皆さん、こんにちは。
ただいまご紹介をいただきました、特定失踪者問題調査会の一応専務理事でございます。(笑い声)
この暑い中ですね、多数「古川了子さんを救う千葉集会」にお集まりいただいて心から感謝を申し上げます。
私どももこの古川さんの問題、ある意味で400何十人と言われる特定失踪者の問題の中でも、思いを代表するような形でですね。
この度訴訟と言う形でですね、取り組まさせて頂いております。
訴訟となりますとですね。
大変難しい問題を抱えますので、私ども弁護士の先生方、法律家の会と呼んでおりますけども。
30人の弁護士の先生方が、団結してこの古川了子さんの訴訟に当たると言うことでございます。
訴訟のことですから、その結果がどうなるか?
予断は許さないわけですけれども、大変重要な意味を持つ訴訟ですので、我々としてもですね。
ぜひ良い結果を生むように頑張っていきたいと言うふうに思っています。
最初に今日は大町ルートのお話をしながらですね、千葉県における特定失踪者の方々に触れさせて頂いて。
この拉致問題の拉致問題の全容解明のごくごく一部に当たると思いますけども、これを皆様にぜひご報告をさせて頂いて。
また皆様の方でお気づきのこととかありましたら、ぜひ情報としてお知らせいただければ幸いでございます。
冒頭千葉と言うことなんですけども。
皆様ご存知のことと思いますが、千葉県議会で千葉県警本部長の答弁というのはご存知でらっしゃいますでしょうか?
あれはいつだったか?私もちょっとハッキリしませんけど、千葉県議会でですね。
「千葉県における拉致問題はあるのか?」と言う議員さんの質問のときに、千葉県警本部長は「千葉においては拉致はありません」と言うふうに県議会の場で答弁をされました。
その後ですね私ども、その時はすでに古川了子さんの案件は明らかになっていたわけです。
しかしながら、千葉県警としては正式のコメントとしてですね。
千葉においては拉致は無いというふうに言明をされたわけです。
これ今どうなっているのか?私つぶさには知らないんですけど。
警察の方でもですね、この千葉には拉致は無かったと。
無いという見解をですね、ぜひ改めて頂きたいなと思っております。
少なくとも千葉において、拉致の容疑は濃厚であるという方の存在は認めていただいてですね。
やはり千葉県警挙げて、古川了子さんをはじめとする特定失踪者の問題に全力で取り組んで頂きたいと、思っております。
そうなんですけども、あまり警察ばかり責めているわけにはいかないんですね。
私どもが拉致問題を始めてからしばらくの間。
そして特定失踪者問題調査会と言うのを立ち上げてからしばらくの間、私も千葉には何度もお邪魔していろんな方と話をいたしました。
ところがお会いした方々皆さん異口同音に「千葉?千葉に拉致あるわけないよ」と。
「日本海側じゃないし、太平洋側だから拉致なんて無いよ」
いうのが警察の方々、他の政府機関の方々、そして普通の住民と言いますか市民の皆さん方も同じようなコメントが返って来ておりました。
それだけですね。
やはり太平洋側の、新潟と反対側の太平洋側の千葉県ですから、当初そういう認識を持たれていたと言うのはある意味では自然なことなのかな?と思っておりますが。
今に至ってそのような認識を持っていらっしゃる方、まさかいらっしゃらないというふうに私信じておりますけども。
信じるどころか私自身は、この千葉県と言うのはこの拉致問題を解明するに当たって、とっても重要な場所であると言うことを認識したわけであります。
このきっかけになったのがいわゆるカッコ書きの「大町ルート」と言う物であります。
このカッコ書きであるのは、まだまだ検証していかなければならない部分がたくさんありるので。
確証にまでは至っていないのですけど。
