NHKスペシャル『ドキュメント北朝鮮第三集』を文字化してみました。
~導入~
<ナレーション>
厚いベールに閉ざされた国、北朝鮮。
個人崇拝による独裁体制は何故今も維持されているのか?
拉致やテロは誰が指示し、何故繰り返されたのか?
そして、核兵器開発はどこまで進んでいるのか?
世界を脅し続けている多くの謎に迫ります。
◆映像:朝鮮中央テレビ去年2月
―――――――――――――――――――
我々は自衛のため 核兵器をつくった
―――――――――――――――――――
◆映像:衛生からの核開発施設の映像
<ナレーション>
核兵器の保有を去年宣言した北朝鮮。
その開発の拠点、ニョンビョン核研究センターです。
衛生がとらえた核施設の数々。
煙突から吹き出る煙。
アメリカは今も原子炉が稼働していると見ています。
北朝鮮はすでに核兵器を1,2個保有し、更にプルトニウムを製造したと考えられています。
◆映像:六カ国協議の模様
核の放棄を迫る国際社会。
北朝鮮は強く反発しています。
事態打開の見通しは立っていません。
◆映像:キム・イルソン(金日成)金正日の映像
北朝鮮は国際社会と渡り合うために、核兵器開発を密かに進めてきました。
時には核開発のカードを利用し、譲歩を引き出してきました。
アーミテージ元国務次官のことば
――――――――――――――――――
対話をしては、ことばで危機をあおる。
これは、北朝鮮のいつも手口です。
(TOLK、TOLK、、fight、fight)
――――――――――――――――――
ロバート・ガルーチ元国務長官――――――――――
同じ事を繰り返しさせられている気がします。
北朝鮮は同じ交渉を求め、同じ見返りを迫ってきます。
(デジャブ・・)
――――――――――――――――――――――――
◆映像:取材した米ソ、大統領、高官、外交官の映像
(ゴルバチョフ・カーターも含む)
北朝鮮と直接向き合ってきたアメリカ、ロシアの元大統領60人あまりを取材、その証言から核兵器開発に迫ります。
━━━━━━━━━━━━━
第三集「核開発を巡る戦慄」
━━━━━━━━━━━━━
<ナレーション>
朝10時、空襲警報が鳴り響く平壌。
アメリカの攻撃を想定した防空訓練です。
平壌にある地下鉄です。
深さおよそ150メートル。
核戦争に備えたシェルターとして作られたと言われています。
北朝鮮にはこうした核シェルターが数多くあると見られています。
一方で、自らも核兵器を手にしようと開発を進めてきました。
これまで北朝鮮が何時から核兵器開発を始めたかは謎でした。
キム・イルソンの側近だったファン・ジャンヨブです。
1997年に、韓国に亡命しました。
―――ファン・ジャンヨブ氏の証言―――――――――――
核兵器開発については話すつもりはなかったのですがー、
―――――――――――――――――――――――――――
核兵器についてはあまり語ってきませんでしたが、今回初めて詳細に証言しました。
―――ファン・ジャンヨブ氏の証言―――――――――――――
我々はかなり前から、核兵器の開発を始めていました。
1958年に地下にある軍事工場を訪れたとき、
キム・イルソン(金日成)は『核戦争に備えるべきだ』と繰り返し話していました。
すでにその時から計画はあったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
◆映像:アメリカ核実験の模様、在韓米軍の動き
<ナレーション>
50年代、ソビエトと核兵器開発を競っていたアメリカ。
韓国にも、大量の核兵器を配備します。
60年代の末、その数は、およそ1000発にのぼったと見られています。
キム・イルソン(金日成)にとって、アメリカの驚異に対抗するためには核兵器は無くてはならないものでした。
―――ファン・ジャンヨブ氏――――――――――――――
核を持っていれば、まず韓国を脅かすことができます。
更に、朝鮮半島を武力で統一する上で、
何よりもアメリカの介入を抑止する手段となるのです。
―――――――――――――――――――――――――――
~モスクワ~
<ナレーション>
50年代、北朝鮮にとって重要な援助国であったソビエト。
核開発は、そのソビエトさえも欺きながら始められました。
当時の貴重な映像がロシアに残されていました。
◆映像:1956年7月訪ソ時、キム・イルソンの映像
(ロシア国立映像アーカイブ)
