハイズマン/John Hiseman (1944.6.21~2018.6.12) drums, percussion
 

     


 1960年代のイギリスを席捲したブルース・ブームの中で活躍した、ブリティッシュ・ブルース・バンド。
 バンド名の綴りは「Graham Bond Organisation」であるが、イギリス以外の国では「Organization」と表記されることもある。


 グレアム・ボンド(vocal, sax, organ)は、1962年にアレクシス・コーナーの「ブルース・インコーポレイテッド」に加わり、このバンドでジンジャー・ベイカー(drums)、ジャック・ブルース(bass)と出会った。
 ブルース・インコーポレイテッド加入を契機にサックスからオルガンに転向したボンドは、ベイカーとブルースを誘って1963年に「グレアム・ボンド・トリオ」を結成する。
 その後、ジョン・マクラフリン(guitar)を加えてバンド名を「グレアム・ボンド・カルテット」とするとともに、ボンドは再びサックスをも演奏するようになった。
 1963年暮れにマクラフリンがグループを去ると、サックス奏者のディック・ヘクストール=スミス(のちジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズ、コラシアム)を迎え、バンド名を「グレアム・ボンド・オーガニゼイション」と改めた。


 バンドはボンドのハモンド・オルガンを大きくフィーチュアした独特のブルージーなサウンドで、クラブを中心に人気を得るようになる。とくにモッズ達のお気に入りバンドであった。
 1964年、ウィンストン・Gのシングル『Please Don't Say』の録音に参加。これがバンドの最初の商業録音である。
 同年、バンドは映画『Gonks Go Beat』に出演、「Harmonica」など計2曲を演奏している。
 1965年1月、セカンド・シングル(バンドの名義でリリースするものとしては初)『Tammy』をリリース。
 同年3月には、EMIコロムビアからデビュー・アルバム『ザ・サウンド・オブ '65』をリリース。これは、ジャズとR&Bを融合させたサウンドとして高く評価される。
 同じく1965年7月、シングル『Lease on Love』をリリース。この曲にはメロトロンが使われているが、これはポピュラー音楽史上初めてメロトロンが全面的にフィーチュアされたものである。メロトロン使用の先駆的存在のひとつはビートルズだが、彼らが『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』を制作したのは1967年のことである。
 この年8月、ジンジャー・ベイカーとの確執からジャック・ブルースが脱退。ブルースはこの後マンフレッド・マンに短期間加わったのちクリーム結成に参加している。残った三人(ボンド、ベイカー、ヘクストール=スミス)は、ゲストにマイク・ファラナ(trumpet)を加えて、1966年1月に『セント・ジェームス病院』をアメリカのアスコット・レーベルからリリースしている。


   


 1966年3月、「ザ・フー」はシングル「サブスティチュード」(全英5位)をヒットさせたが、このシングルのB面にグレアム・ボンド・オーガニゼイションの曲「Waltz for a Pig」が使われたいたことから、一部で注目されるようになる。
 この年ジンジャー・ベイカーが脱退してクリーム結成に参加したため、同年5月にボンドは後任としてジョン・ハイズマンをメンバーに加えた。ボンド、ヘクストール=スミス、ハイズマンのトリオとなったバンドは、1967年1月18日にシングル『ユーヴ・ガッタ・ハヴ・ラブ・ベイブ』をページ・ワン・レコードで録音した。
 結局バンドは、商業的な成功を得られなかったことなどから、翌67年に解散する。

 
 解散後、ハイズマンとヘクストール=スミスはジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズを経て、コロシアムを結成した。
 ボンドは1970年初頭にジンジャー・ベイカーズ・エア・フォースに加入している。



【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
  1965年 ザ・サウンド・オブ '65/The Sound of '65
  1965年 ゼアズ・ア・ボンド・ビトゥイーン・アス/There's a Bond Between Us
 ☆1988年 クルークス・クリーク/Live at Klooks kleek(recorded 1964.10)
 ★2012年 ウェイド・イン・ザ・ウォーター/Wade in the Water


【メンバー変遷】

 #1 1963
   グレアム・ボンド(organ)
   ジャック・ブルース(bass)
   ジンジャー・ベイカー(drums)

