『西岡力 副会長のお話』
ありがとうございます。
ちょっと私の方からも、今の拉致がどのような形で行われたのか?と言うのを頭の整理をしてみたので、その問題提起をさせて頂いて、そして質問があれば受けたいと思うんですが。
今恵谷さんがまず拉致の形としてですね。
3つ言ったんですね。
遭遇型がある。
拉致を目的にして入って来たんではなくて、別の目的で入って来て見られてしまった。
遭遇したと、そこで拉致が行われた。
マグジャビ型。
朝鮮語でむやみやたらと言う意味だと恵谷さんは言いましたけども、マグジャビ型と言うのは人定がされない段階で入って来てアベックなら若いアベックを連れて来いとか、言う形で連れて行った。
これがあったという事を証言しているのが安明進です。
聞いている。
それから3つ目が人定型だと。
工作員がまず人定をして、そして海岸に連れて行って戦闘員に渡す。
戦闘案内員ですね、今の言い方ですと。
そして今度は拉致の目的が今まで明らかになっている物は、4つあるいは5つあるんです。
ひとつは工作機密の隠蔽である。
ふたつめが身分の取得と。
三つ目が工作員の教官。
四つ目が工作員として使う。
これはよど号グループがそうですね。
五つ目に恵谷さんが検討の必要があると言ったのは、専門知識の取得。
これはまだ実例が上がってはいないんですが、しかしそれは想定されると言う事です。
そうするとですね。
遭遇型をAとして、マグジャビ型をBとして、人定型をCとする。
そして目的の方の工作機密隠蔽を1、身分取得を2、工作員用教師を3、工作員を4、専門知識を5とすると、Aの1、2、3、4、5と考えられる。
遭遇型ではAの1が明らかになっていて、それは寺越さんたち。
それ以外にAの2、3、4、5というのは今のところ明らかになっていません。
そして次のマグジャビ型をBとすると、BはBの3しか明らかになっていない。
工作員の教師とする。
この部分が一番問題になるわけです。
マグジャビ型で工作員の教師とするのがあったかどうか?
今表に出てるのは横田めぐみさん、地村さん、蓮池さん、市川・増元さん、曽我さん親子、富山のケース。
誰かにつれて行かれて海岸に行ったのでは少なくともない。
海岸の近くにいたわけです。
そして襲われている。
マグジャビ型とも思われる。
それから今度はCで人定型。
Cの1は無いんですが、Cの2で身分の取得では久米さんと小住さんと原さんが問題になる。
Cの3では田中実さんと田口八重子さん。
Cの4で松木さんと石岡さんと有本さんがやられて。
今のところCの5というのはまだ判明していない。
ここで問題になるのは、マグジャビ型があったのかどうか?
今マグジャビ型とも想定される横田さん、地村さん、蓮池さん、市川、増元さん、曽我ひとみさんと富山のケースですね。
具体的な犯人像が明らかになっているのは、地村、蓮池、曽我、富山のケースなんですね。
犯人が目撃されている、被害者が証言している。
このケースは皆4人と言ってるんです。
地村さんも、蓮池さんも、曽我さんも、富山の人たちも4人に襲われたと言っている。
4人の内3人が戦闘案内員で、一人が工作員であったと思われる。
地村さんは辛(光洙)がいたと言っている。
後3人いたと。
蓮池さんは朴がいた。
そして3人と。
曽我さんは3人の男が後ろから歩いてきて襲われたと言っている。
そして女性工作員、中年の女性と一緒に工作船に乗って清津まで連れて行かれて、清津から平壌まで一緒に行って、その女性工作員がある期間、教育係だったと言ってるんですね。
それはつまり女性が工作員で、3人が戦闘員。
富山も4人と警察は認定しているんですが、多分直に4人と聞いているんで、中に辛と似ている人間がいたわけで、少なくとも辛は当時40代ですから、40代の工作員がいて辛なのか他の男なのか知りませんが年取ったのがいて、そして戦闘員は20代だと思われます。
が、3人いたと。
安明進の話ではマグジャビ型で当初やった所、工作員の教官として使えない人もいたので、後で日本国内の組織に人定をさせてそれから上手くいった。
いう話を工作機関の教育の中で聞いているんですが、しかし人定型はマグジャビ型と並行してあるいは先に行われてますので、その説明だけでは教師のリクルートの部分だけについての説明なのか?限定的だと思いますが。
つまりBの3、マグジャビ型で工作員の教師を連れて来いという形があったのか?