調べれば調べるほど大町ルートに怪しい存在と言いますかね。
拉致との関わりが大変強いルートだなと言うことを認識しつつあります。
で、もちろん、こうした拉致ルートと言うのは全国にいくつもあると思っております。
そこが具体的にどこなのか?と言うのが中々解明されていないのですけれど、少なくとも拉致された被害者と言うのを運ぶルートと言うのがあるんですね。
田口八重子さんは東京の池袋のど真ん中で、工作員によって誘き出されているんです。
仕事場から誘き出されてそして、まだまだ分からないんですけど、宮崎県の青島海岸まで連れて行かれてそこから工作船に乗せられて運ばれたと。
言うことのようなんです。
まだこれはハッキリ分かっていません。
とすると、当然東京から遠路はるばる2000キロくらい離れている宮崎の青島海岸までどうやって運んだのかな?と、言うことなんですね。
それだけの長い距離を運ぶとすると、そうとうご苦労が工作員にも発生していると思います。
車で運ぶとするなら何泊もしなきゃなりませんね、当時としては。
一人や二人じゃ絶対無理です。
工作員だって腹が減るからどこかで飯を食わなきゃいけないし、トイレ休憩しなきゃいけないし。
と言う所で普通のドライブをしているような物じゃないわけですから、当然そこで協力者と言う者が存在しなければ、それだけの距離を運べることは出来ないわけですね。
その協力者の存在なくしてこの拉致問題は無いと言う前提に立って、大町ルートと言うものをまた眺めて見ると、いろんなことが分かってきたと言うことでございます。
最初にちょっとこの大町ルートと言うものをですね、時間が許す限り詳しくお話したいと思いますけども。
お手元に大町ルートの地図がございますですかね?(大町ルートの地図はこちら)
ちょっと暗くて見辛いかと思いますけど。
これに基づいてご説明をさせて頂きたいと思います。
この絵はですね、私どもが作ったんじゃなくて、特定失踪者のご家族で高野美幸さんという方がですね。
一生懸命作ってくださったもので、大変重宝しているのですが。
これに基づいてお話をしていきたいと思っております。
この大町ルート、出発点が銚子周辺という事になります。
我々が知る限り、このきっかけになったのが実は加瀬テル子さんを調査している中でですね。
出て来た訳です。
私が初めて加瀬テル子さんの叔母さんにお会いしたときに、叔母さんの口から「当時この海上町で砂鉄を取っていました」と。
で、「その砂鉄の採集に日本人はもとより在日の人がたくさんいましたよ」と。
言う話から、これは一体どういうことなのかなぁ?というふうに強い関心を持ちまして。
今日も来られていますが、加瀬さんの従兄弟の仲條さんなどとも一緒になって色々調べていくうちに。
砂鉄のみならず当時はあの海上、海上町とか隣の旭市では水飴を作っていましたと。
それも日本人の人たちも作っていたけど、在日の人たちも作っていて、加瀬テル子さんの家もご実家も、そういった砂鉄だとか水飴にも関わっていて。
在日の人たちがよく加瀬さんの自宅の方にも良く来られていたということが、だんだんだんだん明らかになってきまして。
これいったいなんだろうな?ということでした。
そして水飴と砂鉄がどういうふうに使われるんだろうというふうに、考えました。
すると砂鉄と言うのは当然上質の金物ですね。
刃物ですとかね、そういった物に大変有効ですし、高品質の鉄が出来るわけですが。
それがですね、どうも新潟方面・富山方面に当時運ばれていたと。
それがどうも北朝鮮にも渡っていたようだ、ということでした。
それから水飴の方なんですけども、水飴も同じようにどうも新潟方面・富山方面に向けて運ばれていたようだと。
北朝鮮にも送られていたようだと言うことなんですが。
水飴と言うのはですね、朝鮮の焼酎がありますですよね?