 #2 1963
   グレアム・ボンド(organ, sax)
   ジャック・ブルース(bass)
   ジンジャー・ベイカー(drums) 
   ジョン・マクラフリン(guitar)

 #3 1963~1965

   グレアム・ボンド(organ, sax)
   ジャック・ブルース(bass)
   ジンジャー・ベイカー(drums)
   ディック・ヘクストール=スミス(sax)

 #4 1966
   グレアム・ボンド(organ, sax)
   ジンジャー・ベイカー(drums)
   ディック・ヘクストール=スミス(sax)

 #5 1966~1967
   グレアム・ボンド(organ, sax)
   ジョン・ハイズマン(drums)
   ディック・ヘクストール=スミス(sax)


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ベック、ボガート&アピス

2022-08-22 15:35:45 | band

ベック、ボガート&アピス Beck Bogart & Appice
 

 1967年にデビューした「ヴァニラ・ファッジ」は、ティム・ボガート(bass)とカーマイン・アピス(drums)という強力なリズム・セクションを擁していた。このふたりのコンビネーションは、当時「ロック界屈指」と高く評価されていた。
 その頃「ジェフ・ベック・グループ」を率いていたジェフ・ベックは、ある日ヴァニラ・ファッジの「ショットガン」を聴き、大きな衝撃を受ける。このふたりと共演してみたいと思ったベックは、セルヴィル・シアターでのヴァニラ・ファッジの公演に行き、さらに強く共演を望むようになった。
 1969年8月、「ジェフ・ベック・グループ」は解散する。
 ちょうど同じ頃、ヴァニラ・ファッジもバンド内の不協和音が原因で解散することになり、これを契機にベック、ボガート、アピスの3人はロッド・スチュワートを加えて新グループを結成しようとする。
 スチュワートは最終的に「フェイセズ」に加入したことにより、ベック、ボガート、アピスはトリオとして活動するべく数度のセッションを行うが、同年11月2日にベックが運転中に交通事故を起こして全治3ヵ月の重傷を負ったため、このバンドの結成は頓挫した。


 ボガートとアピスは、1970年に「カクタス」を結成。
 ケガから回復したベックも「第2期ジェフ・ベック・グループ」を結成するが、やがてベックはボガートとアピスにこのバンドで演奏してほしいと連絡することになる。
 1972年7月、ジェフ・ベック・グループからクライヴ・チャーマン(bass)とコージー・パウエル(drums)が脱退すると、ボガートとアピスは後任としてグループに加入した。
 3人は、キム・ミルフォード(vocal)とマックス・ミドルトン(keyboard)を加え、「ジェフ・ベック・グループ」の名で1972年8月1日よりツアーを行うが、ミルフォードは「ステージ向きではない」との理由ですぐに解雇される。後任として、元ジェフ・ベック・グループのボブ・テンチ(vocal)が加入したが、テンチとミドルトンはツアーが終わるとバンドを脱退。
 新たなボーカリストとしてポール・ロジャース(元フリー)へ打診するもこれは実現せず、トリオ編成となったバンドは、名前を「ベック・ボガート&アピス」として、1972年9月に活動を開始する。
 1972年11月からレコーディングを始めた彼らは、1973年3月にファースト・アルバム『ベック・ボガート&アピス』(全米12位、全英28位)を発表。これは多くのロック・ファンに期待をもって迎えられた。





 スーパー・グループ「ベック・ボガート&アピス」(以下BB&A)の登場は、ロック界に衝撃を与え、メディアは「クリームやジミ・ヘンドリックス・エキスペリエンシス以来の強力なロック・トリオである」と絶賛した。


 1973年5月、BB&Aは日本公演を行う。14日日本武道館、16日名古屋市民会館、18~19日大阪厚生年金ホールというスケジュールであった。
 大阪での2日間の模様を収めたライヴ・アルバムが、1973年10月に日本限定で発表された『ベック・ボガート&アピス ライヴ・イン・ジャパン』(日本21位)である。
 日本から帰国後、ボガートがオートバイ事故で重傷を負ったため、その後のツアーは全てキャンセルとなる。
 1974年1月にはセカンド・アルバムの録音が始まったが、ベックとボガートの音楽的対立が深まったうえ、ボガートとアピスがベックと別行動をとるようになり、同年5月にこのトリオは自然消滅した。





