ボナさんの北海道の釣り三昧II(休養中)

投げ釣り主体に北海道の沿岸に出かけます。夏にはフナや鯉釣りも。

フナの大物50年の記録

2011-03-31 23:15:21 | 釣り

オノちゃんから30日朝、持ち回りの「ふな賞のカップ」を届けに行きます、という電話があった。

 

カップのひらひらに毎年のフナの大物のサイズと釣り人、場所が書かれている。記録としてまとめてみました。交綸会は、今年で65周年を過ぎていますが、初めは懇親会の意味合いが強く、このカップも10周年を過ぎて造られたようで、数値はは50年分の記録です。

昭和20年10月に北海道新聞社の記者を主軸に創立されて、「綸(いと)と交わる」から「交綸会」という名称、規約、マーク、会旗のデザインを決め、活動を開始しました。北海道釣魚連盟の創設にも加わっており、会長を道新の社長にした背景も交綸会の活動でした。

s36 1961 駒崎元雄 29.6 バラト湖     s50 1975 真山 清 28.5 
s37 1962 伊澤茂太郎 29.4 上一      s51 1976 上村芳太郎 27 上一
s38 1963 加藤武治 30.9 上一         s52 1977 上家富成 33.4 上一
s39 1964 南部菊太郎 29 バラト湖     s53 1978 山本春男 28.2 
s40 1965 加藤武治 27 バラト湖        s54 1979 駒崎元雄 32 柳原
s41 1966 阿部竹治 28.5 上一         s55 1980 上家富成 32.6 上一
s42 1967 伴内 昇 26 生振             s56 1981 小佐川鉄郎 29.8 生振
s43 1968 曽我部丈太郎 28.2 生振    s57 1982 伴内 昇 29.9 上一
s44 1969 弘中喜代一 28 生振          s58 1983 田口正久 30.3 生振
s45 1970 十川政市 27.6 生振          s59 1984 長久保主計 31.1 柳原
s46 1971 加藤武治 31 柳原             s60 1985 上家富成 33 生振
s47 1972 駒崎元雄 24.7 上一          s61 1986 田口正久 37.8 柳原
s48 1973 真山 清 28 上一              s62 1987 伊東 健 33.2 柳原
s49 1974 真山かね 28.8 生振           s63 1988 松田 博 30 上一

超ベテランなら、駒崎さんや伊澤さんをご存知の方も多いと思います。上の値は、昭和年代の記録ですが、竿や糸、リールなどの関係でしょうか、40オーバーのフナが釣られていません。

H       1989山本春男32.8柳原  H12     2000岩本 満36.3上1、13線

H       1990伊東 健32.2柳原   H13     2001田口正久37上1、13線

H       1991佐藤静起33.4上1   H14     2002吉本孝則吉本孝則40.1バラト

H       1992谷藤太一郎31.8     H15     2003吉本邦隆41月沼

H       1993秋葉 亨32.4         H16     2004神内 功39.7上1、13線

H       1994秋葉 亨34.1         H17     2005吉本邦隆41.8上1、13線

H       1995伴内昇32.5上1      H18     2006小野田正男37.4

H       1996伊藤義顕34.4バラト湖H19  2007村岸省三36.7

H       1997岩本 満35.8         H20     2008小野田正男39

H10     1998岩本 満40.3         H21     2009伊藤義顕42.1バラト湖

H11     1999石沢徳二郎31.7柳原H22    2010南 勝36.9月沼

平成になると、大物は尺ブナになり40センチを超えるものもみられます。昨年、伊藤翁が史上1位の大物42.1を上げております。私は、懸案になっている淡水大会での優勝、40オーバーのフナを釣る、を目標にしています。エクセルをここに移すのに手間取りましたので、見苦しいと存じます。

 


忘れるって悪いことなんでしょうか?

2011-03-30 10:58:45 | 釣り

忘れるってことは悪いことなんでしょうか?

震災のテレビを部屋で一人で見ていますと、悲しくて、気の毒で、恐ろしくて目をつぶると夢にも出てきます。眠り薬をのまないと、とても寝付けません。

 

肩が凝ってきて、頭も痛くなって、心も痛みます。動悸もしてきて、家で血圧を測ると180を超えます。忘れたいけど忘れられない、忘れるのはいけないことでしょうか?

 

忘れろと言われても忘れられないほどの大きな震災ですから無理と思いますけれど、ひととき忘れるのはいけないことではありませんよ。肩の力を抜いて、大きく息を吐き出すようにしてください・・・、こうすると血圧もだいぶ下がりましたよ。肩もらくになったでしょう。

 

私もあなたと同じように思っていますよ。時には、面白おかしく笑うような番組も見てくださいね。話し相手がいなかったなら、おしゃべりをしに来てください。不謹慎というひとがいるかもしれませんが、私もいっとき忘れて元気になるために釣りにも行きますよ。


車通勤を再開

2011-03-29 21:02:17 | 釣り

高速道路から雪がなくなりましたので、今日から車通勤を再開しました。家から、高速バスやJRの駅までの時間で小樽の職場に着くことができるので便利になりました。

この冬は、生まれて初めての汽車通やバス通勤でした。特に線路のないバスを待つのが我慢できない性分でしたが、寒い中でバスを待つという忍耐力が養われました。

投げては短時間で投げ変えるというせっかちさも緩和し、釣り竿の先を眺めるゆとりができると思っています。

3.15の爆発がプルトニウムの検出結果の発表で明らかにされてきました。魚を釣る、獲る、食べるのにも安全性、リスクを考えねばならない段階に入ったと考えるべきでしょうね。