韓国で言うと「ジンロ」が有名ですけど。
ああいった朝鮮の焼酎の味付けに水飴と言うのが使われているようですね。
水飴と砂鉄と言う物がこの銚子周辺で採られていて、千葉市を経由してどうも東京そして山梨・長野そして新潟方面・富山方面に運ばれていったと、言うことが判明してきました。
それで拉致とは結びつかなかったんですけど、これをヒントにですね。
大町ルートと言うものを何度も調べているうちに、類似した産品が明らかになりました。
それはテングサなんですね。
寒天の材料になるテングサです。
戦後ですけれども、当然水飴とか砂鉄とかも戦後の話なんですけども。
このテングサと言う物もですね。
この地図にもありますけども、大島とか新島・三宅島といったところでですね。
採取されていました。
このテングサを取っていた人たちが、当時在日の人たちだったわけですね。
在日の人たちがテングサを採って、それが横浜に運ばれてこの大町ルートを伝わっていって、これは北朝鮮ではなくて長野の名産になっていくわけです。
テングサというのはトコロテンの材料になっていくんですが、トコロテンの産地ってご存知でしょうか?実は長野なんです。
何で長野が、海の無い長野がトコロテンの産地なんだ?と大変興味を持ったところ、このルートを使ってですね。
戦前ですよ?
テングサが運ばれてきたということになるわけですね。
(筆者注: 寒天はテングサの煮汁を厳冬期の外気に晒し、いわゆるフリーズドライにして水分を抜いて作ります。寒天作りには冬の厳しい寒さが絶対に必要。長野は寒天の産地として有名な所です)
それから朝鮮総連との関係もこのルートで探してみた所、たくさんのことが分かってきました。
まず朝鮮総連直営のパチンコ店というのがこのルートに一杯存在します。
特に多いのがですね、実は山梨なんですけどね。
そういったところに、こういったルートに朝鮮総連が直営店というのがたくさんあるんですね。
全国で40~50あるんですけども、このルートになぜかたくさん有るということですね。
それからさっき増元さんの方からお話がありましたけど、山形の方には不思議と朝鮮総連の直営パチンコ店が多い所なんですが、これはちょっとあれですけども、そういったルートでありました。
それからいわゆる協力者と言いますが、土台人と言いますね。(後ろのホワイトボードに「土台人」と板書する)
まぁご存知の方いらっしゃいますと思いますが「トテイジン」といいますけども、日本語で土台人と言いまして、言葉の通り土台を作る人、と言う意味で。
日本に定着をして様々な活動をする人たちを称して、この土台人ということになります。
この土台人と呼ばれている人たちが、おそらくはこの拉致、最初に申し上げましたが拉致された被害者を運ぶ上で重要な役割を果たした人たちだろうと思っています。
その土台人だろうと思われる人たちがこのルート上にたくさんいるということです。
名前は分かっていますけども、ここでしゃべっちゃうと名誉毀損で訴えられちゃう可能性がありますので、それは避けるといたしましても。
日本の朝鮮問題でとっても重要な役割をというか、大きな事件に絡んだ土台人がこのルート上に存在しています。
一番有名なのが、朴・チョンヒ大統領が狙撃事件と言うのは皆さんご存知ですか?
奥さんが殺されましたですね。
こういった壇上にムン・セガンという男が近づいてきてバンバンと撃ったら朴・チョンヒ大統領に当たらなくて、奥さんに弾が当たって亡くなったと言う事件ですが。
そのムン・セガンという人物は日本で交番を襲ってですね。
交番のお巡りさんの拳銃を盗んで、それで韓国に渡ってそしてその事件を起こしているわけですけど。
このムン・セガンを日本で匿っていた人物がこのルート上に存在するということです。
それからもうひとつ行きますと、有名なシン・ガンスと言うのがいますね。
原敕晁さんの拉致の実行者ですね。
もちろん超有名人ですけど。
これのシン・ガンスを匿っていた人物もこのルート上に存在します。
と、言い出すとキリが無いんですけど、要するにこのルート上にこう言うふうにですね。
いろんな工作活動をするうえで重要な役割をする土台人がいる、ということです。
それからこれも固有名詞を申し上げるとちょっと難しいんですけど。
足立区にあるN病院。
N病院といえば、ご存知の方はあぁ、あそこだとなるわけですけど、このN病院と言う物が在日の大物が経営する病院なんですけど、ここが当然大町ルートに存在し。
尚且つですね。
このN病院の保養施設がこのルートからちょっと外れるんですけども、鴨川と○○(エミ?エミリ?ハッキリ聞き取れず)にあります。
当然ここが何らかの工作活動に使われたのじゃないか?と想像をしていたわけですけども。
これは後でお話しますけども、こういった施設がたくさんこのルートに存在します。
それからこのルートの重要性を示す一つの事件としてですね、有名な黄長書記さんていますよね?