 バンド消滅後、ジェフ・ベックは1975年にギター・インストゥルメンタル・アルバムの金字塔と言われている傑作アルバム「ブロウ・バイ・ブロウ」を発表。
 ボガートはセッション・ミュージシャンとして活動、1976年には「ボクサー」に参加している。
 アピスは1975年にマイク・ブルームフィールド(guitar)、レイ・ケネディ(vocal, sax)、リック・グレッチ(bass)、バリー・ゴールドバーグ(keyboard)と新バンド「KGB」を結成した。


 【活動期間】
   1972~1974年

 【メンバー】
   ジェフ・ベック/Jeff Beck (1944.6.24~   )
     vocals, organ, piano, guitar, bass  在籍=1972~1974
   ティム・ボガート/Tim Bogert (1944.8.27~2021.1.13)
     bass, vocals  在籍=1972~1974
   カーマイン・アピス/Carmine Appice (1946.12.15~   )
     drums, percussions, vocals  在籍=1972~1974
   

 【ディスコグラフィ】
  ☆アルバム
    1973年 ベック・ボガート&アピス/Beck, Bogert & Appice(全米12位、全英28位、日本22位)
    1973年 ベック・ボガート&アピス ライヴ・イン・ジャパン/Live in Japan *ライヴ・アルバム(日本21位)



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クリーム

2022-08-10 00:37:59 | band

クリーム Cream

 
 【活動期間】
   1966~1968年
   1993年
   2005年

 【メンバー】
   エリック・クラプトン/Eric Clapton (1945.3.30~   )
     vocals, guitar, 12strings-guitar  在籍=1966~1968
   ジャック・ブルース/Jack Bruce (1943.5.14~2014.10.25)
     vocals, bass, piano, organ, cello, a-guitar, harmonica, recorder  在籍=1966~1968
   ジンジャー・ベイカー/Ginger Baker (1939.8.19~2019.10.16)
     drums, percussions, vocals, spoken-word   在籍=1966~1968



 ブルースをベースにアドリブ主体の演奏を繰り広げ、ポップスやサイケデリック・ミュージックなどの要素も取り入れながら、新たなロックのスタイルを提示した、革新的かつ伝説のロック・トリオである。



 1962年、ジャック・ブルースはアレクシス・コーナーが主宰する「ブルース・インコーポレイテッド」に参加した。のち、このバンドにはジンジャー・ベイカーが加入し、ふたりはバンド・メイトとなる。しかしベイカーとブルースはこの当時からそりが合わず、たびたび衝突していたという。
 1963年、ブルースとベイカーは「グラハム・ボンド・トリオ」(のち「グラハム・ボンド・オーガニゼイション」)の結成に参加。
 間もなくブルースは脱退し、「マンフレッド・マン」を経て「ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズ」に加入、ここでエリック・クラプトンと短期間ではあるがバンド・メイトになる。
 1966年、グラハム・ボンド・オーガニゼイションでの活動に行き詰まりを感じていたベイカーは、クラプトンにバンドの結成を持ちかけた。クラプトンもブルースブレイカーズでの活動を窮屈に感じていたため、「ベースをジャック・ブルースにするなら」という条件でその提案を受けた。ベイカーはブルースと非常に仲が悪かった(この事実をクラプトンは知らなかったという)ためこの提案に驚いたが、結局ベイカーはこの条件を受け入れた。
 クラプトンはブルースブレイカーズを脱退し、3人は同年6月に「クリーム」を結成した。





 1966年7月31日、クリームは雨中の第6回ナショナル・ジャズ & ブルース・フェスティヴァルで衝撃のデビューを飾る。
 セカンド・アルバム「カラフル・クリーム」からはプロデューサーにアメリカ人ベーシストのフェリックス・パパラルディを起用、また詩人のピート・ブラウンとの共作曲が増えた。
 サード・アルバム「クリームの素晴らしき世界」は、2枚組であるにもかかわらず全米アルバム・チャートで1位となり、プラチナ・アルバムを獲得した。2枚組アルバムがプラチナ・アルバムとなったのは世界で初めてだった。
 「クリームの素晴らしき世界」はスタジオ録音とライヴ録音を1枚ずつ分けて収録しているが、ライヴ録音で聴くことのできる白熱の演奏はクリームの本質を表しているとして、いまなお絶賛されている。
 しかしベイカーとブルースの軋轢がもたらす緊張は解消不能なところまで大きくなり、1968年5月には解散することが決断された。同年11月26日にロイヤル・アルバート・ホールで行われたフェアウェル・コンサートが最後の公演である。
 解散後は、クラプトンとベイカーは「ブラインド・フェイス」を結成、ブルースはソロ・アルバムを発表する一方でトニー・ウィリアムスのユニット「ライフタイム」に参加した。


