人は、自分の愛するものに対して、その存在の根本のところまで深く降りていき、その存在そのままを愛するようになると思います。
人がだれかを愛するとき、それは誰にも見えている姿ではなく、その愛する者の姿を知っているものだけが見える姿を愛しているのだと思うのです。
今、私には、施設に入所している夫がいます。96才になる母と一緒に暮らしています。そして、ヨークシャーテリアのチャーリーがいます。
私の家族は、今、自分一人で生活できるものはおりません。夫は、脳も体も健康とは言えず、母は自分の日々の生活はできますが、高齢なので、いろいろな助けが必要です。そして、チャーリーも日々の生活を助けてやらなくてはなりません。
もし、私が死を迎えた時、母は妹が一緒に生きていってくれると思いますから、それはちょっと安心です。
夫は、施設の方々に、どんなふうに受け止められているのでしょう。私の知っている夫を知っている人は、多分いらっしゃらないでしょうから、夫は不幸になるだろうと思います。
誰も自分を知っていないと分かれば、きっと不幸になるだろうと思うのです。
でも、夫と母は人間ですから、様々な助けもあるでしょうし、自分でも想像力を持っていると思います。
私が一番心配しているのは、チャーリーのことです。チャーリーは、今は犬というより、人間に近い存在になっています。
言葉も、音を少し覚えるのか、わかるように思えます。心の動きも、私にわかるように動きます。
チャーリーは、私の存在を分かっているように思えるし、私に対して働きかけたりもします。
それが、私の死後、ただ犬としてだけ扱われたとしたら、どんなに傷つくことでしょう。
私はこの頃、そういうことを考えるようになりました。できるだけ、私が長生きをして、夫や母や、チャーリーと一緒に暮らしたいと思うのです。
私は病気にかかっていますから、病気のせいで、足がしびれて痛み、薬の副作用か、それとも何かわからない理由かで、いつもいろいろなところが痛みます。
体が痛いときは、もうあまり長生きできないだろうと思うこともあります。あまり痛いと、それがずっと続くとしたら、生きているのがいやだと思うこともあるのです。
でも、家族のことを思うと、やっぱり一緒に生きていたいなーと思います。
ちょっとでもいいから、家族よりも長生きできるといいと思っているこの頃です。
たかがペット されどペット
我が家にも ニャンコ がいます。 妻が可愛がっており、毎朝自分のことを オカンと呼べと言って 抱きしめてます。その後 ペットフードが欲しいときは、グワン グワンと鳴きなさいと言って躾?ています。 最近は なんとなくそう聞こえるようになってます。
最近の川柳の中に、女性が 夫が亡くなった時よりペットは無くなったときのほうが悲しんでいた、というようなのがあったかな?
我が家もそうかなと思うと、ペットにも焼きもちを感じますね。
ちなみに karisonとは 我が家のペット ニャンコの名前です。
男心です!
ヨークシャーテリアのワンちゃん、うちにもいました。犬との暮らしの時代も終わりました。今の母との暮らしを大事にしたい、、とブログを拝見して思いました。
奥さまのお気持ち、よくわかります。私も、チャーリーに、「ママと呼んで」と毎日言っています。時々「ママ、と呼んだんじゃない?」と妹と大騒ぎしています。チャーリーは、いったい何なんだろうという顔をしていますが。
楽しい日もあり、時々怒ったりしている日もあり、あまり口をきかない日もあったりして、でも、母も私も、一緒に暮らせてよかったと思っています。
ご主人とは、早くおわかれになったのですね。私も、夫が生きていてくれることを感謝しています。「夫と暮らした家、庭が大好きです。」とおっしゃるお気持に感動しました。
お互い、元気で、これからを生きていきましょう。
でも、愛した人がいるのなら、それはとても幸せなことだと思います。それだけで、生きていてよかったと思えるのではないでしょうか。
ご自分の中に確かな存在を持っていらっしゃるのを感じて、お幸せな人生を生きられたのだろうと思いました。