カミさんの両親や兄、弟の眠っている里塚や私の両親のお墓のある滝野の真駒内霊園を地震の後、娘や、親戚の方々がお墓の状況を見る為にお参りして下さいました。テレビの報道で、墓地の状態を何度かみました。私は、留萌のお寺の納骨堂に預けていた富山から、留萌のにしん場などに移ってきて、亡くなった両親の祖父母と兄弟たちなど遠い親戚の7つの骨箱を滝野に移しました。釣りを教えて呉れた母方の祖父も同じ墓に入っています。お墓を建てたのが母の亡くなった年ですので23年前になります。
地震が終息した頃を見計らって状況を石屋さんにチェックして修理してもらうことも決めていました。
いろいろと行事が立て込んでいたカミさんと私は、台風のこないうちに、二つの墓地をお参りしてきます。うちのお墓は無事でしたが、妹の嫁ぎ先のお墓は、花台などが前に飛んでいて、先に見回ってくれた娘と婿さんが整頓しておいてくれました。心配だったカミさんの実家の墓がある里塚の方は、一寸ずれている程度でしたが、余震が続いておりますので、終息してから、石屋さんが雪の来ないうちに、直してくれることになりました。彼岸にお参りできなかった方々がたくさん見えてました。帰路は、コンサドーレの試合の後でしたので、36号線は混んでました。私は、お墓では、写真を撮ることはしないことにしております。
地震が終息した頃を見計らって状況を石屋さんにチェックして修理してもらうことも決めていました。
いろいろと行事が立て込んでいたカミさんと私は、台風のこないうちに、二つの墓地をお参りしてきます。うちのお墓は無事でしたが、妹の嫁ぎ先のお墓は、花台などが前に飛んでいて、先に見回ってくれた娘と婿さんが整頓しておいてくれました。心配だったカミさんの実家の墓がある里塚の方は、一寸ずれている程度でしたが、余震が続いておりますので、終息してから、石屋さんが雪の来ないうちに、直してくれることになりました。彼岸にお参りできなかった方々がたくさん見えてました。帰路は、コンサドーレの試合の後でしたので、36号線は混んでました。私は、お墓では、写真を撮ることはしないことにしております。