あったとするとそこの部分については日本の国内の協力者の存在と言うのは余り考えられない。
工作員も日本の事情を知っている工作員が、数ヶ月とか、あるいは私は一緒に追って来たのかもしれないと見ている。
そこで土地勘のある人間と3人で、まぁ安明進に聞いたら、一人が一人を拉致するのは簡単なんだと。
二人拉致するのに予備で3人いて、日本の事情を分かっているのがもう一人いたんじゃないかと。
もう少し厳密にですね。
恵谷さんの仰っていた、何部の所属でどうなのかと言う事を当てていって、考えなければいけないけれども。
こういうふうに考えていくと、今日警察庁に行きまして警備局長が年末に拉致被害者から新たな証言を聞いたと。
その結果、拉致の実行犯は今まで考えているよりは限定されているんじゃないか?
同じグループが何回も拉致していたんじゃないかと、今思っている。
一つの班が何人いてどういう目的でやったのかもう一回洗い直さなければいけないという話をしていたんですが、その前に実行犯がマグジャビ型なのか、人定型なのか、遭遇型なのか。
目的が教師なのか、身分なのか、あるいは工作員として赤軍の仲間にしようとしたのか、全体像としてそれを考えていかなくちゃいけないんではないかなと。
今の段階で言えるのはこれ位じゃないかな、と私は整理しているんですが恵谷さんどうでしょう?
★恵谷治氏
いえ、もう、はいそうです。
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よど号犯人と拉致問題 東京集会11 投稿者:ぴろん 投稿日: 2月 1日(水)03時21分38秒 引用
『恵谷治氏の講演 その3』
いずれにせよ70年代そういう形でやったんですが、一番ポイントはですね。
80年によど号の、それまでにご存知のよど号の妻たちってのがどんどん日本に入って来ます。
80年にNHKでも報道された、名古屋から魚本(民子)が連れて行った男性がいたらしいんですが、どうやら帰って来ていると。
私もイマイチ判断出来ない、苦しいのはですね。
返す人間と返さない人間とどう違うのか?
それでいろいろ私も考えてですね。
ふと先ほど言った、調査部マターか連絡部マターか、つまり部署の違いがあるのかなぁ?と言うふうに考えました。
ご存知の安明進と言うのは有名な工作員といわれますが、彼は調査部でもなく連絡部でもなく作戦部という、金正日が大検閲をして以降、新たに設置された組織の人間です。
とにかくまだ結論は出ないんですが、そういうふうな視点で物を見る必要があった。
と言う事でもう一度話を戻しますと、拉致をこれまでしてきた部署を見ますと調査部か連絡部なんです。
それ以外は、証拠・事実としてはないんですが、可能性としては偵察局、軍です。
ただ具体例はまだありません。
今までハッキリしているのは調査部か連絡部なんです。
で、作戦部といいましたがもう一度、金正日が大検閲を行った後、紆余曲折はあったんですが77年までに固まったのはですね。
3号庁舎には連絡部、調査部、作戦部、統一戦線部、4つ目の統一戦線部。
これは皆さんもご存知だと思いますが、朝鮮総連を管轄する指揮する部署です。
この4つで確定されたと言うか、現在に至ってます。
その間いろいろ名前が変わりまして、その当時の部署、例えば大韓航空機爆破事件を起した金賢姫と言うのは調査部に属していまして、調査部と言うのが新聞報道でいろいろいろいろ言われたもんですから、その後は35号室と言う名前に変えてます。
しかしこれは誰が見ても調査部で、工作員も未だに調査部と古い名前で呼ぶケースが多いんですが、いずれにせよ3号庁舎には4つあります。
拉致の作戦計画、当然上からも来るんですが、この先ほど言った調査部と連絡部の二つの部署が、いわば競い合って拉致をやる。
その良い例がですね。
70年代、77年ぐらいだったかな?
