国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

昔のDMV(デュアル・モード・ビークル)

2019-07-26 22:17:19 | 国鉄思いで夜話
阿佐海岸鉄道が導入を進めるDMV
以前ニュース記事で読んだのですが、阿佐海岸鉄道では、終点の甲浦駅から、室戸岬を結ぶ交通手段としてDMVを考えているとのことです。
これが実現すれば、DMVの活用は、初となります。
地方のローカル線問題の一つの切り札ともなるとなりそうです。

画像 wikipedia
阿佐海岸鉄道のDMVのお話は、後日詳しくさせて頂きます。
今回は、今から50年ほど前(昭和37年)に試作された、鉄道・陸上両用バス、英語の両生類を表す、アンヒビアン・バスのお話をさせていただこうと思います。

バスそのものの車体

まずこの写真を見ていただきましょう、バスの両側に鉄道用の台車が乗った何とも不思議なスタイルをしています。

国鉄線 昭和37年8月号の記事から引用させていただいたものですが、これによると国鉄バスを改造したものだそうで、発想は上記のDMVと同じで、鉄道が通っていない場所まで乗換なしで直行しようという発想で設計されたと書かれています。

前輪が乗っかる台車の後部車輪が駆動軸となるように設計されていたと言われています。



複雑な脱着装置

この記事によりますと、オートリフト又はオートジャッキを利用して5分以内で台車の着脱が可能と記録されていますが、本当に5分程度で着脱できたのか大変疑問です。

なお、台車を載せた後も写真を見る限りでは、エアーホースの接続なども行うこととされており、車の、前に見えるホースがブレーキホースになります。


当時の記録によりますと、候補線区として23線程あったと書かれています。


また、車の推進は丸で囲んだ推進軸にバスから延長した推進軸(ドライブシャフト)を延長して接続するとのことであり、何とも驚きを禁じ得ないような仕組みとなっていました。
現在導入が準備されているDMVと比較すると、なんとも厳めしいというか手間がかかるバスであったのですが、当時の技術では車に台車を載せると重くなりすぎて使い物にならなかったのでしょうね。
なお、バスは鉄道車両と比べると当然のことながら車体幅が小さいので、ステップが付けられていたそうです。
なお、ホームは必ずしも車内から見た場合、必ずしも左側にあるわけではないので、その場合は右側に設けた非常口が乗降口になったそうです。

キハ58と比べてみれば・・・

こうして比較してみると、バスがいかに小さいかよく判ります。

キハ58系気動車の車体幅が2.9mですからバスの車体幅の小ささがよく判りますね。



なお、当時はホーム高さが760㎜(客車)と低かったのでバスの高さ程度でもホームとの段差はさほど問題にならなかったと思われます。


参照 国鉄線 1962(昭和37年)8月号 10ページから引用

http://transport.or.jp/


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