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スティーヴ・プリースト

2025-01-09 02:19:28 | bass

スティーヴ・プリースト Steve Priest

 【本 名】
   スティーヴン・ノーマン・プリースト/Stephen Norman Priest

 【パート】

   ベース、ヴォーカル 

 【生没年月日】
   1948年2月23日~2020年6月4日(72歳没)

 【出生地】
   イングランド ミドルセックス州ヘイズ

 【経 歴】
   ザ・スウィートショップ/The Sweetshop(1968)
   ザ・スウィート/The Sweet(1968~1973)
   スウィート/Sweet(1973~1981)
   アリーズ/Allies(1985)
   スティーヴ・プリースツ・スウィート/Steve Priest's Sweet(2008~)


 スティーヴ・プリーストは、イングランドのロック・バンド「スウィート」のオリジナル・メンバーで、ベーシストである。

 イングランド南東部のミドルセックス州ヘイズで生まれたプリーストは、子供の頃は教会の聖歌隊に参加していたが、やがてシャドウズのベーシストであるジェット・ハリス、ローリング・ストーンズ、ザ・フーなどの音楽に影響されるようになる。
 10代の頃にはベース・ギターを自作するまでになっており、ローカル・バンドでベーシストとして活動するようになった。
 その後「ジ・アーミー」というバンドのベーシストを務めていたが、ブライアン・コノリー(vocal)、ミック・タッカー(drums)、フランク・トーピー(guitar)というメンバーで1968年1月に結成された「ザ・スウィートショップ」から声をかけられ、加入する。
 スウィートショップは1968年3月にデビューしたが、イギリスの別のバンドが「Sweetshop」というタイトルのシングル・レコードをリリースしたため、バンドは「ザ・スウィート」と名を改めた。
 ザ・スウィートは1968年7月にデビュー・シングル「スロー・モーション」をリリースしたが、これは全く売れなかった。
 1969年にトーピーが脱退し、代わりにミック・スチュワート(guitar)が加入。その後パーロフォンに移籍して3枚のシングル・レコード(「Lollipop Man」「All You'll Ever Get from Me」「Get on the Line」)をリリースしたが、鳴かず飛ばずであった。
 1970年8月にはスチュワートの後任としてアンディ・スコット(guitar)が加入するが、これがバンドにとってのターニング・ポイントになる。

 バンドはマイク・チャップマンとニッキー・チンをマネージメント兼コンポーザー・チームとして迎え、RCAと契約を結ぶ。そして心機一転、1971年にシングル「
ファニー・ファニー」をリリースすると、これが全英13位、オランダとスウェーデンでは1位となる大ヒットを記録したのである。
 音楽的にはポップなメロディーを持つバブルガム・サウンド、ビジュアル的には煌びやかでグラム・ロックの要素を前面に押し出したザ・スウィートは、ティーンエイジャーから大きな支持を集め、一躍人気バンドに成長した。
 ザ・スウィートは「ファニー・ファニー」以後も「ヘル・レイザー」「ブロックバスター」「ロックンロールに恋狂い」「ティーンエイジ・ラムペイジ」など全英トップ10ヒットを連発、ヨーロッパ諸国でも大きなセールスを記録した。またアメリカでは「リトル・ウィリー」が1972年に3位の大ヒットを記録してミリオン・セラーとなったほか、1973年の「ボールルーム・ブリッツ」が5位となっている。
 1973年、バンドは名称を「ザ・スウィート」から「スウィート」に変更。



 しかしスウィートはアイドル・バンドとして扱われることに満足しておらず、バンドの主導で音楽を制作したいと強く願うようになり、チャップマン&チンとは距離を置いてハード・ロック・サウンドへシフト。こうしてリリースした「フォックス・オン・ザ・ラン」と「アクション」はアメリカのヒット・チャートを席捲した。
 1975年、「フォックス・オン・ザ・ラン」を収録したアルバム「荒廃の街角」が発表される。このアルバムにはチャップマン&チンも関わっていたが、バンドのセルフ・プロデュース曲も含んでおり、全米アルバムチャート25位を記録。スウィート唯一のゴールド・アルバムを獲得している。
 この成功により自信をつけた彼らは、チン&チャップマンと袂を分かち、1976年に初めて全曲4人の共作によるオリジナルで構成したアルバム「甘い誘惑」を発表。このアルバムは全米27位のヒットを記録している。

 ポップなハード・ロック・バンドとして認められたスウィートは、1970年代半ばが全盛期である。ザ・フーのピート・タウンゼントもスウィートを高く評価していたほか、日本では一時クイーンのライバルと見なされるほどの人気を誇った。 
 プリーストとミック・タッカー(drums)が組んだリズム・セクションは非常に強力で、スウィートのハードなサウンドの礎であり、その安定した演奏はバンドを支え続けた。

 しかし1977年を境にスウィートは徐々に勢いを失う。1978年にリリースしたシングル「愛が命」は全英9位、全米8位を記録したが、これがスウィートの最後の全英チャートトップ100シングルとなった。
 1978年11月にはリード・ヴォーカリストのブライアン・コノリーが脱退(発表されたのは1979年2月)し、ソロ活動を開始する。
 コノリー脱退後のスウィートは、プリーストがリード・ヴォーカルを兼ね、ロック・トリオとして活動を継続することを決めた。そしてキーボード奏者のゲイリー・モバーリー(Gary Moberley)をサポートに加えて、1979年にシングル「コール・ミー」をリリースする。
 1979年12月26日、ミック・タッカーのポーリーン夫人が自宅浴室で死亡。これを受けてスウィートは1980年の全てのツアーをキャンセルした。1981年にイギリスで短いツアーを行ったが、1981年3月20日のグラスゴー大学でのライヴを最後に、同年解散した。