 1993年1月、クリームは「ロックンロール・ホール・オブ・フェイム」(ロックの殿堂)入りを果たし、その式典でクリームとして3曲演奏した。
 2005年には、5月にロイヤル・アルバート・ホールで、10月にはマディソン・スクエア・ガーデンで、再結成コンサートが行われ、世界中から注目された。


 音楽的に対等な位置関係にある3人が、ライヴで大音量でスリリングな即興演奏を展開する彼らのスタイルは、ロック・ミュージックや後続のミュージシャンに多大な影響を与えた。
 反面レコーディングではポピュラーな音作りを意識しており、これがより多くの音楽ファンに受け入れられた原因のひとつである。
 また彼らの音楽は、ハード・ロックのルーツのひとつであるとされる。
 クリームは、スーパー・グループのはしりであるとともに、彼らの登場によってロック・ミュージックはひとつのターニング・ポイントを迎えた。





 なおバンド名の「クリーム」は、当時のイギリスのミュージック・シーンでメンバーが3人とも「選りすぐりの者(cream of the crop)」と言われていたところから付けられたものである。
 
   

【ディスコグラフィ】
  ◆アルバム(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
   1966年 フレッシュ・クリーム/Fresh Cream(全米39位、全英6位)
   1967年 カラフル・クリーム/Disraeli Gears(全米4位、全英5位)
   1968年 クリームの素晴らしき世界/Wheels of Fire(全米1位、全英3位)
   1969年 グッバイ・クリーム/Goodbye(全米2位、全英1位)
  ☆1970年 ライヴ・クリーム/Live Cream(全米15位、全英4位)
  ☆1972年 ライヴ・クリームVol.2/Live Cream Volume 2(全米27位、全英15位)
  ☆2003年 BBCライヴ/Cream BBC(全英100位)
  ☆2005年 リユニオン・ライヴ 05/Royal Albert Hall London May 2-3-5-6 2005(全米59位、全英61位)
  ◆シングル
   1966年 包装紙/Wrapping Paper(全英34位)
   1966年 アイ・フィール・フリー/I Feel Free(全米116位、全英11位)
   1967年 ストレンジ・ブリュー/Strange Brew(全英17位)
   1967年 スプーンフル/Spoonful
   1968年 サンシャイン・ラヴ/Sunshine of Your Love(全米5位、全英25位)
   1968年 エニイワン・フォー・テニス/Anyone for Tennis(全米64位、全英40位)
   1968年 ホワイト・ルーム/White Room(全米6位、全英28位)
   1969年 クロスロード/Crossroads(全米28位)
   1969年 バッジ/Badge(全米60位、全英18位)
   1970年 ロウディ・ママ/Lawdy Mama(カナダ79位)
   2006年 サンシャイン・ラヴ/Sunshine of Your Love(オーストラリア31位)



   


