「消えた277人」より
ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介していきます。
河嶋功一(かわしまこういち)さん
昭和33(1958)年5月5日生れ。身長168センチ、体重58~60キロ。
野球のピッチャーをしていたので、右腕が手のひら半分位左腕より長い。
ケガで左手中指を縫合ビ、少し内側に曲がっている。
膝上よりふくらはぎにかけてケロィド状の火傷痕がある。歩き方に特徴があり、少しうつむき加減につま先に力をかけて早足で歩く。
昭和57(1982)年3月22日、神奈川県横浜市金沢区洲崎で失蹟。当時23歳。
関東学院大学機械エ学科卒業直後。静岡県浜松市の会社に就職が決まっていた。
失蹉当日、功一さんの引っ越しを手伝うため、浜松から父親たちが車で下宿先に来ていた。
父親は荷物を積んだ車で、功一さんは汽車で浜松に帰ることになり、功一さんは「先に浜松に向かう」と、午前九時三十分頃下宿を出た。その際、父親が少し先の角まで見送っている。
まもなく父も車を走らせたが、途中で渋滞に遭い、「交通渋滞で遅れる」と浜松の実家に電話、そのとき、もう着いているはずの功一さんはまだ帰っていなかった。
実家で荷物を降ろし終えた父親は、戻らない功一さんの身を案じ、夜ふたたび横浜の下宿へ引き返したが、そこにも功一さんの姿はなかった。
失蹉時、所持金は電車賃と小遣い程度、荷物は小雨が降っていたため傘を一本持っていただけだった。
◆ 「あなたの友達が口捜す会しを立ち上げてくれました」 河嶋愛子さん(母)から
功一元気でいますか?
横浜の下宿で別れてから手を尽くして捜したけれども誰も行方を知る人がなく、どうしているかずっと心配していました。北朝鮮に拉致されていた人たち三家族が2002年日本に帰ってきました。そのニュースをみて功一も拉致されたと思い、特定失蹉者問題調査会に連絡し調査を依頼しました。今ではそちらで不自由な生活をしていないかとても心配しています。
拉致のことを報道で知った高校の同級生の光部君たちが、先輩で二期生の脊古さんという方と大変心配して「捜す会」を立ち上げ毎月二回家に集っていろいろな活動をしてくれています。
この放送を聴いていたら自分も必ず日本に帰ることができると信じて希望を持って頑張ってください。
生きて必ず逢えると信じています。功一がどんなに変わっていてもわかるように「カツ」の印を身に付けてマークにしてください。身体にはくれぐれも気をつけて、一日も早く家族と一緒に無事に日本に帰ってくることを祈っています。
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現在49才 失踪から25年
ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介していきます。
河嶋功一(かわしまこういち)さん
昭和33(1958)年5月5日生れ。身長168センチ、体重58~60キロ。
野球のピッチャーをしていたので、右腕が手のひら半分位左腕より長い。
ケガで左手中指を縫合ビ、少し内側に曲がっている。
膝上よりふくらはぎにかけてケロィド状の火傷痕がある。歩き方に特徴があり、少しうつむき加減につま先に力をかけて早足で歩く。
昭和57(1982)年3月22日、神奈川県横浜市金沢区洲崎で失蹟。当時23歳。
関東学院大学機械エ学科卒業直後。静岡県浜松市の会社に就職が決まっていた。
失蹉当日、功一さんの引っ越しを手伝うため、浜松から父親たちが車で下宿先に来ていた。
父親は荷物を積んだ車で、功一さんは汽車で浜松に帰ることになり、功一さんは「先に浜松に向かう」と、午前九時三十分頃下宿を出た。その際、父親が少し先の角まで見送っている。
まもなく父も車を走らせたが、途中で渋滞に遭い、「交通渋滞で遅れる」と浜松の実家に電話、そのとき、もう着いているはずの功一さんはまだ帰っていなかった。
実家で荷物を降ろし終えた父親は、戻らない功一さんの身を案じ、夜ふたたび横浜の下宿へ引き返したが、そこにも功一さんの姿はなかった。
失蹉時、所持金は電車賃と小遣い程度、荷物は小雨が降っていたため傘を一本持っていただけだった。
◆ 「あなたの友達が口捜す会しを立ち上げてくれました」 河嶋愛子さん(母)から
功一元気でいますか?
横浜の下宿で別れてから手を尽くして捜したけれども誰も行方を知る人がなく、どうしているかずっと心配していました。北朝鮮に拉致されていた人たち三家族が2002年日本に帰ってきました。そのニュースをみて功一も拉致されたと思い、特定失蹉者問題調査会に連絡し調査を依頼しました。今ではそちらで不自由な生活をしていないかとても心配しています。
拉致のことを報道で知った高校の同級生の光部君たちが、先輩で二期生の脊古さんという方と大変心配して「捜す会」を立ち上げ毎月二回家に集っていろいろな活動をしてくれています。
この放送を聴いていたら自分も必ず日本に帰ることができると信じて希望を持って頑張ってください。
生きて必ず逢えると信じています。功一がどんなに変わっていてもわかるように「カツ」の印を身に付けてマークにしてください。身体にはくれぐれも気をつけて、一日も早く家族と一緒に無事に日本に帰ってくることを祈っています。
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現在49才 失踪から25年