1956年モスクワ郊外の原子力発電所を訪れたときのものです。
このとき、ソビエトとは平和目的の核開発で支援を受ける協定を結んでいました。
しかしすでに、キム・イルソン(金日成)は核兵器開発の野心を抱いていたとファン・ジャンヨブは証言しています。
◆映像:合同核研究所(ソビエト ドゥブナ)
合同核研究所。
ソビエトは社会主義の国々と共に原子力発電や、放射線医療など、最先端の研究をしていました。
キム・イルソン(金日成)は、核兵器開発に必用な知識や技術を手に入れるため、多くの研究者を送り込みました。
◆映像:ニョンビョン核開発センター
7年後の63年、北朝鮮北部の町にソビエトの技術者が招かれました。
山間の土地に平和目的の核施設を建設するためとされました。
ここが現在の核兵器開発の拠点、ニョンビョン核兵器センターです。
◆映像:コトロフの写真
建設責任者だったセルゲイ・コトロフ。
原子炉の設計を手がけました。
コトロフ(各研究センター建設責任者)たちがまとめた報告書です。
◆映像:報告書
技術を提供した原子炉はIRT2000。
核兵器の製造に必用なプルトニウムを抽出しにくい軽水炉型の原子炉です。
北朝鮮の強い要請で核研究センターは<家具工場>と呼ぶことにしていました。
―――コトロフの証言――――――――――――――――――
核研究センターの存在は北朝鮮でも、極秘とされていました。
外部に一切情報を漏らさないよう、厳重に注意が払われていました。
――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
コトロフによるとニョンビョンには100人を超える北朝鮮の研究者が集められていました。
ほとんどはソビエトの大学などで物理学を学んだ若者でした。
◆映像:北朝鮮の若い研究者たちの写真
――――コトロフの証言―――――――――――――――――
私たちは原子炉に関して必用な技術や知識を北朝鮮の研究者たちに教えました。
彼らの水準は驚くほど高いものでした。
最高レベルの教育を受けた、優秀な研究者だったのです。
――――――――――――――――――――――――――――
65年原子炉の建設を終えて、ニョンビョンを去ったソビエトの技術者達。
ここが核兵器開発の拠点になろうとは想像もしていませんでした。
◆映像:衛星写真(提供アメリカ地質調査所)
アメリカは60年代からニョンビョン核研究センターを監視してきました。
このころ、偵察衛星がとらえた画像です。
65年の画像には、コトロフ達が建設していた原子炉がとらえられています。
年を追うごとに、新しい施設が、次々に増えていきます。
しかし、アメリカは原子力発電所を建設しているだけだと考えました。
◆映像:ドナルド・グレッグ
CIAや政権の中枢で40年にわたって北朝鮮を監視していたドナルド・グレッグ(元CIA-中央情報局-アジア担当)です。
――ドナルド・グレッグの証言―――――――――――――
北朝鮮に関する諜報活動は、うまくいっていませんでした。
北朝鮮が何を考えどんな能力を持っているのか、
私たちは危険なまでに無知でした。
―――――――――――――――――――――――――――
◆映像:CIAの報告書
<ナレーション>
CIAが作成した北朝鮮の核開発に関する350ページの秘密文書です。
はじめてアメリカが懸念を抱いたのは、84年でした。
核兵器の製造に必用なプルトニウムを抽出できる黒煙炉型の原子炉を建設していることに気づいたのです。
一方で更に高度な技術開発が必用だと記しています。
北朝鮮には核兵器開発を進めるだけの能力は、まだ無いと見ていました。
アメリカはソビエトを動かし、北朝鮮を国際機関の監視下におこうとします。
――ドナルド・グレックの証言―――――――――――――――――
私たちはソビエトが原子炉の建設に必用なノウハウを
北朝鮮に教えたことを知っていました。
そこで、NPTに加盟させるよう、ソビエトをけしかけたのです。
アメリカが北朝鮮と直接話し合うほどの問題ではありませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
当時、核兵器開発の指揮はキム・イルソンから長男ジョンイルに移りつつあったと見られています。
このときすでにソビエトから警告を受けていました。
――ファンジャンヨブの証言―――――――――――――――
84年に私が国際担当書記になったとき、ソビエトの大使がたびたびやってきて、