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トラフィック

2022-08-06 18:31:50 | band

トラフィック Traffic


【活動期間】
  1967~1969年
  1970~1975年
  1994年


【メンバー】
 <keyboard, etc>
  スティーヴ・ウインウッド/Steve Winwood(vocals, organ, piano, guitar, bass)*在籍1967~1968, 1970~1975
  バリー・ベケット/Barry Beckett(organ)*在籍1973
  マイケル・マクエボイ/Michael McEvoy(keyboards, guitar, viola)*在籍1994
 <guitar>
  デイヴ・メイスン/Dave Mason(vocals, guitar, sitar, bass)*在籍1967~1968
 <woodwins, etc>
  クリス・ウッド/Chris Wood(flute, sax, keyboard)*在籍1967~1968, 1970~1975
  ランドール・ブラムレット/Randall Bramblett(flute, sax, keyboards)*在籍1994
 <drums, percussion>
  ジム・キャパルディ/Jim Capaldi(drums, percussions, vocals)*在籍1967~1968, 1970~1975
  ジム・ゴードン/Jim Gordon(drums)*在籍1971~1972
  ロジャー・ホーキンズ/Roger Hawkins(drums)*在籍1972~1973
  リーバップ・クワク・バー/Rebop Kwaku Baah(percussion)*在籍1971~1974
  ウォルフレッド・レイエス・ジュニア/Walfredo Reyes Jr.(percussions, drums)*在籍1994
 <bass>
  リック・グレッチ/Rick Gretch(bass)*在籍1970~1971
  デヴィッド・フッド/David Hood(bass)*在籍1972~1973
  ロスコ・ジー/Rosko Gee(bass)*在籍1974, 1994


 「トラフィック」は、「スペンサー・デイヴィス・グループ」を脱退したスティーヴ・ウィンウッドが、コマーシャルになってゆくスペンサー・デイヴィス・グループにはない音楽性を求めて、1967年4月に結成したバンドである。


 ウィンウッドは、スペンサー・デイヴィス・グループの衣装デザインを担当していたステファニー・ウッドを通じて知り合った彼女の兄クリス・ウッド、ウィンウッドの出身地バーミンガムのクラブで知り合ったジム・キャパルディ、スペンサー・デイヴィス・グループのローディーだったデイヴ・メイスン(元ディープ・フィーリング)とともに、1967年春に新たなバンドを組んだ。
 「トラフィック」と名付けられたこのバンドは、アイランド・レコードの創設者であるクリス・ブラックウェルの手配で、バークシャー州のアシュトン・タイロード近くのバークシャー・ダウンズにある人里離れたコテージに引っ越す。電気や水道すらなかったこのコテージには発電機が持ち込まれ、屋外ステージが建てられた。ここで数ヵ月をリハーサルに費やした彼らは、1967年6月にシングル『ペイパー・サン』(全英4位)でレコード・デビューを果たした。同年10月にはデビュー・アルバム『ミスター・ファンタジー』をリリースし、これを全英8位に送り込んだ。
 トラフィックは、ヒッピー・ムーヴメントの萌芽期だった当時のサブ・カルチャーであるヒッピー、ドラッグ、インド指向、サイケデリックなどの影響を大きく受けながら、多様な音楽性を吸収昇華しようとする実験的な面も持っており、ちょうど時代がマージー・ビートからアート・ロックあるいはニュー・ロックへ移行するのに大きな後押しをしたと言えよう。


 しかし1968年初頭に方向性の相違からデイヴ・メイスンが脱退。
 メイスンは、セカンド・アルバム『トラフィック』のレコーディングにはバンド側からの依頼で復帰したが、同アルバムの発表(1968年10月)後に再び脱退、そしてその後みたび復帰する。
 その後間もなく、今度はウィンウッドが脱退し、エリック・クラプトン、ジンジャー・ベイカーリック・グレッチとスーパー・グループ「ブラインド・フェイス」を結成する。
 このため、トラフィックは2枚のアルバムを残して1968年12月に解散した。
 なお解散後の1969年5月には、ライヴ録音とスタジオ録音の両方を収録したサード・アルバム『ラスト・イグジット』がリリースされた。





 1969年秋にブラインド・フェイスが解散すると、ウインウッドは「ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース」に加入、また並行してソロ・アルバム『マッド・シャドウズ』の制作に着手する。この時音楽的志向が似ているとしてジム・キャパルディに協力を求めたことがきっかけとなり、クリス・ウッドを加えた3人で、1970年3月にトラフィックとして再び活動を始めた。『マッド・シャドウズ』はタイトルを『ジョン・バーレイコーン・マスト・ダイ』と改め、トラフィックの再スタート第1弾アルバムとして1970年7月にリリースされた。なお、『マッド・シャドウズ』は、プロデューサーのガイ・スティーブンスが同時期にプロデュースしていたモット・ザ・フープルのセカンド・アルバムのタイトルとなった。
 この後ベースにリック・グレッチを加えたトラフィックは、1971年にライヴ・アルバム『ウェルカム・トゥ・ザ・キャンティーン』をリリースしているが、このアルバムにはデイヴ・メイスンが加わっている。
 1973年1月には、マッスル・ショールズの腕利きスタジオ・ミュージシャンとして知られるロジャー・ホーキンズ、デヴィッド・フッド、バリー・ベケットがバンドに加入した。
 1974年にベースがロスコ・ジー(元ゴンザレス)に交替し、9月には結果的にラスト・アルバムとなる『ホエン・ジ・イーグル・フライ』を発表。
 第2期トラフィックは1975年に入って間もなく活動を停止するまでに、スタジオ・アルバム5枚、ライヴ・アルバム1枚を残しているが、この時期にはトラディショナル・フォークやジャズのみならずブラック・ミュージックやワールド・ミュージックなどにも接近し、実験的要素を強めながら個性的な音楽を生み出し、ロック・シーンにその存在を強く印象づけた。