ドイツに在住していた韓国人ピアニストと、ユン・ジョンヒという女優さんが奥さんでした。
彼らを金正日の指令で拉致をする。
ところがこれもザグレブ、ユーゴスラビアでその拉致は失敗します。
それは連絡部でした。
翌年今度は韓国の申相玉さん(映画監督)と崔銀姫さん(女優)の夫婦を、別々に拉致するんですがこの拉致をしたのは調査部です。
調査部は金正日から高く評価されたんですが、いろんな事があるんですが、一つ拉致についても競い合わせる。
先ほど言ったようによど号の連中は連絡部管轄。
しかし、拉致の作戦実行、作戦を担当するキム・ユーチョルと言うのは調査部の工作員だと。
この辺が未だにちょっとハッキリしないんですが、よど号の場合はそうだと。
もう一つの見方としてはですね。
調査部と連絡部の二つの違い、大きな違いと言うのは連絡部は基本的に対南工作を専門。
もちろん例外はありまして、先ほどのザグレブの拉致未遂が連絡部であったんですが、それは例外的です。
調査部と言うのは韓国以外、ですから日本であれヨーロッパであれアジアであれ、そういう所で様々な作戦をする。
こういう大きな違いがあります。
皆さんもご存知だと思いますが、金正日政治軍事大学というところで4年あるいは6年間教育を受けてですね。
成績の良い順から部署配置がされる。
彼らは卒業後、配置と言う。
つまり一応希望は出すんですが、自分の意思とは無関係に配置されます。
その場合ですね、優秀な順に調査部、連絡部、統戦部、で作戦部なんです。
それがいわば3号庁舎の格付けですね。
3号庁舎内の部署の格付けです。
つまり調査部が一番偉い。
で、例の安明進はですね。
彼は外交官になって海外に行きたかったんですが、調査部に入れば多分、彼は亡命しなかったんじゃないかと思うんです。
で彼はあれだけの能力があるから当然調査部に入れたんですが。(横で西岡氏が「彼は調査部だったんです、調査部の依託生だったんです」の声)
ごめんなさい、失礼勘違いしました。
入る段階で、決まってたんですね。
で、卒業後に作戦部に回されたもんで頭に来て亡命をしたと、異色の人間なんですが。
でなぜ今のような格付けが起こるかといいますとですね。
最初の頃にも言いましたが、作戦部というのは金正日政治軍事大学でもですね。
全員がやるんですが、とにかく一番体力的に頑張る。
もちろんいろんな無線だのいろんな事があるんですが、頭脳より体力が優秀な方が作戦部に回す。
作戦部は工作船、あの展示している工作船と言うのは作戦部管轄で、その船長も作戦部そこに乗ってる人間も作戦部の人間で、3号庁舎内では最も人員が多い部署です。
その作戦部の部長はゴ・コクレツという金正日と同級生、学校が同期だった非常に有能な男がいるんですが、彼が部長をしています。
しかし、末端の人間、例えば韓国にたくさん脱北者がいますが、その工作員と言うか、金正日政治軍事大学の卒業生の同窓会のような物があります。
その中でですね。
「お前出身は?」「調査部だ」と言うと一目置かれるんです。
「お前は?」「作戦部か」というような明らかなランクがあるんです。
ある人間が私に言ったんですが、「作戦部と言うのはタクシーの運ちゃんですよ、変わらんのだから」
つまり船を運用します。
陸上で車の場合もあるかもしれませんが、基本的に日本の場合は船を運用する。
これはこれで非常に重要な任務ですが、そこに辛光洙のような調査部の人間をゲストとして乗せます。
この間奄美沖といいますか、銃撃戦があって沈んだ中に誰が乗っていたかと言うのはまだハッキリしませんが、これは作戦部以外の人間が乗っていたと言うことだけはハッキリしています。
証拠があるんです。
まだ公表されていませんが。
ですからあの船が何らかの任務であったと言う事は間違いないんですが。
いずれにせよ作戦部が運用する工作船には定員がありまして、全て作戦部の所属の人間です。
そこに連絡部、あるいは調査部の人間を乗せて運びます。
拉致と言う物をもう一度具体的に考えて見ましょう。
辛光洙の場合、辛光洙はですね。
めぐみさんを拉致したあるいは地村さんをという証言が今出て来ていますが、ハッキリしているのは原敕晁さんを拉致した。