北朝鮮から亡命した方ですけれども、今韓国にいますけど。
超大物の方ですけども。
この方がですね。
韓国に亡命する前に日本に立ち寄っておられるわけですね。
ルートと言うのはですね。
この逆コースです。
大阪空港から富山に抜けて、富山からからこのルートを使って長野に抜けて、そして甲府に寄って、そして東京の小平市。
私の住んでいるところですけど、そこに朝鮮大学校と言うのがございます。
朝鮮総連の経営する大学校ですね。
そこに立ち寄って東京方面に行って、そこから中国に渡って、そこで亡命をしたと言う経過になってますから。
この黄長さん、通った所はですね。
ただ通った所じゃなくて、拠点拠点に重要な人たちがいたわけです。
そこの重要な人たちと色々な話をしながら、何の話をしたか分かりませんけど。
話をしながら亡命ルートを辿って行ったという意味で、ルートと言うのはとても彼らにとって大事なルートなんだな?という事に気が付いたわけです。
そしてですね。
言い出せばキリが無いんですけども。
特に重要だなと思っているのは、旧日本軍の基地。
それから軍需工場との関係です。
どうもですね。
日本軍の基地があったところ、それから重要な軍需産業があったところから、そうした失踪なり何なりが有るなと感じたわけですね。
それを具体的に千葉で言うとですね。
香取航空隊基地になります。
旭市ですね。
加瀬さんの所の海上町のとなりの旭市に香取航空隊の基地の跡がありますね。
現在でも。
ここでそのとなりで加瀬さんの事件が起こったわけですけれども。
この香取航空隊基地は誰が作ったかと言うと、皆さん大先輩の方はご存知だとおもいますけども。
戦前のことですから、徴用と言う形でですね。
多くの在日の方がそこの基地を作るのに従事した。
その後戦争が終わってその在日の方がどうなったか?ということです。
戦争直前に朝鮮半島から徴用としてこの基地の建設に携わった方は戦後戻っています。
しかし戦争以前から日本にずっと長く日本に居住していた在日の人たちは、そのまま日本に残るわけですね。
そういった環境がじつは軍需産業の中にもあるわけです。
この中で一番重要な、たくさん有るんですけども、この軍需産業の一番重要なところは実は大町にございます。
長野県の大町ですね。
そこも今ある大きな工場があるんですけども、それは当然戦前に出来まして軍需産業として作られた所です。
そこに同じように在日の人たちがあそこで建設に携わり、そしてその戦争が終わったらその近くに住まわった、と言うことなんですが。
そこに先ほど申し上げましたような土台人と呼ばれる人たちが、そこに住んでいらっしゃると。
言うことでございます。
ですから拉致と言うものはですね。
闇雲に行われた物ではなくて、そういう歴史的な背景・歴史的な経過の中から、どうも土台人という人たちが点・点・点と存在をし、そこに北朝鮮からやってきた工作員ですね。
シン・ガンスのような工作員が、そこを転々としながら拉致・その他対日工作の拠点としていたであろうということですね。
その中で本国からですね。
拉致指令と言うものが来た時に、そういう周辺にある意味では物色すると。
対象をですね。
いうことになっていって実行されていく。
そういうことですから、どうも拉致と言うのはですね。
現れて来ている現象は点なんですけども、どうも点だけではなくって線があるようだというふうに今思って来ております。
話の花束ぴろんさんのテキストです。
ただいまご紹介をいただきました、特定失踪者問題調査会の一応専務理事でございます。(笑い声)
この暑い中ですね、多数「古川了子さんを救う千葉集会」にお集まりいただいて心から感謝を申し上げます。
私どももこの古川さんの問題、ある意味で400何十人と言われる特定失踪者の問題の中でも、思いを代表するような形でですね。
この度訴訟と言う形でですね、取り組まさせて頂いております。
訴訟となりますとですね。
大変難しい問題を抱えますので、私ども弁護士の先生方、法律家の会と呼んでおりますけども。
30人の弁護士の先生方が、団結してこの古川了子さんの訴訟に当たると言うことでございます。
訴訟のことですから、その結果がどうなるか?