 1975年にトラフィックを解散させたウィンウッドは、ツトム・ヤマシタのプロジェクト「ゴー」に参加したのち、ソロ活動を行っている。
 1994年、ウィンウッドとキャパルディはトラフィックを再々結成。5月にアルバム『ファー・フロム・ホーム』をリリースしたほか、「ウッドストック1994」へも出演した。
 2004年、トラフィックは「ロックの殿堂」入りを果たした。授賞式にはウィンウッドとキャパルディ、メイスンの三人が出席した。この時に「フィーリン・オールライト」を演奏したが、オリジナル通りメイスンにベースを弾かせようとしたウィンウッドと、ギターを弾くことを望んだメイスンが対立したため、結局メイスンはステージには上がらなかった。



【ディスコグラフィ】☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム

 <アルバム>
   1967年 ミスター・ファンタジー/Mr. Fantasy(US88位, UK16位)
   1968年 トラフィック/Traffic(US17位, UK9位)
 ★☆1969年 ラスト・イグジット/Last Exit(US19位)
  ★1969年 ベスト・オブ・トラフィック/Best of Traffic(US48位)
   1970年 ジョン・バーレイコーン・マスト・ダイ/John Barleycorn Must Die(US5位, UK11位)
  ☆1971年 ウェルカム・トゥ・ザ・キャンティーン/Welcome to the Canteen(US26位)
   1971年 ザ・ロウ・スパーク・オブ・ハイヒールド・ボーイズ/The Low Spark of High Heeled Boys(US7位)
   1973年 シュート・アウト・アット・ザ・ファンタジー・ファクトリー/Shoot Out at the Fantasy Factory(US6位)
  ☆1973年 オン・ザ・ロード/On The Road(US29位, UK40位)
   1974年 ホエン・ジ・イーグル・フライ/When the Eagle Flies(US9位, UK31位)
   1994年 ファー・フロム・ホーム/Far from Home(US33位, UK29位)
  ☆2005年 ザ・ラスト・グレイト・トラフィック・ジャム/The Last Great Traffic Jam *ライヴCD & DVD

 <シングル>
   1967年 ペイパー・サン/Paper Sun(US94位, UK5位)
   1967年 ホール・イン・マイ・シュー/Hole in My Shoe(UK2位)
   1967年 ヒア・ウイ・ゴー・ラウンド・ザ・マルベリー・ブッシュ/Here We Go Round the Mulberry Bush(UK8位)
   1968年 ノー・フェイス、ノー・ネーム・アンド・ノー・ナンバー/No Face, No Name and No Number(UK40位)
   1968年 フィーリン・オールライト/Feelin' Alright(US123位, UK51位)
   1968年 メディケイテッド・グー/Medicated Goo
   1970年 エンプティ・ページズ/Empty Pages(US74位)
   1971年 ギミ・サム・ラヴィン/Gimme Some Lovin' (Part 1)/(US68位)
   1971年 グラッド/Glad
   1972年 ロックンロール・ステュ/Rock and Roll Stew(US93位)
   1974年 ウォーキング・イン・ザ・ウィンド/Walking in the Wind
   1994年 ヒア・カムズ・ア・マン/Here Comes a Man(UK87位)
   1994年 サム・カインダ・ウーマン/Some Kinda Woman(UK81位)