その時は80年の4月に宮崎の海岸から潜入します。
それからですね。
人選をし、情報を集め、原敕晁と言う人物をピックアップし、宮崎まで連れて行って一緒に北朝鮮に戻ります。
それが6月24日に北に到着するんですが、いわば2ヶ月、一人の人間を拉致するのに2ヶ月、少なくとも彼の証言です。
それが可能だったんですが、それにもう裁判でも分かってますが、彼が主導していろんな人間に当たって、協力者を集めて宮崎まで連れて行くわけですが。
いろんなケースはあると思うんですが、先ほど行った調査部なり連絡部なりの人間が拉致をするというのは、いわゆる暴力的にと言うかそういう事をするわけではなくてですね。
まず命令を受ける。
その命令に添った人物を選定する。
それから接触をする。
それである程度納得させてある場所まで連れて行く。
で、そこで今度は作戦部の人間に任すんです。
それはもっと言いますと、迎えに来た人間、これには船に乗っています作戦部の人間が。
その中で最初に言いましたが船に乗っている人間は全員工作員ではなくて、戦闘員といいます。
ゴムボートで上陸する、その人間を戦闘案内員と言います。
日本語的に言うと案内員と言うのは何かイメージが違うんですが、実際はですね。
自分は案内員をしていたというと非常に能力がある。
つまり敵地に入って日本側の警戒をチェックして、客である調査部の人間、工作員を潜入させる。
あるいは回収する。
それをやる人間ですから、優秀な人間が選ばれます。
ですから覚えているか、これは偵察局マターだったんですが、潜水艦が韓国の沖に座礁した事件があります。
一人だけ生き残りがいます。
何人か殺されて逃げ出して射殺されて、おそらく一人だけは逃げ帰ったと思うんですが、ひとり韓国に生き残っている人間がいます。
彼なんかに話をして、彼は案内員だったんですね。
偵察局の中で、偵察員であり、案内員であったんですが。
その案内員、「あなた案内員だったんですか?つまりそれだけの能力・力があるんですね?」と言うふうに彼にインタビューしたときにですね。
「お前は分かるか?」という位にですね。
その案内員と言う響きが日本人には非常に馴染みが無いんですが、それは余談としまして。
とにかく案内員が基本的に拉致をする。
暴力的に振り向かせるのは、蓮池さんは声をかけたのは朴だったと言う言い方をして、声をかけて振り向かせて後ろからバンと殴るのは作戦部。
それまであの男をやるぞというふうに、ずっと指揮をするのは調査部。
この違いを皆さんとにかく覚えていてください。
もう一つのポイントは、辛光洙の事件も出てきますが、総連の関係者です。
話したい事は半分も言えなくて。(笑い)
辛光洙、もっと言いますと原敕晁さんのケースは、本当にこれは辛光洙流のやり方で、すねに傷を持っている総連関係者を集めて、何とかしろと。
結果的に2ヶ月だった。
で、彼は非常に有能だったと。
もっと言いますと、検閲の後に彼らは呼び戻されて、有能で無い人間はそこで全て辞職させられたはずですから、彼は80年に戻ってくる。
ただ、ここでもう一つだけポイントは76年に償還されて80年の4月に日本に来た。
その間にめぐみさんの事件、あるいは地村さんをやったという事はですね。
ポイントは何か?と言いますと、先ほど言ったように、原敕晁さんを拉致するには潜入して人定して決行まで2ヶ月なんですね。
ですから76年から80年の間に、そのベテラン工作員がずっと教育を受けていたなんて事は有り得ないんですね。
数ヶ月で戻ってきて、拉致して戻る。
また作戦で来て戻ってるのは間違いない。
それが一つの例が未遂事件の時に、目撃されているということです。
ちょっと話が中途半端になりましたが、後は質問で受け答えたいと思います。
◆―――――――――――――――――――――――――◆
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ありがとうございます。
ちょっと私の方からも、今の拉致がどのような形で行われたのか?と言うのを頭の整理をしてみたので、その問題提起をさせて頂いて、そして質問があれば受けたいと思うんですが。
