「消えた277人」より
ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介しています。
小西能幸(こにし よしゆき)さん
昭和 8(1933)年 9月21日生まれ
昭和29(1954)年4月22日、石川県穴水町駅付近で失踪。
当時20歳、家業の旅館手伝い。
当日能幸さんは自宅を出る際、ゲタ履きで荷物も持たず、母と目を合わせたが行き先など一言も告げなかったので、家族は近所にでも出かけたものと思っていた。
その日、七尾線輪島駅から午前七時三十分頃の金沢行きに乗り、三つ目の穴水町駅で下車した能幸さんの姿を近所の人が見たという。
前日の夜、能辛さんの自室で小銭を数えているような音がしていたのを旅館の従業員が聞いている。
小遣いをもらっていなかったので失踪時の所持金は小銭程度と思われる。
身障者の兄がよそで働かなくても生活できるようにと、母は旅館を開業していた。
そんななか能幸さんは、自分が邪魔であると感じていたようで、チヤンスがあれば家を出ようと思っていたようだ。
「どれだけ泣いたでしょう」 黒川敏枝さん(姉)から
能ちやん、姉の敏枝です。元気で生きているのでしょうか。皆で心配いたしました。五十年はとてもとても長かったです。あなたが急にいなくなり何がなんだかわからなくて皆でどれだけ心配したことでしょう。どんなにか苦労しただろぅかと思うと可哀想で不欄で泣けてなりません。どれだけ泣いたでしょう。
このたび特定失瞬者問題調査会で北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」で拉致被害者救出の努力をしてくださり、こんなに嬉しくありがたいことはありません。感謝と嬉しさで夢のようです。
この放送を聴いてくださいね。放送を聴いてその指示に従ってくださいね。きっと日本に帰ってこれるんです。そして会える日を心待ちに待っています。
私は東京都世田谷区に住んでいます。元気です。小西は全員亡くなり私一人になりました。
みんな貴方のことを案じていました。帰国してからのことは心配しないで帰ってきてくださいね。その日の一日も早からんことを念ずるのみです。
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失踪時20才 失踪から52年 今年秋、74才になる
ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介しています。
小西能幸(こにし よしゆき)さん
昭和 8(1933)年 9月21日生まれ
昭和29(1954)年4月22日、石川県穴水町駅付近で失踪。
当時20歳、家業の旅館手伝い。
当日能幸さんは自宅を出る際、ゲタ履きで荷物も持たず、母と目を合わせたが行き先など一言も告げなかったので、家族は近所にでも出かけたものと思っていた。
その日、七尾線輪島駅から午前七時三十分頃の金沢行きに乗り、三つ目の穴水町駅で下車した能幸さんの姿を近所の人が見たという。
前日の夜、能辛さんの自室で小銭を数えているような音がしていたのを旅館の従業員が聞いている。
小遣いをもらっていなかったので失踪時の所持金は小銭程度と思われる。
身障者の兄がよそで働かなくても生活できるようにと、母は旅館を開業していた。
そんななか能幸さんは、自分が邪魔であると感じていたようで、チヤンスがあれば家を出ようと思っていたようだ。
「どれだけ泣いたでしょう」 黒川敏枝さん(姉)から
能ちやん、姉の敏枝です。元気で生きているのでしょうか。皆で心配いたしました。五十年はとてもとても長かったです。あなたが急にいなくなり何がなんだかわからなくて皆でどれだけ心配したことでしょう。どんなにか苦労しただろぅかと思うと可哀想で不欄で泣けてなりません。どれだけ泣いたでしょう。
このたび特定失瞬者問題調査会で北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」で拉致被害者救出の努力をしてくださり、こんなに嬉しくありがたいことはありません。感謝と嬉しさで夢のようです。
この放送を聴いてくださいね。放送を聴いてその指示に従ってくださいね。きっと日本に帰ってこれるんです。そして会える日を心待ちに待っています。
私は東京都世田谷区に住んでいます。元気です。小西は全員亡くなり私一人になりました。
みんな貴方のことを案じていました。帰国してからのことは心配しないで帰ってきてくださいね。その日の一日も早からんことを念ずるのみです。
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失踪時20才 失踪から52年 今年秋、74才になる