【メンバー変遷】
 #1(1967~1968)
  スティーヴ・ウインウッド(vocal, keyboard, guitar)→ Blind Faith
  デイヴ・メイスン(guitar)→ Mason, Capaldi, Wood & Frog
  クリス・ウッド(flute, sax)→ Mason, Capaldi, Wood & Frog
  ジム・キャパルディ(drums, vocal)→ Mason, Capaldi, Wood & Frog

 #2(1970)
  スティーヴ・ウインウッド(vocal, keyboard, guitar, bass)
  クリス・ウッド(flute, sax)
  ジム・キャパルディ(drums, vocal)

 #3(1970~1971)
  スティーヴ・ウインウッド(vocal, keyboard, guitar)
  クリス・ウッド(flute, sax)
  ジム・キャパルディ(drums, vocal)
  リック・グレッチ(bass ex. Ginger Baker's Air Force)

 #4(1971)
  スティーヴ・ウインウッド(vocal, keyboard, guitar)
  クリス・ウッド(flute, sax)
  リック・グレッチ(bass)→ KGB
  ジム・キャパルディ(drums, vocal)
  ジム・ゴードン(drums ex.Derek & Dominos)
  リーバップ・クワク・バー(percussion)

 #5(1972~1973)
  スティーヴ・ウインウッド(vocal, keyboard, guitar)
  クリス・ウッド(flute, sax)
  デヴィッド・フッド(bass)
  ジム・キャパルディ(drums, vocal)
  ロジャー・ホーキンス(drums)
  リーバップ・クワク・バー(percussion)

 #6(1973)
  スティーヴ・ウインウッド(vocal, guitar)
  ジミー・ジョンソン(guitar)
  クリス・ウッド(flute, sax)
  バリー・ベケット(keyboard)
  デヴィッド・フッド(bass)
  ジム・キャパルディ(drums, vocal)
  ロジャー・ホーキンス(drums)
  リーバップ・クワク・バー(percussion)

 #7(1973)
  スティーヴ・ウインウッド(vocal, guitar)
  クリス・ウッド(flute, sax)
  ロスコ・ジー(bass)
  ジム・キャパルディ(drums, vocal)
  リーバップ・クワク・バー(percussion)→ Can

 #8(1973~1974)
  スティーヴ・ウインウッド(vocal, guitar)
  クリス・ウッド(flute, sax)
  ロスコ・ジー(bass)→ Can
  ジム・キャパルディ(drums, vocal)

 #9(1994)
  スティーヴ・ウインウッド(vocal, keyboard, guitar, bass)
  マイケル・マクエボイ(keyboards, guitar, viola)
  ランドール・ブラムレット(flute, sax, keyboards)
  ロスコ・ジー(bass)
  ジム・キャパルディ(drums, vocal)
  ウォルフレッド・レイエス・ジュニア(percussions, drums)


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マクドナルド & ジャイルズ

2022-08-01 18:27:13 | band

マクドナルド & ジャイルズ (McDonald & Giles)

 
 キング・クリムゾンの結成メンバーであったイアン・マクドナルドマイケル・ジャイルズは、1969年12月にキング・クリムゾンを脱退する。
 新たなメンバーが決まらないクリムゾンは活動が滞ってしまい、これを危惧したロバート・フリップはマイケルにゲストとして短期のサポートを依頼した。
 マイケルはこれを受け、実弟のピーター・ジャイルズとともに、1970年1月~4月にかけて行なわれたクリムゾンのセカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』のレコーディングに参加する。
 レコーディング終了後、ジャイルズ兄弟はイアン・マクドナルドと合流し、ここに「マクドナルド & ジャイルズ」が誕生した。
 マクドナルド & ジャイルズのスタジオ・ワークは1970年5月から約2ヵ月にわたって行われ、同年11月にファースト・アルバム『マクドナルド & ジャイルズ』を発表したが、間もなくこのバンドは自然消滅した。
 

 【活動期間】1970年

 【メンバー】
   イアン・マクドナルド/Ian McDonald(guitar, piano, organ, sax, flute, clarinet, vocal)
   マイケル・ジャイルズ/Michael Giles(drums, percussions, vocal)
   ピーター・ジャイルズ/Peter Giles(bass)

 【ディスコグラフィ】
   マクドナルド & ジャイルズ/McDonald & Giles(1970年発表)


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