今恵谷さんがまず拉致の形としてですね。
3つ言ったんですね。
遭遇型がある。
拉致を目的にして入って来たんではなくて、別の目的で入って来て見られてしまった。
遭遇したと、そこで拉致が行われた。
マグジャビ型。
朝鮮語でむやみやたらと言う意味だと恵谷さんは言いましたけども、マグジャビ型と言うのは人定がされない段階で入って来てアベックなら若いアベックを連れて来いとか、言う形で連れて行った。
これがあったという事を証言しているのが安明進です。
聞いている。
それから3つ目が人定型だと。
工作員がまず人定をして、そして海岸に連れて行って戦闘員に渡す。
戦闘案内員ですね、今の言い方ですと。
そして今度は拉致の目的が今まで明らかになっている物は、4つあるいは5つあるんです。
ひとつは工作機密の隠蔽である。
ふたつめが身分の取得と。
三つ目が工作員の教官。
四つ目が工作員として使う。
これはよど号グループがそうですね。
五つ目に恵谷さんが検討の必要があると言ったのは、専門知識の取得。
これはまだ実例が上がってはいないんですが、しかしそれは想定されると言う事です。
そうするとですね。
遭遇型をAとして、マグジャビ型をBとして、人定型をCとする。
そして目的の方の工作機密隠蔽を1、身分取得を2、工作員用教師を3、工作員を4、専門知識を5とすると、Aの1、2、3、4、5と考えられる。
遭遇型ではAの1が明らかになっていて、それは寺越さんたち。
それ以外にAの2、3、4、5というのは今のところ明らかになっていません。
そして次のマグジャビ型をBとすると、BはBの3しか明らかになっていない。
工作員の教師とする。
この部分が一番問題になるわけです。
マグジャビ型で工作員の教師とするのがあったかどうか?
今表に出てるのは横田めぐみさん、地村さん、蓮池さん、市川・増元さん、曽我さん親子、富山のケース。
誰かにつれて行かれて海岸に行ったのでは少なくともない。
海岸の近くにいたわけです。
そして襲われている。
マグジャビ型とも思われる。
それから今度はCで人定型。
Cの1は無いんですが、Cの2で身分の取得では久米さんと小住さんと原さんが問題になる。
Cの3では田中実さんと田口八重子さん。
Cの4で松木さんと石岡さんと有本さんがやられて。
今のところCの5というのはまだ判明していない。
ここで問題になるのは、マグジャビ型があったのかどうか?
今マグジャビ型とも想定される横田さん、地村さん、蓮池さん、市川、増元さん、曽我ひとみさんと富山のケースですね。
具体的な犯人像が明らかになっているのは、地村、蓮池、曽我、富山のケースなんですね。
犯人が目撃されている、被害者が証言している。
このケースは皆4人と言ってるんです。
地村さんも、蓮池さんも、曽我さんも、富山の人たちも4人に襲われたと言っている。
4人の内3人が戦闘案内員で、一人が工作員であったと思われる。
地村さんは辛(光洙)がいたと言っている。
後3人いたと。
蓮池さんは朴がいた。
そして3人と。
曽我さんは3人の男が後ろから歩いてきて襲われたと言っている。
そして女性工作員、中年の女性と一緒に工作船に乗って清津まで連れて行かれて、清津から平壌まで一緒に行って、その女性工作員がある期間、教育係だったと言ってるんですね。
それはつまり女性が工作員で、3人が戦闘員。
富山も4人と警察は認定しているんですが、多分直に4人と聞いているんで、中に辛と似ている人間がいたわけで、少なくとも辛は当時40代ですから、40代の工作員がいて辛なのか他の男なのか知りませんが年取ったのがいて、そして戦闘員は20代だと思われます。
が、3人いたと。
安明進の話ではマグジャビ型で当初やった所、工作員の教官として使えない人もいたので、後で日本国内の組織に人定をさせてそれから上手くいった。
いう話を工作機関の教育の中で聞いているんですが、しかし人定型はマグジャビ型と並行してあるいは先に行われてますので、その説明だけでは教師のリクルートの部分だけについての説明なのか?限定的だと思いますが。
つまりBの3、マグジャビ型で工作員の教師を連れて来いという形があったのか?