『核兵器を大量つくろうとしているようだが、止めた方が良い』と忠告されました。
しかし、金正日にそのことを伝えると、『そんなの無視しなさい』と言われました。
――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
北朝鮮は85年にNPT(核拡散防止条約)に加盟しますが、義務である核査察は受けようとしませんでした。
◆映像:世界青年学生祭典(スポーツ大会)の入場行進
ソウルオリンピックの翌年、北朝鮮は世界170国から選手を招き、スポーツ大会を開きました。
この直後冷戦が終結。北朝鮮を支えてきたソビエトは韓国との国交樹立に動きます。
◆映像:盧泰愚、ゴルバチョフの握手
その、国交樹立を伝えるためにソビエトのシュワルナゼがピョンヤンを訪れたときのことです。
北朝鮮の外相から衝撃的発言があびせられました。
◆映像:ソビエト外相(シュワアルナゼ)訪朝(1990年 9月)
――セルゲイ・タラセンコ ソビエト外相補佐官―――――
我々は核兵器開発を急ピッチで進めている。
何が何でも核兵器を完成させてみせる。
ソビエトが韓国と国交樹立するならば、
我々もしかるべき行動を取ると彼らは言いました。
―――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
しかしソビエトは動かず、アメリカにも伝えませんでした。
――ミハイル・ゴルバチョフの証言―――――――――――
北朝鮮の発言を真剣には受け止めませんでした。
なぜなら、あれは我々が外交姿勢を変え始めたことに対する、
単なる感情的な反発だと思ったからです。
それ以外の何物でもありませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――
―ワシム・トカチェンコ ソビエト共産党中央委員会 ――
私たちは、北朝鮮の脅しを無視しました。
彼らは我々を攻撃するために
核兵器を製造しているわけではなかったからです
―――――――――――――――――――――――――――
◆映像:ソビエト連邦 崩壊(1991年 12月)
翌1991年12月、ソビエト連邦の崩壊で核の傘を失った北朝鮮。
自らの核兵器開発を急ぎました。
――ファン・ジャンヨブの証言 ――――――――――――
小国がどうしたら独立を守り、
生きながらえていけるか、真剣に考えていました。
社会主義国が改革開放に向かう中で、
金正日は体制を維持するために、
どうしても核兵器が必用だったのです。
―――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
核査察を受けようとしない北朝鮮に対し、アメリカは次第に懸念を深め始めます。
89年、CIAの資料には、北朝鮮が核開発を急速に拡大させていると記されています。
◆映像:91年当時のニョンビョン衛星画像 軽水炉、再処理施設
同じ年ニョンビョンをとらえた衛星画像です。
かつてソビエトから技術提供された<軽水炉>の南に北朝鮮が独自に建設した<黒煙炉>が写っています。
川を隔てた南側には、新たな施設の建設が更に進んでいました。
最も大きな建物は、再処理施設。
黒煙炉で燃やした燃料棒からプルトニウムを抽出するための施設と見られていました。
◆映像:ジェームス・ベーカー
当時のブッシュ政権で国務長官を務めたジェームス・ベーカー。
北朝鮮に核査察を受けさせるため、ベーカーとブッシュは思い切った手を打ちます。
――ブッシュ大統領の演説 ――――――――――――――――
アメリカは世界に配備した、全ての戦術核兵器を撤去します。
―――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
アメリカは韓国に配備した核兵器も撤去することにしました。
――ジェームス・ベーカーの証言 ――――――――――――
私たちが韓国から核兵器を撤去すれば、
北朝鮮はNPTに違反して
核査察を受ける義務を放棄していると訴えやすくなります。
更に、北朝鮮に核兵器開発を進める口実を与えない狙いもありました。
――――――――――――――――――――――――――――
◆映像:朝鮮中央テレビ
タイトル画像~我が国に創設された“自立的な原子力工業基地”~
――核研究者の説明――――――――
我が国の原子力工業は平和目的です
人民経済の発展に利用されています