予断は許さないわけですけれども、大変重要な意味を持つ訴訟ですので、我々としてもですね。
ぜひ良い結果を生むように頑張っていきたいと言うふうに思っています。
最初に今日は大町ルートのお話をしながらですね、千葉県における特定失踪者の方々に触れさせて頂いて。
この拉致問題の拉致問題の全容解明のごくごく一部に当たると思いますけども、これを皆様にぜひご報告をさせて頂いて。
また皆様の方でお気づきのこととかありましたら、ぜひ情報としてお知らせいただければ幸いでございます。
冒頭千葉と言うことなんですけども。
皆様ご存知のことと思いますが、千葉県議会で千葉県警本部長の答弁というのはご存知でらっしゃいますでしょうか?
あれはいつだったか?私もちょっとハッキリしませんけど、千葉県議会でですね。
「千葉県における拉致問題はあるのか?」と言う議員さんの質問のときに、千葉県警本部長は「千葉においては拉致はありません」と言うふうに県議会の場で答弁をされました。
その後ですね私ども、その時はすでに古川了子さんの案件は明らかになっていたわけです。
しかしながら、千葉県警としては正式のコメントとしてですね。
千葉においては拉致は無いというふうに言明をされたわけです。
これ今どうなっているのか?私つぶさには知らないんですけど。
警察の方でもですね、この千葉には拉致は無かったと。
無いという見解をですね、ぜひ改めて頂きたいなと思っております。
少なくとも千葉において、拉致の容疑は濃厚であるという方の存在は認めていただいてですね。
やはり千葉県警挙げて、古川了子さんをはじめとする特定失踪者の問題に全力で取り組んで頂きたいと、思っております。
そうなんですけども、あまり警察ばかり責めているわけにはいかないんですね。
私どもが拉致問題を始めてからしばらくの間。
そして特定失踪者問題調査会と言うのを立ち上げてからしばらくの間、私も千葉には何度もお邪魔していろんな方と話をいたしました。
ところがお会いした方々皆さん異口同音に「千葉?千葉に拉致あるわけないよ」と。
「日本海側じゃないし、太平洋側だから拉致なんて無いよ」
いうのが警察の方々、他の政府機関の方々、そして普通の住民と言いますか市民の皆さん方も同じようなコメントが返って来ておりました。
それだけですね。
やはり太平洋側の、新潟と反対側の太平洋側の千葉県ですから、当初そういう認識を持たれていたと言うのはある意味では自然なことなのかな?と思っておりますが。
今に至ってそのような認識を持っていらっしゃる方、まさかいらっしゃらないというふうに私信じておりますけども。
信じるどころか私自身は、この千葉県と言うのはこの拉致問題を解明するに当たって、とっても重要な場所であると言うことを認識したわけであります。
このきっかけになったのがいわゆるカッコ書きの「大町ルート」と言う物であります。
このカッコ書きであるのは、まだまだ検証していかなければならない部分がたくさんありるので。
確証にまでは至っていないのですけど。
調べれば調べるほど大町ルートに怪しい存在と言いますかね。
拉致との関わりが大変強いルートだなと言うことを認識しつつあります。
で、もちろん、こうした拉致ルートと言うのは全国にいくつもあると思っております。
そこが具体的にどこなのか?と言うのが中々解明されていないのですけれど、少なくとも拉致された被害者と言うのを運ぶルートと言うのがあるんですね。