あったとするとそこの部分については日本の国内の協力者の存在と言うのは余り考えられない。
工作員も日本の事情を知っている工作員が、数ヶ月とか、あるいは私は一緒に追って来たのかもしれないと見ている。
そこで土地勘のある人間と3人で、まぁ安明進に聞いたら、一人が一人を拉致するのは簡単なんだと。
二人拉致するのに予備で3人いて、日本の事情を分かっているのがもう一人いたんじゃないかと。
もう少し厳密にですね。
恵谷さんの仰っていた、何部の所属でどうなのかと言う事を当てていって、考えなければいけないけれども。
こういうふうに考えていくと、今日警察庁に行きまして警備局長が年末に拉致被害者から新たな証言を聞いたと。
その結果、拉致の実行犯は今まで考えているよりは限定されているんじゃないか?
同じグループが何回も拉致していたんじゃないかと、今思っている。
一つの班が何人いてどういう目的でやったのかもう一回洗い直さなければいけないという話をしていたんですが、その前に実行犯がマグジャビ型なのか、人定型なのか、遭遇型なのか。
目的が教師なのか、身分なのか、あるいは工作員として赤軍の仲間にしようとしたのか、全体像としてそれを考えていかなくちゃいけないんではないかなと。
今の段階で言えるのはこれ位じゃないかな、と私は整理しているんですが恵谷さんどうでしょう?
★恵谷治氏
いえ、もう、はいそうです。
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よど号犯人と拉致問題 東京集会11 投稿者:ぴろん 投稿日: 2月 1日(水)03時21分38秒 引用
『恵谷治氏の講演 その3』
いずれにせよ70年代そういう形でやったんですが、一番ポイントはですね。
80年によど号の、それまでにご存知のよど号の妻たちってのがどんどん日本に入って来ます。
80年にNHKでも報道された、名古屋から魚本(民子)が連れて行った男性がいたらしいんですが、どうやら帰って来ていると。
私もイマイチ判断出来ない、苦しいのはですね。
返す人間と返さない人間とどう違うのか?
それでいろいろ私も考えてですね。
ふと先ほど言った、調査部マターか連絡部マターか、つまり部署の違いがあるのかなぁ?と言うふうに考えました。
ご存知の安明進と言うのは有名な工作員といわれますが、彼は調査部でもなく連絡部でもなく作戦部という、金正日が大検閲をして以降、新たに設置された組織の人間です。
とにかくまだ結論は出ないんですが、そういうふうな視点で物を見る必要があった。
と言う事でもう一度話を戻しますと、拉致をこれまでしてきた部署を見ますと調査部か連絡部なんです。
それ以外は、証拠・事実としてはないんですが、可能性としては偵察局、軍です。
ただ具体例はまだありません。
今までハッキリしているのは調査部か連絡部なんです。
で、作戦部といいましたがもう一度、金正日が大検閲を行った後、紆余曲折はあったんですが77年までに固まったのはですね。
3号庁舎には連絡部、調査部、作戦部、統一戦線部、4つ目の統一戦線部。
これは皆さんもご存知だと思いますが、朝鮮総連を管轄する指揮する部署です。
この4つで確定されたと言うか、現在に至ってます。
その間いろいろ名前が変わりまして、その当時の部署、例えば大韓航空機爆破事件を起した金賢姫と言うのは調査部に属していまして、調査部と言うのが新聞報道でいろいろいろいろ言われたもんですから、その後は35号室と言う名前に変えてます。
しかしこれは誰が見ても調査部で、工作員も未だに調査部と古い名前で呼ぶケースが多いんですが、いずれにせよ3号庁舎には4つあります。
拉致の作戦計画、当然上からも来るんですが、この先ほど言った調査部と連絡部の二つの部署が、いわば競い合って拉致をやる。
その良い例がですね。
70年代、77年ぐらいだったかな?