―――――――――――――――――
<ナレーション>
翌年、核査察の受け入れに合意した北朝鮮。
ニョンビョンの核センターの映像をはじめて公開しました。
IAEA(国際原子力機関)査察 1992年 5月
◆映像:ニョンビョン核開発センター
<ナレーション>
92年5月IAEA(国際原子力機関)による査察が始まりました。
黒煙炉ではプルトニウムを抽出できる燃料棒が、すでに取り出されていたことが確認されました。
疑惑の焦点は再処理施設と見られる建物に移りました。
◆映像:IAEA報告書
北朝鮮は過去に一度だけ燃料棒から微量のプルトニウムを試験的に抽出したと説明。
しかし、IAEAは北朝鮮の説明が査察の結果と大きく矛盾すると報告します。
プルトニウムをたびたび抽出していた疑いが強まりました。
――◆ジェームス・ベーカーの証言――――――――――――
北朝鮮がプルトニウムを抽出していることは明らかでした。
彼らが核兵器を開発しようとしていることを確信しました。
――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
アメリカは直ちに核廃棄物貯蔵所の査察することをIAEAに要求めます。
ここを調べれば、過去に何回プルトニウムを抽出したかを確認することができるからです。
当時ファン・ジャンヨブは核兵器開発を担当する軍需工業担当の書記があわてる様子を見ていました。
―ファン・ジョンヨブの証言―――――――――――――――
強制査察を受けなくてはならなくなりそうだと、心配していました。
プルトニウムを抽出した痕跡を何とか消そうと核開発廃棄物貯蔵所に土を盛って、植物を植えた
のですが、全て枯れてしまったのです。
更に人工衛星に写らないように、運動場ぐらいの大きな倉庫を建てて隠しました。
そして『ここは軍事施設だから核査察の対象にはならない』と言い張ったのです。
――――――――――――――――――――――――――――
~ワシントン~
北朝鮮を追いつめたかに見えたアメリカ。
しかしこの後、北朝鮮が仕掛ける駆け引きに翻弄されます。
93年1月、核疑惑が深まる中、クリントン政権が対応を引き継ぎました。
北朝鮮との交渉に直接当たった、国務次官補(当時)ロバート・ガルーチ。
そして国務省朝鮮担当部長(当時)チャック・カートマン。
◆映像:チームスピリット(1993年 3月)の模様
アメリカは韓国との合同軍事演習=チームスピリットで圧力をかけ、強制査察を受け入れさせようと考えました。
ところが北朝鮮は査察を義務づけたNPT=核拡散防止条約からの脱退を、突然宣言します。
◆映像:チャック・カートマン 米国務省 朝鮮担当部長
ロバート・ガルーチ 米国務省 朝鮮担当部長
――ピョンヤン放送―――――――――――――――
我が国の最高利益を守るために、
やむをえず、NPTから脱会することを宣言する。
――――――――――――――――――――――――
――チャック・カートマン ―――――――――――――――――
チームスピリットは北朝鮮を狙った核攻撃の演習だと
彼らは以前から主張していました。
私たちは、NPT脱退を正当化する口実を
彼らに与えてしまったのです。
――――――――――――――――――――――――――――――
―――ロバート・ガルーチ――――――――――――――――――
北朝鮮は、脱会の際は3ヶ月前に告知するという
NPTの規定を利用し時計をセットしたのです。
残り3ヶ月、私たちは脱退を取り下げさせるため、
関与せざるを得なくなりました。
――――――――――――――――――――――――――――――
◆映像:米朝高官協議(1993年 6月)
<ナレーション>
アメリカと北朝鮮、初めての二国間の高官協議が始まりました。
ガルーチの交渉相手はカン・ソクジュ第一外務次官。
現在も北朝鮮外交のキーパーソンです。
ガルーチはNPT脱会宣言の取り下げと、強制査察の受け入れを求めました。
しかし強い反発を受けます。
『ドキュメント北朝鮮第三集』(2)へ
◆―――――――――――――――――――――――――◆
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~導入~
<ナレーション>
厚いベールに閉ざされた国、北朝鮮。
個人崇拝による独裁体制は何故今も維持されているのか?
拉致やテロは誰が指示し、何故繰り返されたのか?