田口八重子さんは東京の池袋のど真ん中で、工作員によって誘き出されているんです。
仕事場から誘き出されてそして、まだまだ分からないんですけど、宮崎県の青島海岸まで連れて行かれてそこから工作船に乗せられて運ばれたと。
言うことのようなんです。
まだこれはハッキリ分かっていません。
とすると、当然東京から遠路はるばる2000キロくらい離れている宮崎の青島海岸までどうやって運んだのかな?と、言うことなんですね。
それだけの長い距離を運ぶとすると、そうとうご苦労が工作員にも発生していると思います。
車で運ぶとするなら何泊もしなきゃなりませんね、当時としては。
一人や二人じゃ絶対無理です。
工作員だって腹が減るからどこかで飯を食わなきゃいけないし、トイレ休憩しなきゃいけないし。
と言う所で普通のドライブをしているような物じゃないわけですから、当然そこで協力者と言う者が存在しなければ、それだけの距離を運べることは出来ないわけですね。
その協力者の存在なくしてこの拉致問題は無いと言う前提に立って、大町ルートと言うものをまた眺めて見ると、いろんなことが分かってきたと言うことでございます。
最初にちょっとこの大町ルートと言うものをですね、時間が許す限り詳しくお話したいと思いますけども。
お手元に大町ルートの地図がございますですかね?(大町ルートの地図はこちら)
ちょっと暗くて見辛いかと思いますけど。
これに基づいてご説明をさせて頂きたいと思います。
この絵はですね、私どもが作ったんじゃなくて、特定失踪者のご家族で高野美幸さんという方がですね。
一生懸命作ってくださったもので、大変重宝しているのですが。
これに基づいてお話をしていきたいと思っております。
この大町ルート、出発点が銚子周辺という事になります。
我々が知る限り、このきっかけになったのが実は加瀬テル子さんを調査している中でですね。
出て来た訳です。
私が初めて加瀬テル子さんの叔母さんにお会いしたときに、叔母さんの口から「当時この海上町で砂鉄を取っていました」と。
で、「その砂鉄の採集に日本人はもとより在日の人がたくさんいましたよ」と。
言う話から、これは一体どういうことなのかなぁ?というふうに強い関心を持ちまして。
今日も来られていますが、加瀬さんの従兄弟の仲條さんなどとも一緒になって色々調べていくうちに。
砂鉄のみならず当時はあの海上、海上町とか隣の旭市では水飴を作っていましたと。
それも日本人の人たちも作っていたけど、在日の人たちも作っていて、加瀬テル子さんの家もご実家も、そういった砂鉄だとか水飴にも関わっていて。
在日の人たちがよく加瀬さんの自宅の方にも良く来られていたということが、だんだんだんだん明らかになってきまして。
これいったいなんだろうな?ということでした。
そして水飴と砂鉄がどういうふうに使われるんだろうというふうに、考えました。
すると砂鉄と言うのは当然上質の金物ですね。
刃物ですとかね、そういった物に大変有効ですし、高品質の鉄が出来るわけですが。
それがですね、どうも新潟方面・富山方面に当時運ばれていたと。
それがどうも北朝鮮にも渡っていたようだ、ということでした。
それから水飴の方なんですけども、水飴も同じようにどうも新潟方面・富山方面に向けて運ばれていたようだと。
北朝鮮にも送られていたようだと言うことなんですが。
水飴と言うのはですね、朝鮮の焼酎がありますですよね?