ドイツに在住していた韓国人ピアニストと、ユン・ジョンヒという女優さんが奥さんでした。
彼らを金正日の指令で拉致をする。
ところがこれもザグレブ、ユーゴスラビアでその拉致は失敗します。
それは連絡部でした。
翌年今度は韓国の申相玉さん(映画監督)と崔銀姫さん(女優)の夫婦を、別々に拉致するんですがこの拉致をしたのは調査部です。
調査部は金正日から高く評価されたんですが、いろんな事があるんですが、一つ拉致についても競い合わせる。
先ほど言ったようによど号の連中は連絡部管轄。
しかし、拉致の作戦実行、作戦を担当するキム・ユーチョルと言うのは調査部の工作員だと。
この辺が未だにちょっとハッキリしないんですが、よど号の場合はそうだと。
もう一つの見方としてはですね。
調査部と連絡部の二つの違い、大きな違いと言うのは連絡部は基本的に対南工作を専門。
もちろん例外はありまして、先ほどのザグレブの拉致未遂が連絡部であったんですが、それは例外的です。
調査部と言うのは韓国以外、ですから日本であれヨーロッパであれアジアであれ、そういう所で様々な作戦をする。
こういう大きな違いがあります。
皆さんもご存知だと思いますが、金正日政治軍事大学というところで4年あるいは6年間教育を受けてですね。
成績の良い順から部署配置がされる。
彼らは卒業後、配置と言う。
つまり一応希望は出すんですが、自分の意思とは無関係に配置されます。
その場合ですね、優秀な順に調査部、連絡部、統戦部、で作戦部なんです。
それがいわば3号庁舎の格付けですね。
3号庁舎内の部署の格付けです。
つまり調査部が一番偉い。
で、例の安明進はですね。
彼は外交官になって海外に行きたかったんですが、調査部に入れば多分、彼は亡命しなかったんじゃないかと思うんです。
で彼はあれだけの能力があるから当然調査部に入れたんですが。(横で西岡氏が「彼は調査部だったんです、調査部の依託生だったんです」の声)
ごめんなさい、失礼勘違いしました。
入る段階で、決まってたんですね。
で、卒業後に作戦部に回されたもんで頭に来て亡命をしたと、異色の人間なんですが。
でなぜ今のような格付けが起こるかといいますとですね。
最初の頃にも言いましたが、作戦部というのは金正日政治軍事大学でもですね。
全員がやるんですが、とにかく一番体力的に頑張る。
もちろんいろんな無線だのいろんな事があるんですが、頭脳より体力が優秀な方が作戦部に回す。
作戦部は工作船、あの展示している工作船と言うのは作戦部管轄で、その船長も作戦部そこに乗ってる人間も作戦部の人間で、3号庁舎内では最も人員が多い部署です。
その作戦部の部長はゴ・コクレツという金正日と同級生、学校が同期だった非常に有能な男がいるんですが、彼が部長をしています。
しかし、末端の人間、例えば韓国にたくさん脱北者がいますが、その工作員と言うか、金正日政治軍事大学の卒業生の同窓会のような物があります。
その中でですね。
「お前出身は?」「調査部だ」と言うと一目置かれるんです。
「お前は?」「作戦部か」というような明らかなランクがあるんです。
ある人間が私に言ったんですが、「作戦部と言うのはタクシーの運ちゃんですよ、変わらんのだから」
つまり船を運用します。
陸上で車の場合もあるかもしれませんが、基本的に日本の場合は船を運用する。
これはこれで非常に重要な任務ですが、そこに辛光洙のような調査部の人間をゲストとして乗せます。
この間奄美沖といいますか、銃撃戦があって沈んだ中に誰が乗っていたかと言うのはまだハッキリしませんが、これは作戦部以外の人間が乗っていたと言うことだけはハッキリしています。
証拠があるんです。
まだ公表されていませんが。
ですからあの船が何らかの任務であったと言う事は間違いないんですが。
いずれにせよ作戦部が運用する工作船には定員がありまして、全て作戦部の所属の人間です。
そこに連絡部、あるいは調査部の人間を乗せて運びます。
拉致と言う物をもう一度具体的に考えて見ましょう。
