昨日は、寝台急行「日本海」のお話をさせていただいたのですが、今夜は昭和43年10月、俗に「ヨンサントオ」と呼ばれた白紙大改正以降のお話です。
黒猫本舗謹製、黒猫次点を紐解いてみることにしましょう。
さて、昭和43年10月、国鉄ではかってない白紙ダイヤ大改正といことで、大幅な特急増発を含む改正を実施しました。
当時、小学校にあがったばかりでしたが、前年に登場した581系を発展させた583系が全国を走り回ることとなったのもこの頃でした。
今も、JR西日本では、「きたぐに」で使用していますが、誕生から既に40年経とうとしてるんですよね。特急車両としては特例中の特例の長生きですよね。
といきなり、話題から外れましたが、そんな時期に、「寝台特急・日本海」は誕生しました。
登場時の時刻は、大阪19:30→青森翌日11:50、青森16:30→大阪翌日09:26と約16時間で大阪と青森を結んでいたことになります。
未だ、一部非電化区間や単線区間が残っていたことを考えると、かなり速かったのではないかと思います。
それまでは、急行で約26時間程度かかっていたわけですから、かなり画期的に早くなったと言えると思います。
さて、列車名は「日本海」を名乗っていますが、急行列車とはそのスピードも時間帯も大幅に異なっているので、一般的には格上ではなく、新設特急の名称を「日本海」として、取り上げられた急行列車には、「きたぐに」という名称を与えたとみる方がわかりやすいと思います。
そう、今も583系で、大阪~新潟間を結ぶ寝台急行が、その昔は大阪~青森まで走っていたのです。
さらに、驚くべきは、急行でありながら「食堂車」も連結されて、いまの味気ない寝台特急よりも数段編成的には優れていたのです。
さて、さて、20系で運転を開始した寝台特急、当時は湖西線が開業していませんから当然、米原経由北陸本線経由で上っていきますので、牽引機関車がバラエティに富んでいたものです、関西圏だけでも、EF58→DD50→EF70といったように、3回も変わるわけですよね、私も中学生になって少しだけ遠征ということで、大阪駅に到着するEF58牽引の「日本海」を撮影に行ったものでした。
最後は、当時は高いフイルムでしたが、特急車両だけは必ず2枚撮るようにしていましたので、先頭車と最後尾【日本海の場合は、緩急車】を撮るのですが、最後尾が切妻のナハネフ23だと、かなりがっかりしたものです。
ただ、今となっては撮影しておいた方が良かったかなと思う今日この頃ですが。
そんな、20系ですが、転機が訪れるのが昭和50年の3月改正でした。
湖西線は、その前年昭和49年7月に開通していたのですが、開通当初は、ダイヤ移行の関係もあってか、ローカル列車のみの運転で、昭和50年の改正で、関西方面発着の北陸線優等列車は「きたぐに」を除き全て湖西線経由となりました。
さらに、寝台特急「日本海」はこの改正で、20系寝台から、より居住性の増した14系寝台車に置換えられるのですが、これがまたとんでもないことを招く結果となるのですが、このお話はまた明日以降にさせていただきたいと思います。
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