韓国で言うと「ジンロ」が有名ですけど。
ああいった朝鮮の焼酎の味付けに水飴と言うのが使われているようですね。
水飴と砂鉄と言う物がこの銚子周辺で採られていて、千葉市を経由してどうも東京そして山梨・長野そして新潟方面・富山方面に運ばれていったと、言うことが判明してきました。
それで拉致とは結びつかなかったんですけど、これをヒントにですね。
大町ルートと言うものを何度も調べているうちに、類似した産品が明らかになりました。
それはテングサなんですね。
寒天の材料になるテングサです。
戦後ですけれども、当然水飴とか砂鉄とかも戦後の話なんですけども。
このテングサと言う物もですね。
この地図にもありますけども、大島とか新島・三宅島といったところでですね。
採取されていました。
このテングサを取っていた人たちが、当時在日の人たちだったわけですね。
在日の人たちがテングサを採って、それが横浜に運ばれてこの大町ルートを伝わっていって、これは北朝鮮ではなくて長野の名産になっていくわけです。
テングサというのはトコロテンの材料になっていくんですが、トコロテンの産地ってご存知でしょうか?実は長野なんです。
何で長野が、海の無い長野がトコロテンの産地なんだ?と大変興味を持ったところ、このルートを使ってですね。
戦前ですよ?
テングサが運ばれてきたということになるわけですね。
(筆者注: 寒天はテングサの煮汁を厳冬期の外気に晒し、いわゆるフリーズドライにして水分を抜いて作ります。寒天作りには冬の厳しい寒さが絶対に必要。長野は寒天の産地として有名な所です)
それから朝鮮総連との関係もこのルートで探してみた所、たくさんのことが分かってきました。
まず朝鮮総連直営のパチンコ店というのがこのルートに一杯存在します。
特に多いのがですね、実は山梨なんですけどね。
そういったところに、こういったルートに朝鮮総連が直営店というのがたくさんあるんですね。
全国で40~50あるんですけども、このルートになぜかたくさん有るということですね。
それからさっき増元さんの方からお話がありましたけど、山形の方には不思議と朝鮮総連の直営パチンコ店が多い所なんですが、これはちょっとあれですけども、そういったルートでありました。
それからいわゆる協力者と言いますが、土台人と言いますね。(後ろのホワイトボードに「土台人」と板書する)
まぁご存知の方いらっしゃいますと思いますが「トテイジン」といいますけども、日本語で土台人と言いまして、言葉の通り土台を作る人、と言う意味で。
日本に定着をして様々な活動をする人たちを称して、この土台人ということになります。
この土台人と呼ばれている人たちが、おそらくはこの拉致、最初に申し上げましたが拉致された被害者を運ぶ上で重要な役割を果たした人たちだろうと思っています。
その土台人だろうと思われる人たちがこのルート上にたくさんいるということです。
名前は分かっていますけども、ここでしゃべっちゃうと名誉毀損で訴えられちゃう可能性がありますので、それは避けるといたしましても。
日本の朝鮮問題でとっても重要な役割をというか、大きな事件に絡んだ土台人がこのルート上に存在しています。
一番有名なのが、朴・チョンヒ大統領が狙撃事件と言うのは皆さんご存知ですか?
奥さんが殺されましたですね。
こういった壇上にムン・セガンという男が近づいてきてバンバンと撃ったら朴・チョンヒ大統領に当たらなくて、奥さんに弾が当たって亡くなったと言う事件ですが。
そのムン・セガンという人物は日本で交番を襲ってですね。
交番のお巡りさんの拳銃を盗んで、それで韓国に渡ってそしてその事件を起こしているわけですけど。
このムン・セガンを日本で匿っていた人物がこのルート上に存在するということです。
それからもうひとつ行きますと、有名なシン・ガンスと言うのがいますね。
原敕晁さんの拉致の実行者ですね。
もちろん超有名人ですけど。
これのシン・ガンスを匿っていた人物もこのルート上に存在します。
と、言い出すとキリが無いんですけど、要するにこのルート上にこう言うふうにですね。
いろんな工作活動をするうえで重要な役割をする土台人がいる、ということです。
それからこれも固有名詞を申し上げるとちょっと難しいんですけど。
足立区にあるN病院。
N病院といえば、ご存知の方はあぁ、あそこだとなるわけですけど、このN病院と言う物が在日の大物が経営する病院なんですけど、ここが当然大町ルートに存在し。
尚且つですね。
このN病院の保養施設がこのルートからちょっと外れるんですけども、鴨川と○○(エミ?エミリ?ハッキリ聞き取れず)にあります。
当然ここが何らかの工作活動に使われたのじゃないか?と想像をしていたわけですけども。
これは後でお話しますけども、こういった施設がたくさんこのルートに存在します。
それからこのルートの重要性を示す一つの事件としてですね、有名な黄長書記さんていますよね?