辛光洙の場合、辛光洙はですね。
めぐみさんを拉致したあるいは地村さんをという証言が今出て来ていますが、ハッキリしているのは原敕晁さんを拉致した。
その時は80年の4月に宮崎の海岸から潜入します。
それからですね。
人選をし、情報を集め、原敕晁と言う人物をピックアップし、宮崎まで連れて行って一緒に北朝鮮に戻ります。
それが6月24日に北に到着するんですが、いわば2ヶ月、一人の人間を拉致するのに2ヶ月、少なくとも彼の証言です。
それが可能だったんですが、それにもう裁判でも分かってますが、彼が主導していろんな人間に当たって、協力者を集めて宮崎まで連れて行くわけですが。
いろんなケースはあると思うんですが、先ほど行った調査部なり連絡部なりの人間が拉致をするというのは、いわゆる暴力的にと言うかそういう事をするわけではなくてですね。
まず命令を受ける。
その命令に添った人物を選定する。
それから接触をする。
それである程度納得させてある場所まで連れて行く。
で、そこで今度は作戦部の人間に任すんです。
それはもっと言いますと、迎えに来た人間、これには船に乗っています作戦部の人間が。
その中で最初に言いましたが船に乗っている人間は全員工作員ではなくて、戦闘員といいます。
ゴムボートで上陸する、その人間を戦闘案内員と言います。
日本語的に言うと案内員と言うのは何かイメージが違うんですが、実際はですね。
自分は案内員をしていたというと非常に能力がある。
つまり敵地に入って日本側の警戒をチェックして、客である調査部の人間、工作員を潜入させる。
あるいは回収する。
それをやる人間ですから、優秀な人間が選ばれます。
ですから覚えているか、これは偵察局マターだったんですが、潜水艦が韓国の沖に座礁した事件があります。
一人だけ生き残りがいます。
何人か殺されて逃げ出して射殺されて、おそらく一人だけは逃げ帰ったと思うんですが、ひとり韓国に生き残っている人間がいます。
彼なんかに話をして、彼は案内員だったんですね。
偵察局の中で、偵察員であり、案内員であったんですが。
その案内員、「あなた案内員だったんですか?つまりそれだけの能力・力があるんですね?」と言うふうに彼にインタビューしたときにですね。
「お前は分かるか?」という位にですね。
その案内員と言う響きが日本人には非常に馴染みが無いんですが、それは余談としまして。
とにかく案内員が基本的に拉致をする。
暴力的に振り向かせるのは、蓮池さんは声をかけたのは朴だったと言う言い方をして、声をかけて振り向かせて後ろからバンと殴るのは作戦部。
それまであの男をやるぞというふうに、ずっと指揮をするのは調査部。
この違いを皆さんとにかく覚えていてください。
もう一つのポイントは、辛光洙の事件も出てきますが、総連の関係者です。
話したい事は半分も言えなくて。(笑い)
辛光洙、もっと言いますと原敕晁さんのケースは、本当にこれは辛光洙流のやり方で、すねに傷を持っている総連関係者を集めて、何とかしろと。
結果的に2ヶ月だった。
で、彼は非常に有能だったと。
もっと言いますと、検閲の後に彼らは呼び戻されて、有能で無い人間はそこで全て辞職させられたはずですから、彼は80年に戻ってくる。
ただ、ここでもう一つだけポイントは76年に償還されて80年の4月に日本に来た。
その間にめぐみさんの事件、あるいは地村さんをやったという事はですね。
ポイントは何か?と言いますと、先ほど言ったように、原敕晁さんを拉致するには潜入して人定して決行まで2ヶ月なんですね。
ですから76年から80年の間に、そのベテラン工作員がずっと教育を受けていたなんて事は有り得ないんですね。
数ヶ月で戻ってきて、拉致して戻る。
また作戦で来て戻ってるのは間違いない。
それが一つの例が未遂事件の時に、目撃されているということです。
ちょっと話が中途半端になりましたが、後は質問で受け答えたいと思います。
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