講道館柔道の初段を持っているおらっちです。こんばんは。
これからは、「黒帯ミュージシャン」と呼んでください。
オリンピックは、どちらかといえば冬季五輪の方が好きだったりするんですが、夏のオリンピックも、柔道は絶対に見ますね。
しかし、柔道がどんどんつまらない方向に向かっています。これはもはや「武道」ではなく「マーシャルアーツ」です。「柔道」ではなく「JUDO」。
全然別のスポーツですな。
異例の逆転旗判定 「柔道精神守る」審判委員長判断 ロンドン五輪(産経新聞) - goo ニュース
昨日のこの試合をご覧になった方も多いと思いますが、もう、畳の上に審判がいる必要ないでしょ、こうなったら。
「ジュリー」ってなんだよ!
「勝手にしやがれ」かよ!
壁際に寝返りうってる間に、判定が覆ってしまいました。
これは相手の韓国選手にも失礼千万。
この大会のために4年間、ストイックに己を鍛え続けてきた選手に対して、正しいジャッジが下せないというのは、大会の今後の存続に関わりますよ。
さて、本来の柔道は、一本を取りにいくことが目的のスポーツ(←スポーツと表現するのもどうかとは個人的に思うんですが)なんですね。
その一本を取りに行った技が不十分ならば、その不十分さ加減によって、技あり、有効、効果と、いわば「減点」してポイントが入るものなんですよ。
でも、今のJUDOを見ていると、完全に細かくポイントを取ることがメインになってきてしまっている。
技として不十分でも、効果や有効を狙ってちょこちょこと技をかける。
そして、試合後半に自分がリードを取っていると、技をかけるそぶりを見せながら、完全に防御の体制に入ってしまう(もちろん、それを避けるために「指導」というポイントや「かけ逃げ」という反則もあるのだが)。
日本で生まれ育ったスポーツを国際化するという方向は、とてもいいことだとは思うけど、その根底に脈々と流れる、「わび・さび」とか「武士道」とか「礼儀」とか、そういうものを排除する方向で、ただ単に分かりやすいスポーツとして発展してしまうのならば、日本は独自に「柔道」を発展させるべきだと思います。
「JUDO」に迎合することはないんですよ。
柔道経験者として、一番気になるのが「柔道着」。
日本人選手は柔道着が乱れたら直します。きちっと直します。
でも、他国の選手はそのまま続行するでしょ。
審判が「直せ」と指示して初めてちょちょっと直すけど、帯がしっかり締まっていなかったり、胸がはだけていたりする。
柔道着をきちっと着ると、襟とか袖とか帯とか、相手が取りやすくなるんですね。
でも、そこが「正々堂々」なんですよ。
自分も相手もイーブンな状態で、「かかってきなさい」というのが柔道なんですよ。
そういう精神が海外には伝わっていないのが残念。
ちょっと着崩すと、相手は袖とか取りづらくなるわけです。
自分にアドバンテージがつくんですよね。だから、少しでも着崩す。
「世界に武士道を広げよう」なんて強引なことは言いません。
でも、日本の武術を世界に広めようというのであれば、そういう「形」ではなく「精神」を広めないと全く意味がないと思うわけです。
ただ、今、オリンピックで頑張っている選手に非はありません。
正々堂々と、晴れの舞台で、悔いのないように戦って欲しいと思います。
Mizuki Ashida
■公式ホームページ■
Be With Love ~Welcome to Mizuki's home~
これからは、「黒帯ミュージシャン」と呼んでください。
オリンピックは、どちらかといえば冬季五輪の方が好きだったりするんですが、夏のオリンピックも、柔道は絶対に見ますね。
しかし、柔道がどんどんつまらない方向に向かっています。これはもはや「武道」ではなく「マーシャルアーツ」です。「柔道」ではなく「JUDO」。
全然別のスポーツですな。
異例の逆転旗判定 「柔道精神守る」審判委員長判断 ロンドン五輪(産経新聞) - goo ニュース
昨日のこの試合をご覧になった方も多いと思いますが、もう、畳の上に審判がいる必要ないでしょ、こうなったら。
「ジュリー」ってなんだよ!
「勝手にしやがれ」かよ!
壁際に寝返りうってる間に、判定が覆ってしまいました。
これは相手の韓国選手にも失礼千万。
この大会のために4年間、ストイックに己を鍛え続けてきた選手に対して、正しいジャッジが下せないというのは、大会の今後の存続に関わりますよ。
さて、本来の柔道は、一本を取りにいくことが目的のスポーツ(←スポーツと表現するのもどうかとは個人的に思うんですが)なんですね。
その一本を取りに行った技が不十分ならば、その不十分さ加減によって、技あり、有効、効果と、いわば「減点」してポイントが入るものなんですよ。
でも、今のJUDOを見ていると、完全に細かくポイントを取ることがメインになってきてしまっている。
技として不十分でも、効果や有効を狙ってちょこちょこと技をかける。
そして、試合後半に自分がリードを取っていると、技をかけるそぶりを見せながら、完全に防御の体制に入ってしまう(もちろん、それを避けるために「指導」というポイントや「かけ逃げ」という反則もあるのだが)。
日本で生まれ育ったスポーツを国際化するという方向は、とてもいいことだとは思うけど、その根底に脈々と流れる、「わび・さび」とか「武士道」とか「礼儀」とか、そういうものを排除する方向で、ただ単に分かりやすいスポーツとして発展してしまうのならば、日本は独自に「柔道」を発展させるべきだと思います。
「JUDO」に迎合することはないんですよ。
柔道経験者として、一番気になるのが「柔道着」。
日本人選手は柔道着が乱れたら直します。きちっと直します。
でも、他国の選手はそのまま続行するでしょ。
審判が「直せ」と指示して初めてちょちょっと直すけど、帯がしっかり締まっていなかったり、胸がはだけていたりする。
柔道着をきちっと着ると、襟とか袖とか帯とか、相手が取りやすくなるんですね。
でも、そこが「正々堂々」なんですよ。
自分も相手もイーブンな状態で、「かかってきなさい」というのが柔道なんですよ。
そういう精神が海外には伝わっていないのが残念。
ちょっと着崩すと、相手は袖とか取りづらくなるわけです。
自分にアドバンテージがつくんですよね。だから、少しでも着崩す。
「世界に武士道を広げよう」なんて強引なことは言いません。
でも、日本の武術を世界に広めようというのであれば、そういう「形」ではなく「精神」を広めないと全く意味がないと思うわけです。
ただ、今、オリンピックで頑張っている選手に非はありません。
正々堂々と、晴れの舞台で、悔いのないように戦って欲しいと思います。
Mizuki Ashida
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