「消えた277人」より
ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介していきます。
大澤孝司(おおさわたかし)さん
昭和21(1946)年2月24日、生れ。
昭和49(1974)年6月21日新潟県佐渡郡新穂村で失踪。
当時27歳、新潟県佐渡農地事務所勤務。
当時住んでいた独身寮から約四ごこメートル難れた飲食店でタ食を済ませ、知人宅に寄ったあと行方不明となった,この時期は観光のオフシーズンだったため、住民も警察もかなり大規佐渡農地事務所では、失蹉後まもなく「北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったという。
同僚の話では「失瞬のニー三日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて、自殺や失蹉のそぶりは全くなかった」とのこと。
佐渡農地事務所には五十|六十人が勤務していて、うち十五|二十人程度が本土からの単身赴任。当日、食事を終えた孝司さんのあとをつける不審な男たちが目撃されている。
なお、北朝鮮製と思われるマッチが寮の前あたりに落ちていたという。同島では四年後に、曽我ひとみさん母子が拉致されている。
平成14年、新潟県知事が孝司さんは拉致の可能性があると発表した。
◆「君が植えた銀杏の木も、主の帰りを待っている」 大津昭一さん(兄から)
孝司元気だろうね。このたび北朝鮮の君達にお話が出来るようになりました。
そちらも寒いでしょうが、新潟も冷たく山手の小出などは「三八豪雪」よりも多い雪です。
孝司が新穂の街はずれから忽然と姿を消して以来三十年、お袋は二十年前に旅立ったが、親父は九十六歳になるも孝司との再会を張り合いに毎日テレビ、新聞を見て元気で暮らしている。ボケもまだない。
昭一と茂樹は小中学校の友人、高校、大学の友人の強い支援に支えてもらって孝司の救出運動を続けている。
孝司が庭に植えた銀杏の木も三十年の月日で大きく育ち、秋に毎度黄金色に輝き主の帰りを待っている。
親父ももう少し頑張るそうだから、孝司も体に気をつけて頑張ってくれ。
総理は日本の国の総理として拉致日本人の全員救出を必ずやるぞ、今年こそ日本人全員を必ず救出するぞ、日本の国だって強いんだぞ。
――――――――――――――――――――――――――――――――
現在61才 失踪から33年
参照記事
大沢孝司さんの救出を求め、兄昭一さん(右)らが署名を呼び掛けた=19日、新潟市中央区の古町十字路
北朝鮮に拉致された疑いが濃厚な新潟市西蒲区出身の特定失踪(しっそう)者大沢孝司さん=失踪当時(27)=の早期救出を目指し、同級生らでつくる支援団体「再会を果たす会」が19日、新潟市中央区の古町十字路で署名活動を行った。
これまで同会は西蒲区などを中心に活動を行ってきたが、この日は初めて市街地で実施。街頭には、孝司さんの兄昭一さん(71)や同級生らが立ち、買い物客らに協力を呼び掛けた。
同会は今年2月から、孝司さんの母校東京農業大学OB会の協力を得て、例年の3倍に当たる約3万人分の署名を既に集めている。こうした動きを受けて、県内でも取り組みを強化。孝司さんの父福一郎さんが98歳の誕生日を迎える11月までに、10万人分の署名を集めて政府に提出、拉致被害者として認定されることを目指す。
昭一さんは「拉致問題が進展しない上に、特定失踪者のままでは世間から忘れ去られてしまう。父が元気なうちに弟を取り戻したい」と力を込めた。
(リンク先の画像、間違っています)
ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介していきます。
大澤孝司(おおさわたかし)さん
昭和21(1946)年2月24日、生れ。
昭和49(1974)年6月21日新潟県佐渡郡新穂村で失踪。
当時27歳、新潟県佐渡農地事務所勤務。
当時住んでいた独身寮から約四ごこメートル難れた飲食店でタ食を済ませ、知人宅に寄ったあと行方不明となった,この時期は観光のオフシーズンだったため、住民も警察もかなり大規佐渡農地事務所では、失蹉後まもなく「北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったという。
同僚の話では「失瞬のニー三日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて、自殺や失蹉のそぶりは全くなかった」とのこと。
佐渡農地事務所には五十|六十人が勤務していて、うち十五|二十人程度が本土からの単身赴任。当日、食事を終えた孝司さんのあとをつける不審な男たちが目撃されている。
なお、北朝鮮製と思われるマッチが寮の前あたりに落ちていたという。同島では四年後に、曽我ひとみさん母子が拉致されている。
平成14年、新潟県知事が孝司さんは拉致の可能性があると発表した。
◆「君が植えた銀杏の木も、主の帰りを待っている」 大津昭一さん(兄から)
孝司元気だろうね。このたび北朝鮮の君達にお話が出来るようになりました。
そちらも寒いでしょうが、新潟も冷たく山手の小出などは「三八豪雪」よりも多い雪です。
孝司が新穂の街はずれから忽然と姿を消して以来三十年、お袋は二十年前に旅立ったが、親父は九十六歳になるも孝司との再会を張り合いに毎日テレビ、新聞を見て元気で暮らしている。ボケもまだない。
昭一と茂樹は小中学校の友人、高校、大学の友人の強い支援に支えてもらって孝司の救出運動を続けている。
孝司が庭に植えた銀杏の木も三十年の月日で大きく育ち、秋に毎度黄金色に輝き主の帰りを待っている。
親父ももう少し頑張るそうだから、孝司も体に気をつけて頑張ってくれ。
総理は日本の国の総理として拉致日本人の全員救出を必ずやるぞ、今年こそ日本人全員を必ず救出するぞ、日本の国だって強いんだぞ。
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現在61才 失踪から33年
参照記事
大沢孝司さんの救出を求め、兄昭一さん(右)らが署名を呼び掛けた=19日、新潟市中央区の古町十字路
北朝鮮に拉致された疑いが濃厚な新潟市西蒲区出身の特定失踪(しっそう)者大沢孝司さん=失踪当時(27)=の早期救出を目指し、同級生らでつくる支援団体「再会を果たす会」が19日、新潟市中央区の古町十字路で署名活動を行った。
これまで同会は西蒲区などを中心に活動を行ってきたが、この日は初めて市街地で実施。街頭には、孝司さんの兄昭一さん(71)や同級生らが立ち、買い物客らに協力を呼び掛けた。
同会は今年2月から、孝司さんの母校東京農業大学OB会の協力を得て、例年の3倍に当たる約3万人分の署名を既に集めている。こうした動きを受けて、県内でも取り組みを強化。孝司さんの父福一郎さんが98歳の誕生日を迎える11月までに、10万人分の署名を集めて政府に提出、拉致被害者として認定されることを目指す。
昭一さんは「拉致問題が進展しない上に、特定失踪者のままでは世間から忘れ去られてしまう。父が元気なうちに弟を取り戻したい」と力を込めた。
(リンク先の画像、間違っています)