 
 スウィート解散後のプリーストは1980年代半ばにニューヨークに渡り、マルコ・デルマー(guitar)、スティーヴ・ミサル(drums)と「アリーズ」(Allies)を結成する。彼らが制作した曲「トーク・トゥ・ミー」は、映画「ファーストフード」で取り上げられたものの、バンドとして成功するまでには至らなかった。
 1985年、
プリーストはロサンゼルスに移住。
 この年アンディ・スコットが結成した「アンディ・スコッツ・スウィート」への参加を打診されたが、これを辞退。
 1988年にはスウィートのオリジナル・メンバーを集め、マイク・チャップマンのプロデュースでデモ・セッションを行い、再結成の可能性を探ったが、この計画は実現しなかった。
 1994年、自伝「アー・ユー・レディ、スティーヴ?」を出版。そのタイトルは「ボールルーム・ブリッツ」のイントロで聞こえるコノリーの掛け声から取られたものである。

 プリーストはその後もロサンゼルスを拠点に音楽制作やセッション・ワークを行っていたが、2008年1月に「スティーヴ・プリースツ・スウィート」を結成し、2009年にはライヴ・アルバムをリリースした。プリーストはカナダとアメリカで、アンディ・スコットはイギリスとオーストラリアで「スウィート」の名前とロゴを所有し、それぞれの「スウィート」で活動を続けた。
 晩年は妻とふたりの娘とともにカリフォルニア州ラ・カニャーダ・フリントリッジで暮らしていたが、2020年6月4日に72歳で死去。死因は公表されていない。
 死後はカリフォルニア州グレンデールのフォレスト・ローン記念公園に埋葬された。



【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)

 <アルバム>
  1971年 Funny Funny, How Sweet Co-Co Can Be(フィンランド1位)
 ★1972年 The Sweet's Biggest Hits(フィンランド3位)
 ★1973年 ブロックバスター/The Sweet(US191位)
  1974年 スイート・ファニー・アダムス/Sweet Fanny Adams(UK27位 ドイツ2位 スウェーデン4位 オーストリア6位 フィンランド9位)
  1975年 荒廃の街角(旧邦題:危険なブールヴァード)/Desolation Boulevard(US25位 スウェーデン2位 カナダ5位 フィンランド9位 ドイツ9位)
☆★1975年 ライヴ・アンド・ベスト/Strung Up(スウェーデン4位 オーストリア10位 オーストラリア10位)
  1976年 甘い誘惑/Give Us A Wink(US27位 スウェーデン3位 ドイツ9位)
  1977年 明日なき青春/Off The Record(US151位 オーストリア5位)
  1977年 The Golden Greats
  1978年 甘い罠/Level Headed(US52位)
  1979年 標的/Cut Above The Rest(US151位)
  1980年 Water Edge
  1982年 Identity Crisis

 <シングル>
  1968年 スロー・モーション/Slow Motion
  1969年 The Lollipop Man
  1970年 All You'll Ever Get from Me
  1970年 Get on the Line
  1971年 ファニー・ファニー/Funny Funny(UK13位)
  1971年 コ・コ/Co-Co(UK2位 US99位)
  1971年 アレキサンダー・グラハム・ベル/Alexander Graham Bell(UK33位)
  1972年 ポパ・ジョー/Poppa Joe(UK11位)
  1972年 リトル・ウィリー/Little Willy(UK4位 US3位)
  1972年 ウィグワム・バム/Wig-Wam Bam(UK4位)
  1973年 ブロック・バスター/Block Buster!(UK1位 US73位)
  1973年 I'm on My Way
  1973年 ヘル・レイザー/Hell Raiser(UK2位)
  1973年 It's Lonely Out There
  1973年 ロックン・ロールに恋狂い/Ballroom Blitz(UK2位 US5位)
  1974年 ティーンエイジ狂騒曲/Teenage Rampage(UK2位)
  1974年 初恋の16才/The Six Teens(UK9位)
  1974年 Turn It Down(UK41位)
  1974年 ペパーミント・ツイスト/Peppermint Twist
  1975年 フォックス・オン・ザ・ラン/Fox on the Run(UK2位 US5位)
  1975年 アクション/Action(UK15位 US20位)
  1976年 恋はだましあい/The Lies in Your Eyes(UK35位)
  1976年 7月4日/4th of July
  1976年 ロスト・エンジェル/Lost Angels
  1977年 愛の炎/Fever of Love
  1977年 Stairway to the Stars
  1977年 ファンクでいこう/Funk It Up(David's Song)(US88位)
  1978年 愛が命/Love Is Like Oxygen(UK9位 US8位)
  1978年 カリフォルニア・ナイツ/California Nights(US76位)
  1979年 コール・ミー/Call Me
  1979年 マザー・アース/Mother Earth
  1979年 ビッグ・アップル・ワルツ/Big Apple Waltz
  1980年 Give the Lady Some Respect
  1980年 Sixties Man
  1982年 Falling in Love
  1984年 It's It's…The Sweet Mix(UK45位)
  1985年 Sweet 2th - The Wigwam Willy Mix(UK85位)


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