北朝鮮から亡命した方ですけれども、今韓国にいますけど。
超大物の方ですけども。
この方がですね。
韓国に亡命する前に日本に立ち寄っておられるわけですね。
ルートと言うのはですね。
この逆コースです。
大阪空港から富山に抜けて、富山からからこのルートを使って長野に抜けて、そして甲府に寄って、そして東京の小平市。
私の住んでいるところですけど、そこに朝鮮大学校と言うのがございます。
朝鮮総連の経営する大学校ですね。
そこに立ち寄って東京方面に行って、そこから中国に渡って、そこで亡命をしたと言う経過になってますから。
この黄長さん、通った所はですね。
ただ通った所じゃなくて、拠点拠点に重要な人たちがいたわけです。
そこの重要な人たちと色々な話をしながら、何の話をしたか分かりませんけど。
話をしながら亡命ルートを辿って行ったという意味で、ルートと言うのはとても彼らにとって大事なルートなんだな?という事に気が付いたわけです。
そしてですね。
言い出せばキリが無いんですけども。
特に重要だなと思っているのは、旧日本軍の基地。
それから軍需工場との関係です。
どうもですね。
日本軍の基地があったところ、それから重要な軍需産業があったところから、そうした失踪なり何なりが有るなと感じたわけですね。
それを具体的に千葉で言うとですね。
香取航空隊基地になります。
旭市ですね。
加瀬さんの所の海上町のとなりの旭市に香取航空隊の基地の跡がありますね。
現在でも。
ここでそのとなりで加瀬さんの事件が起こったわけですけれども。
この香取航空隊基地は誰が作ったかと言うと、皆さん大先輩の方はご存知だとおもいますけども。
戦前のことですから、徴用と言う形でですね。
多くの在日の方がそこの基地を作るのに従事した。
その後戦争が終わってその在日の方がどうなったか?ということです。
戦争直前に朝鮮半島から徴用としてこの基地の建設に携わった方は戦後戻っています。
しかし戦争以前から日本にずっと長く日本に居住していた在日の人たちは、そのまま日本に残るわけですね。
そういった環境がじつは軍需産業の中にもあるわけです。
この中で一番重要な、たくさん有るんですけども、この軍需産業の一番重要なところは実は大町にございます。
長野県の大町ですね。
そこも今ある大きな工場があるんですけども、それは当然戦前に出来まして軍需産業として作られた所です。
そこに同じように在日の人たちがあそこで建設に携わり、そしてその戦争が終わったらその近くに住まわった、と言うことなんですが。
そこに先ほど申し上げましたような土台人と呼ばれる人たちが、そこに住んでいらっしゃると。
言うことでございます。
ですから拉致と言うものはですね。
闇雲に行われた物ではなくて、そういう歴史的な背景・歴史的な経過の中から、どうも土台人という人たちが点・点・点と存在をし、そこに北朝鮮からやってきた工作員ですね。
シン・ガンスのような工作員が、そこを転々としながら拉致・その他対日工作の拠点としていたであろうということですね。
その中で本国からですね。
拉致指令と言うものが来た時に、そういう周辺にある意味では物色すると。
対象をですね。
いうことになっていって実行されていく。
そういうことですから、どうも拉致と言うのはですね。
現れて来ている現象は点なんですけども、どうも点だけではなくって線があるようだというふうに今思って来ております。
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