そして、核兵器開発はどこまで進んでいるのか?
世界を脅し続けている多くの謎に迫ります。
◆映像:朝鮮中央テレビ去年2月
―――――――――――――――――――
我々は自衛のため 核兵器をつくった
―――――――――――――――――――
◆映像:衛生からの核開発施設の映像
<ナレーション>
核兵器の保有を去年宣言した北朝鮮。
その開発の拠点、ニョンビョン核研究センターです。
衛生がとらえた核施設の数々。
煙突から吹き出る煙。
アメリカは今も原子炉が稼働していると見ています。
北朝鮮はすでに核兵器を1,2個保有し、更にプルトニウムを製造したと考えられています。
◆映像:六カ国協議の模様
核の放棄を迫る国際社会。
北朝鮮は強く反発しています。
事態打開の見通しは立っていません。
◆映像:キム・イルソン(金日成)金正日の映像
北朝鮮は国際社会と渡り合うために、核兵器開発を密かに進めてきました。
時には核開発のカードを利用し、譲歩を引き出してきました。
アーミテージ元国務次官のことば
――――――――――――――――――
対話をしては、ことばで危機をあおる。
これは、北朝鮮のいつも手口です。
(TOLK、TOLK、、fight、fight)
――――――――――――――――――
ロバート・ガルーチ元国務長官――――――――――
同じ事を繰り返しさせられている気がします。
北朝鮮は同じ交渉を求め、同じ見返りを迫ってきます。
(デジャブ・・)
――――――――――――――――――――――――
◆映像:取材した米ソ、大統領、高官、外交官の映像
(ゴルバチョフ・カーターも含む)
北朝鮮と直接向き合ってきたアメリカ、ロシアの元大統領60人あまりを取材、その証言から核兵器開発に迫ります。
━━━━━━━━━━━━━
第三集「核開発を巡る戦慄」
━━━━━━━━━━━━━
<ナレーション>
朝10時、空襲警報が鳴り響く平壌。
アメリカの攻撃を想定した防空訓練です。
平壌にある地下鉄です。
深さおよそ150メートル。
核戦争に備えたシェルターとして作られたと言われています。
北朝鮮にはこうした核シェルターが数多くあると見られています。
一方で、自らも核兵器を手にしようと開発を進めてきました。
これまで北朝鮮が何時から核兵器開発を始めたかは謎でした。
キム・イルソンの側近だったファン・ジャンヨブです。
1997年に、韓国に亡命しました。
―――ファン・ジャンヨブ氏の証言―――――――――――
核兵器開発については話すつもりはなかったのですがー、
―――――――――――――――――――――――――――
核兵器についてはあまり語ってきませんでしたが、今回初めて詳細に証言しました。
―――ファン・ジャンヨブ氏の証言―――――――――――――
我々はかなり前から、核兵器の開発を始めていました。
1958年に地下にある軍事工場を訪れたとき、
キム・イルソン(金日成)は『核戦争に備えるべきだ』と繰り返し話していました。
すでにその時から計画はあったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
◆映像:アメリカ核実験の模様、在韓米軍の動き
<ナレーション>
50年代、ソビエトと核兵器開発を競っていたアメリカ。
韓国にも、大量の核兵器を配備します。
60年代の末、その数は、およそ1000発にのぼったと見られています。
キム・イルソン(金日成)にとって、アメリカの驚異に対抗するためには核兵器は無くてはならないものでした。
―――ファン・ジャンヨブ氏――――――――――――――
核を持っていれば、まず韓国を脅かすことができます。
更に、朝鮮半島を武力で統一する上で、
何よりもアメリカの介入を抑止する手段となるのです。
―――――――――――――――――――――――――――
~モスクワ~
<ナレーション>
50年代、北朝鮮にとって重要な援助国であったソビエト。
核開発は、そのソビエトさえも欺きながら始められました。
当時の貴重な映像がロシアに残されていました。
◆映像:1956年7月訪ソ時、キム・イルソンの映像
(ロシア国立映像アーカイブ)
1956年モスクワ郊外の原子力発電所を訪れたときのものです。
このとき、ソビエトとは平和目的の核開発で支援を受ける協定を結んでいました。
しかしすでに、キム・イルソン(金日成)は核兵器開発の野心を抱いていたとファン・ジャンヨブは証言しています。
◆映像:合同核研究所(ソビエト ドゥブナ)
合同核研究所。
