Blue jewel

拉致の解決を願って
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消えた277人より 増元るみ子さん

2007-08-29 | 記録
増元るみ子(ますもとるみこ)さん 
 
(26)「消えた277人」より

ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介しています。

  

昭和28(1953)年11月1日生れ。
昭和53(1978)年8月12日、鹿児島県日置郡吹上町の吹上浜で市川修一さん(前述)とともに失踪。
当時24歳、事務員。
修一さんとともに吹上浜で消息を絶った。現場付近に残されていた修一さんの車には、るみ子さんのバッグとカメラが置いてあり、バッグの中のサングラス、財布、化粧道具などはそのままだった。
北朝鮮側は、昭和54年7月に二人は結婚し、るみ子さんは昭和56年に心臓麻痺で死亡したとしているが、修一さんと同様、これを裏付ける資料などは提供されていない。

「父ちやんも天国であなたを見守つている」 平野文子さん(姉)から
るみ子 元気ですか?
私の声分かる?姉ちやんよ。
あなたが突然いなくなってから27年もたってしまいましたね。
あなたが北朝鮮にいるということがわかって、みんなで救出のための運動をしていますが、まだあなたを助けることができません。
ごめんね。
でもきっと必ず日本に帰れる日が来るから、希望を捨てずに、ガンバレ!
父ちやんもあなたの帰りを待っていたけど、待てなかったみたい。きっと天国であなたを見守ってくれていると思います。安心してね。
母ちやんも膝の具ムロが悪いけど、あなたの帰りをクビを長くして待っているからね。
国際世論に訴えています。
もうすぐだから。日本国の人たちが応援してくれています。体を大事にして、帰れるその日
を待っていてね。
じやあね。

「必ず、必ず助ける!」 増元照明さん(弟)から
るみ姉、まず、末だに救出できないことをすまないと思う。
るみ姉がいなくなったとき、何が起きたのか全然理解できなくて、自分ではどうすることもできなくて、虚無感心碗なまれていました。
北にいるという話が出てきたとき、もっと早く、もっとそれを強く信じて動いていれば、こんなに長くかかることはなかったかも知らん。そう思うと悲しくなってしまう。
でもいま日本では多くの人たちがるみ姉の帰りを待っている。清水中の同級生たちが懸命に
救出運動をしてくれていますよ。
必ず救出するから、希望を捨てないで、耐えて、そしてもうすぐ暖かい鹿児島で暮らす事ができることを思って、我慢していて下さい。
お袋は、るみ姉が帰ってくるまで元気でいると言っている。
必ず、必ず助けるから、だから待っていてくれ!
最後にこの放送を聞いている北朝鮮政府関係者、北朝鮮人民に伝える。
日本政府は日本人拉致被害者を傷つけたり、そして殺したりした場合、一切の経済協力はしない。
これだけは私は断言して言う。
必ず日本国民の拉致被害者を守って、そして生きて返す。
このことを肝に銘じてこの放送を聞いていてほしい。
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 失踪時24才 失踪から29年  今年の秋、54才になる



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