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キース・ベイカー

2024-11-11 11:21:43 | drums

キース・ベイカー Keith Baker


 【パート】

   ドラムス 

 【生没年月日】
   1948年4月19日~

 【出生地】
   バーミンガム

 【経 歴】
   スキン・ディープ/Skin Deep(1964~1966)
   コック・ア・フープ/Cock A Hoop(1966~1968)
   ベイカールー/Bakerloo(1969)
   メイ・ブリッツ/May Blitz(1969)
   ダディ/Daddy(1969~1970)
   ユーライア・ヒープ/Uriah Heep(1970)
   オフ・ザ・カフ/Off The Cuff(1993)


 キース・ベイカーは、ユーライア・ヒープの3代目ドラマーである。

 1964年、「スキン・ディープ」というバンドに加入し、本格的な音楽活動を開始する。
 1966年に「コック・ア・フープ」というローカル・バンドに加入し、ここでデイヴ・"クレム"・クレムソン(guitar)と出会う。

 1968年にコック・ア・フープから離脱すると、1969年2月にクレム・クレムソン率いるジャズ・ロック・バンド「ベイカールー」に加入。
 その後ハーヴェストと契約したベイカールーはさっそくレコーディングに取りかかり、同年7月にデビュー・シングル「Driving Bachwards」をリリースする。デビュー・アルバム「ベイカールー」も制作されたが、9月になるとベイカーはテリー・プール(bass)とともにベイカールーを脱退する。デビュー・アルバムは、ベイカー脱退後の同年11月になってリリースされた。
 ちなみに、バンド名からベイカールーはキース・ベイカーのバンドと受け取られることもあったようだが、バンド名はロンドンの地下鉄路線のひとつ、「ベイカールー・ライン」から取られたもの。オリジナル・メンバーはクレム・クレムソン、テリー・プール、ジョン・ヒンチ(drs のちジューダス・プリースト)で、3代目ドラマーがキース・ベイカーである。

 ベイカールー脱退後間もなく、プールとともにカナダ人ギタリストのジェームズ・ブラックと出会い意気投合、1969年10月に「メイ・ブリッツ」を結成したが、リハーサルを行ったのみですぐに脱退した。
 1969年末頃には、リック・デイヴィス(keyboard)、ロジャー・ホジソン(bass, vocal)、リチャード・パーマー(guitar, vocal)とともに、「スーパートランプ」の前身である新たなバンド「ダディ」を結成するが、1970年1月に脱退。

 1970年4月、ナイジェル・オルソンの後任を探していた「ユーライア・ヒープ」のオーディションを受け、採用される。ベイカーはバンドのファースト・アルバム「ユーライア・ヒープ・ファースト」の制作に参加し、「肉食鳥」でのみドラムを叩いた。「肉食鳥」は「ユーライア・ヒープ・ファースト」からのシングル「ジプシー」のB面として発表された。ただしイギリス盤のアルバムには収録されておらず、アメリカ盤に収録されている。
 アルバムのリリースと前後して、ツアーやセカンド・アルバム「ソールズベリー」の録音に参加したが、大規模なツアーには参加したくないという理由で、1970年11月にはバンドから離脱している。後任はイアン・クラーク

 その後、長らく音楽シーンから姿を消していたが、1993年に元ユーライア・ヒープのポール・ニュートン(bass)らと「オフ・ザ・カフ」を結成して音楽活動に戻った。2000年代に入ってからはユーライア・ヒープ関連のイベントなどに参加、元気な姿を見せている。

 ※生年月日は、資料によっては1948年4月14日、1950年4月17日などと表記されている。


【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)

 <ベイカールー>
  1969年 ベイカールー/Bakerloo

 <ユーライア・ヒープ>
  1970年 ユーライア・ヒ-プ・ファースト/Very 'eavy... Very 'umble US186位, 日本41位
  1971年 ソールスベリー/Salisbury US103位, 日本47位


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