ソビエトは社会主義の国々と共に原子力発電や、放射線医療など、最先端の研究をしていました。
キム・イルソン(金日成)は、核兵器開発に必用な知識や技術を手に入れるため、多くの研究者を送り込みました。
◆映像:ニョンビョン核開発センター
7年後の63年、北朝鮮北部の町にソビエトの技術者が招かれました。
山間の土地に平和目的の核施設を建設するためとされました。
ここが現在の核兵器開発の拠点、ニョンビョン核兵器センターです。
◆映像:コトロフの写真
建設責任者だったセルゲイ・コトロフ。
原子炉の設計を手がけました。
コトロフ(各研究センター建設責任者)たちがまとめた報告書です。
◆映像:報告書
技術を提供した原子炉はIRT2000。
核兵器の製造に必用なプルトニウムを抽出しにくい軽水炉型の原子炉です。
北朝鮮の強い要請で核研究センターは<家具工場>と呼ぶことにしていました。
―――コトロフの証言――――――――――――――――――
核研究センターの存在は北朝鮮でも、極秘とされていました。
外部に一切情報を漏らさないよう、厳重に注意が払われていました。
――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
コトロフによるとニョンビョンには100人を超える北朝鮮の研究者が集められていました。
ほとんどはソビエトの大学などで物理学を学んだ若者でした。
◆映像:北朝鮮の若い研究者たちの写真
――――コトロフの証言―――――――――――――――――
私たちは原子炉に関して必用な技術や知識を北朝鮮の研究者たちに教えました。
彼らの水準は驚くほど高いものでした。
最高レベルの教育を受けた、優秀な研究者だったのです。
――――――――――――――――――――――――――――
65年原子炉の建設を終えて、ニョンビョンを去ったソビエトの技術者達。
ここが核兵器開発の拠点になろうとは想像もしていませんでした。
◆映像:衛星写真(提供アメリカ地質調査所)
アメリカは60年代からニョンビョン核研究センターを監視してきました。
このころ、偵察衛星がとらえた画像です。
65年の画像には、コトロフ達が建設していた原子炉がとらえられています。
年を追うごとに、新しい施設が、次々に増えていきます。
しかし、アメリカは原子力発電所を建設しているだけだと考えました。
◆映像:ドナルド・グレッグ
CIAや政権の中枢で40年にわたって北朝鮮を監視していたドナルド・グレッグ(元CIA-中央情報局-アジア担当)です。
――ドナルド・グレッグの証言―――――――――――――
北朝鮮に関する諜報活動は、うまくいっていませんでした。
北朝鮮が何を考えどんな能力を持っているのか、
私たちは危険なまでに無知でした。
―――――――――――――――――――――――――――
◆映像:CIAの報告書
<ナレーション>
CIAが作成した北朝鮮の核開発に関する350ページの秘密文書です。
はじめてアメリカが懸念を抱いたのは、84年でした。
核兵器の製造に必用なプルトニウムを抽出できる黒煙炉型の原子炉を建設していることに気づいたのです。
一方で更に高度な技術開発が必用だと記しています。
北朝鮮には核兵器開発を進めるだけの能力は、まだ無いと見ていました。
アメリカはソビエトを動かし、北朝鮮を国際機関の監視下におこうとします。
――ドナルド・グレックの証言―――――――――――――――――
私たちはソビエトが原子炉の建設に必用なノウハウを
北朝鮮に教えたことを知っていました。
そこで、NPTに加盟させるよう、ソビエトをけしかけたのです。
アメリカが北朝鮮と直接話し合うほどの問題ではありませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
当時、核兵器開発の指揮はキム・イルソンから長男ジョンイルに移りつつあったと見られています。
このときすでにソビエトから警告を受けていました。
――ファンジャンヨブの証言―――――――――――――――
84年に私が国際担当書記になったとき、ソビエトの大使がたびたびやってきて、
『核兵器を大量つくろうとしているようだが、止めた方が良い』と忠告されました。
しかし、金正日にそのことを伝えると、『そんなの無視しなさい』と言われました。
――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
北朝鮮は85年にNPT(核拡散防止条約)に加盟しますが、義務である核査察は受けようとしませんでした。
◆映像:世界青年学生祭典(スポーツ大会)の入場行進
