黒田です。
日本人の言葉の豊かさを支えてきた、季節感や色彩感の繊細な豊かさが
衰えていると、多くの人が感じています。
日本には、色の名前を言う言葉が無数にあると言っても過言ではありま
せん。色名だけでも辞典ができているほどです。
季節を示す言葉の豊富さも、世界に類がありません。俳句の季語だけの
辞典が、これまた存在するくらいです。
言葉がこれほど衰えた、今日の日本でも、「紅葉」「黄葉」などの言葉
は、誰でも使う日常語ですが、英語にもフランス語にも、それに相当す
る言葉はありません。Falling leaves かAutamn leaves か、
Dead leavesです。
民俗学者の神埼宜武さんが、それに触れて、とても面白い発言をされ
ていましたので、みなさんにご紹介します。
神崎さんは、「言葉の豊かさ」は、「感性の豊かさ」を示すものだと
言います。
そして、最近の日本人が、著しく季節感を失っていることは、日常の
食事のときの用語の混乱にも表れていると言っています。
たとえば漬物のことを言うのに、古い日本語には、ふたつの言葉があ
って、「新香(しんこう)」と「古香(こうこ)」を使い分けていました。
「新香」とは、浅漬けのことで、野菜の新鮮な味を残した漬物を指し
て言う言葉です。お客様をもてなすために、時折漬けた、「ハレ(特別
な日)」の日のための漬物を示す言葉でした。
「古香」は、たくあんに代表される保存用の漬物です。年間を通して、
少しずつ出して食べる「ケ(日常)」の日の副菜でした。
今では、言葉の混同が起きていて、たくあんのことも、「お新香」と
呼ぶ人も一般的で多くなりました。
逆に「古香」という言葉は、地方によっては残っていても、多くの
地方ではもうほとんど使われない言葉になりました。
それも漬物のことを言う、ていねいな言葉として「お古香」と言う
ことが多いようです。
また「お古香」という言葉が残っている地方でも、「お新香」と
使い分けることは、既になくなっています。
「お古香」も「お新香」も同じに、漬物を指して言う言葉として
使っています。
また、ハレの日の主食は「ご飯」と言って、「ご」という丁寧語
をつけて呼びます。
いっぽう、ケの日の主食は「飯(糅飯」(かてめし)」という、少
量の米に雑穀や根菜などを炊きこんだものでした。「ご」はつけ
ません。
また、汁についても、ハレの汁が「お吸いもの」や「おすまし」
で、ケの汁は「実汁食(みつけ)」という、具だくさんの味噌汁で、
これを「おみつけ」「おみおつけ」と呼ぶのは、比較的近年のこ
とです。
このように「御=お、み、ご」を言葉の頭につけて呼ぶのは、ハレ
の料理に限られていて、ひと昔前までの日本人は、言葉を繊細
に使い分けていました。
近代の始まりとともに、生活様式も大きく変化し、季節感も変わ
りました。
既に消えてしまった言葉も多く、残っていても、使われ方が変わ
った言葉があり、また、本来の意味とは違う意味で理解されてい
る言葉も多くなりました。
私たちは、季節感や色彩感を多様多彩に感じるDNA を持つ民族です。
それを見事に言い表す言語能力を備え持つ民族でもあります。
世界をリードしうるだけの美意識を持つ民族であることを、肝に
銘じて生きることを心がけましょう。
text by Leon Cloder
日本人の言葉の豊かさを支えてきた、季節感や色彩感の繊細な豊かさが
衰えていると、多くの人が感じています。
日本には、色の名前を言う言葉が無数にあると言っても過言ではありま
せん。色名だけでも辞典ができているほどです。
季節を示す言葉の豊富さも、世界に類がありません。俳句の季語だけの
辞典が、これまた存在するくらいです。
言葉がこれほど衰えた、今日の日本でも、「紅葉」「黄葉」などの言葉
は、誰でも使う日常語ですが、英語にもフランス語にも、それに相当す
る言葉はありません。Falling leaves かAutamn leaves か、
Dead leavesです。
民俗学者の神埼宜武さんが、それに触れて、とても面白い発言をされ
ていましたので、みなさんにご紹介します。
神崎さんは、「言葉の豊かさ」は、「感性の豊かさ」を示すものだと
言います。
そして、最近の日本人が、著しく季節感を失っていることは、日常の
食事のときの用語の混乱にも表れていると言っています。
たとえば漬物のことを言うのに、古い日本語には、ふたつの言葉があ
って、「新香(しんこう)」と「古香(こうこ)」を使い分けていました。
「新香」とは、浅漬けのことで、野菜の新鮮な味を残した漬物を指し
て言う言葉です。お客様をもてなすために、時折漬けた、「ハレ(特別
な日)」の日のための漬物を示す言葉でした。
「古香」は、たくあんに代表される保存用の漬物です。年間を通して、
少しずつ出して食べる「ケ(日常)」の日の副菜でした。
今では、言葉の混同が起きていて、たくあんのことも、「お新香」と
呼ぶ人も一般的で多くなりました。
逆に「古香」という言葉は、地方によっては残っていても、多くの
地方ではもうほとんど使われない言葉になりました。
それも漬物のことを言う、ていねいな言葉として「お古香」と言う
ことが多いようです。
また「お古香」という言葉が残っている地方でも、「お新香」と
使い分けることは、既になくなっています。
「お古香」も「お新香」も同じに、漬物を指して言う言葉として
使っています。
また、ハレの日の主食は「ご飯」と言って、「ご」という丁寧語
をつけて呼びます。
いっぽう、ケの日の主食は「飯(糅飯」(かてめし)」という、少
量の米に雑穀や根菜などを炊きこんだものでした。「ご」はつけ
ません。
また、汁についても、ハレの汁が「お吸いもの」や「おすまし」
で、ケの汁は「実汁食(みつけ)」という、具だくさんの味噌汁で、
これを「おみつけ」「おみおつけ」と呼ぶのは、比較的近年のこ
とです。
このように「御=お、み、ご」を言葉の頭につけて呼ぶのは、ハレ
の料理に限られていて、ひと昔前までの日本人は、言葉を繊細
に使い分けていました。
近代の始まりとともに、生活様式も大きく変化し、季節感も変わ
りました。
既に消えてしまった言葉も多く、残っていても、使われ方が変わ
った言葉があり、また、本来の意味とは違う意味で理解されてい
る言葉も多くなりました。
私たちは、季節感や色彩感を多様多彩に感じるDNA を持つ民族です。
それを見事に言い表す言語能力を備え持つ民族でもあります。
世界をリードしうるだけの美意識を持つ民族であることを、肝に
銘じて生きることを心がけましょう。
text by Leon Cloder