8月6日は、広島に原爆が落とされた日です。
広島に住んでいて、祈念式典には出たことはないのですが、毎年、8月6日は、特別の日として、自分の中にあります。
人が人を殺すというのは、日常を超えたことですから、ほとんどの人は、人を殺しません。
でも、戦争は違います。そして、どんどん科学が発達してくると、ますます人を殺すことが簡単になっていきます。原爆は、私にとっての、科学が人を殺すことが簡単になることの象徴です。
だから、原爆の日は、いつも心にとどめています。何も行動は起こさないとしても。
高校3年生だったと思いますが、広島で、べ兵連のデモがありました。それに参加しました。
30代で、一度、原爆の日のあたりで、平和集会に参加しました。
自分の意思を表現したのは、それだけです。
何もしなかったといえる一生でしたが、でも、心の中は、いつも人が人として、平和で公平な日々を過ごせることを、強く願ってきました。
今年も何もしない原爆の日ですが、私の願いは、すべての人が幸せであることです。
戦争もそうですし、また大きな力によって、人間が思う通りの人生を歩めなくなるのは、酷いことですね。
この他の力、例えば徴兵、海外移住とか、また水俣病、原発とか、国が関与することが多いですね。
私は あまり深く考えることは苦手なのですが、国家が関与するところには、犠牲が多いような気がして、手放しでは信用していません。
犠牲になられた人々の苦しみは私には想像しても及びません。
数年前にアルゼンチンの日系の方が見えて、祖父、祖母が入植当時どれほど苦労したかという話をしてくれました。
国は、自分の国がどういう国であるべきか、そういう理想を持っていなくてはと思います。政治家や行政の意識がとても低いと、いつも思います。
国民のことを考えられる人たちが、政治家になり、行政を扱うようになれば良いのに、と思っています。