ソウルオリンピックの翌年、北朝鮮は世界170国から選手を招き、スポーツ大会を開きました。
この直後冷戦が終結。北朝鮮を支えてきたソビエトは韓国との国交樹立に動きます。
◆映像:盧泰愚、ゴルバチョフの握手
その、国交樹立を伝えるためにソビエトのシュワルナゼがピョンヤンを訪れたときのことです。
北朝鮮の外相から衝撃的発言があびせられました。
◆映像:ソビエト外相(シュワアルナゼ)訪朝(1990年 9月)
――セルゲイ・タラセンコ ソビエト外相補佐官―――――
我々は核兵器開発を急ピッチで進めている。
何が何でも核兵器を完成させてみせる。
ソビエトが韓国と国交樹立するならば、
我々もしかるべき行動を取ると彼らは言いました。
―――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
しかしソビエトは動かず、アメリカにも伝えませんでした。
――ミハイル・ゴルバチョフの証言―――――――――――
北朝鮮の発言を真剣には受け止めませんでした。
なぜなら、あれは我々が外交姿勢を変え始めたことに対する、
単なる感情的な反発だと思ったからです。
それ以外の何物でもありませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――
―ワシム・トカチェンコ ソビエト共産党中央委員会 ――
私たちは、北朝鮮の脅しを無視しました。
彼らは我々を攻撃するために
核兵器を製造しているわけではなかったからです
―――――――――――――――――――――――――――
◆映像:ソビエト連邦 崩壊(1991年 12月)
翌1991年12月、ソビエト連邦の崩壊で核の傘を失った北朝鮮。
自らの核兵器開発を急ぎました。
――ファン・ジャンヨブの証言 ――――――――――――
小国がどうしたら独立を守り、
生きながらえていけるか、真剣に考えていました。
社会主義国が改革開放に向かう中で、
金正日は体制を維持するために、
どうしても核兵器が必用だったのです。
―――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
核査察を受けようとしない北朝鮮に対し、アメリカは次第に懸念を深め始めます。
89年、CIAの資料には、北朝鮮が核開発を急速に拡大させていると記されています。
◆映像:91年当時のニョンビョン衛星画像 軽水炉、再処理施設
同じ年ニョンビョンをとらえた衛星画像です。
かつてソビエトから技術提供された<軽水炉>の南に北朝鮮が独自に建設した<黒煙炉>が写っています。
川を隔てた南側には、新たな施設の建設が更に進んでいました。
最も大きな建物は、再処理施設。
黒煙炉で燃やした燃料棒からプルトニウムを抽出するための施設と見られていました。
◆映像:ジェームス・ベーカー
当時のブッシュ政権で国務長官を務めたジェームス・ベーカー。
北朝鮮に核査察を受けさせるため、ベーカーとブッシュは思い切った手を打ちます。
――ブッシュ大統領の演説 ――――――――――――――――
アメリカは世界に配備した、全ての戦術核兵器を撤去します。
―――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
アメリカは韓国に配備した核兵器も撤去することにしました。
――ジェームス・ベーカーの証言 ――――――――――――
私たちが韓国から核兵器を撤去すれば、
北朝鮮はNPTに違反して
核査察を受ける義務を放棄していると訴えやすくなります。
更に、北朝鮮に核兵器開発を進める口実を与えない狙いもありました。
――――――――――――――――――――――――――――
◆映像:朝鮮中央テレビ
タイトル画像~我が国に創設された“自立的な原子力工業基地”~
――核研究者の説明――――――――
我が国の原子力工業は平和目的です
人民経済の発展に利用されています
―――――――――――――――――
<ナレーション>
翌年、核査察の受け入れに合意した北朝鮮。
ニョンビョンの核センターの映像をはじめて公開しました。
IAEA(国際原子力機関)査察 1992年 5月
◆映像:ニョンビョン核開発センター
<ナレーション>
92年5月IAEA(国際原子力機関)による査察が始まりました。
黒煙炉ではプルトニウムを抽出できる燃料棒が、すでに取り出されていたことが確認されました。
疑惑の焦点は再処理施設と見られる建物に移りました。
◆映像:IAEA報告書
北朝鮮は過去に一度だけ燃料棒から微量のプルトニウムを試験的に抽出したと説明。
しかし、IAEAは北朝鮮の説明が査察の結果と大きく矛盾すると報告します。
プルトニウムをたびたび抽出していた疑いが強まりました。
――◆ジェームス・ベーカーの証言――――――――――――
北朝鮮がプルトニウムを抽出していることは明らかでした。
彼らが核兵器を開発しようとしていることを確信しました。
――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
アメリカは直ちに核廃棄物貯蔵所の査察することをIAEAに要求めます。
ここを調べれば、過去に何回プルトニウムを抽出したかを確認することができるからです。
当時ファン・ジャンヨブは核兵器開発を担当する軍需工業担当の書記があわてる様子を見ていました。
―ファン・ジョンヨブの証言―――――――――――――――
強制査察を受けなくてはならなくなりそうだと、心配していました。
プルトニウムを抽出した痕跡を何とか消そうと核開発廃棄物貯蔵所に土を盛って、植物を植えた
のですが、全て枯れてしまったのです。
更に人工衛星に写らないように、運動場ぐらいの大きな倉庫を建てて隠しました。
そして『ここは軍事施設だから核査察の対象にはならない』と言い張ったのです。
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~ワシントン~
北朝鮮を追いつめたかに見えたアメリカ。
しかしこの後、北朝鮮が仕掛ける駆け引きに翻弄されます。
93年1月、核疑惑が深まる中、クリントン政権が対応を引き継ぎました。
北朝鮮との交渉に直接当たった、国務次官補(当時)ロバート・ガルーチ。
そして国務省朝鮮担当部長(当時)チャック・カートマン。
◆映像:チームスピリット(1993年 3月)の模様
アメリカは韓国との合同軍事演習=チームスピリットで圧力をかけ、強制査察を受け入れさせようと考えました。
ところが北朝鮮は査察を義務づけたNPT=核拡散防止条約からの脱退を、突然宣言します。
◆映像:チャック・カートマン 米国務省 朝鮮担当部長
ロバート・ガルーチ 米国務省 朝鮮担当部長
――ピョンヤン放送―――――――――――――――
我が国の最高利益を守るために、
やむをえず、NPTから脱会することを宣言する。
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――チャック・カートマン ―――――――――――――――――
チームスピリットは北朝鮮を狙った核攻撃の演習だと
彼らは以前から主張していました。
私たちは、NPT脱退を正当化する口実を
彼らに与えてしまったのです。
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―――ロバート・ガルーチ――――――――――――――――――
北朝鮮は、脱会の際は3ヶ月前に告知するという
NPTの規定を利用し時計をセットしたのです。
残り3ヶ月、私たちは脱退を取り下げさせるため、
関与せざるを得なくなりました。
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◆映像:米朝高官協議(1993年 6月)
<ナレーション>
アメリカと北朝鮮、初めての二国間の高官協議が始まりました。
ガルーチの交渉相手はカン・ソクジュ第一外務次官。
現在も北朝鮮外交のキーパーソンです。
ガルーチはNPT脱会宣言の取り下げと、強制査察の受け入れを求めました。
しかし強い反発を受けます。
『ドキュメント北朝鮮第三集』(2)へ
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先に全て文字化している人がいたとは。
かなり質の高いドキュメンタリーだと思うのでなるべく多くの人に知ってもらいたいものです。
この番組のでは、最近私が調べている、平和を叫ぶ声が高くなると戦争の危険も高くなるということに関連して興味が深く、まとめ終わったら分析してみたいものです。
今回のテキストをおこしていて、改めて北朝鮮がどのようにして現在に至るかを復習することができました。
内容は、やはりNHKならではの取材力で、秀作だと思います。
偽札、麻薬、拉致については、もっとつっこんでほしかったと思っています。
第二弾、第三弾を希望します。
underさん、まとめ、とても参考になります。
頑張ってください。
今後とも宜しくお願いします。