医釣会スケジュール

2011-03-28 10:10:57 | 釣り

のびのびさんはじめ医釣会のメンバーが、北海道医師会のJMATやNPOなど大震災の医療支援活動に参加しております。時間を経て震災後の医療支援の内容や質が変わってきておりますので、派遣される要員の職種も変わってきました。

医療支援にスタッフを派遣した病院や施設では、派遣されてゆくスタッフの代替要員として残ったものも間接的に大震災への支援活動に参加しています。待機要員もおります。

先行きの見えない原発事故の収束を望みながらも現場に赴くものの気持ちも複雑で微妙です。そのようなことも考慮して、大震災へのチャリテイー始竿会から医釣会の例会が始まります。海から元気を貰ってきます。

4月10日熊石平田内~宮野、5月15日は寿都弁慶岬~島牧第二栄、6月19日様似~えりも岬港、7月10日庶野~十勝港、9月25日様似~えりも港、10月16日春立~様似、11月6日山越遊楽亭~森港が今年の日程です。ゲスト参加をお待ちしております。

 


宅急便復活

2011-03-27 17:29:58 | 釣り

郵パック、佐川急便、ヤマトなどの宅急便が被災地への配送を開始したというので息子のところに早速、試しに水を送ることにした。釣り仲間が集まる温泉への道すがらコンビニで発送しようと出かけた。

2リットルのボトル6本入りをFマートに持って行ったがここではUパックですから、別をあたってと、次いでRソンに寄ると、ここも受け付けて呉れない。セブン11ではじめて相手にしてくれた。

親切にガムテープで穴を閉じて、コンビニでは受け付けていないのですがクロネコの営業所で受け付けてくれます。青森、秋田、岩手、宮城、山形、福島、茨城は、被災地ごとに一括して送る為に集約していますから、と地図を出して営業所の場所を教えてくれた。

山形まで1500円余、高価な水ね、とカミさんは揶揄するが、神経質な息子の為に嫁さんが困っても、と送った。いつ着くのか分かりませんが、宜しいですか、にいいですよ、と応えるしかなかった。


半減期30年

2011-03-26 20:02:33 | 釣り

秋田空港への便がとれた母子を、カミさんと送って複雑な気持ちであった。

恐ろしいけれど、覚悟し親子で生きるべく、放射性ヨウ素の8日と比べて、半減期30年のセシウム汚染が悲しい現実になってきた地に戻って行った。

国内線と国際線の結合工事でごった返す千歳空港のバラック風の屋台長屋を眺めている時にかかってきたDさんに、いろいろと忘れるためにも始竿会への参加はどうですかと返していた。

少しラウンジで休憩して、東京に行っている娘を待った。こころから笑える日がいつ来るのであろうか。40年も経った古い原発に2月ゴーサインを出したお役所のスタッフが今日も記者会見をしていた。


来るも帰るもつらいもの

2011-03-25 16:32:21 | 釣り

子供や孫たちがやってくると親は「来ても嬉し、帰っても嬉し」の心境になるのが普通でしたが、疎開してきていた嫁さんと孫は新学期に備えてのノルマを果たすために帰らざるを得なくなりました。

親子は布製スニーカーを履いて避難してきたので、雪の札幌の戸外へも出られずに、家の中でバタバタ走り回っています。食事をはじめいろいろと仕事が増えてカミさんは、体調を崩し風邪を引いてしまいました。

震災の処理と並行して、高校などの合格発表や卒業式は年中行事としてしゅくしゅくと執り行われています。日本は、立ち止ってはいけないのでしょう。気がつけば、来週末には4月に入ります。

息子は、生物の教員ですので子供たちのことを心配して札幌に疎開させたのでしょうが、放射能汚染が現実味を帯びてきたところに帰っていきます。それを見送るのは、辛いことです。娘のところの孫も、大学入学の為に放射能汚染の水道水の出ている東京に行きました。釣りをしてこの悩みはとれるか分かりませんが、4月には海にでかけてみます。


はじめはチャリテイーから

2011-03-24 22:03:09 | 釣り

巨大地震発生から10日以上が過ぎても先の見えない日々が続いています。復興の足を引っ張るような放射線汚染で身震いしてきますが、叡智がつぎ込まれて終息するのを祈っています。

医療の面も救援から介護の方向に流れています。関東地区では今後も電力事情が続くでしょうから、北海道や関西で医療の庇護を引き継ぐことになると思います。今、北海道からのびのびさんはじめ多くの知り合いが交代で現地入りしています。

我々も、いろんな形で組み込まれていくでしょう。その日が来ても、我々自身が元気で現地に出かけたり、こちらで受け入れるように頑張っていきましょう。

日本の他の地域は、活性を上げて行かねば復興がままならない事態になります。いろんなイベントも復活させねばならないでしょう。高校野球が始まって少し気がまぎれてきました。サッカーや野球のチャリテイー試合のように、釣りの例会も始竿会はチャリテイーからはじめましょう。


年度末

2011-03-23 17:12:57 | 釣り

毎日深刻な情報が発信されて中々先が見えてきません。元気が出かかってくると頭を叩かれるような事象が続くのにはうんざりです。滅入っているうちに、3月は年度末で仕事は溜まってきました。夢中で仕事をすることにしました。

昨年原稿を送っていた教科書の補助小冊子の初校が届きました。老眼にはつらい仕事なので、コンビニに出かけて拡大コピーをしてきました。原稿料は些少なもので、仕掛けの小物位しか買えませんが、国家資格にも関わるので責任の重い原稿です。

山形から避難してきている春休みの孫には4月入学する中学から1日にノート10ページ分の小学校全教科の復習をしなさい、との指令が届きました。入学まで滞在予定でしたが、詳細は不明なので急遽引き揚げることになりました。

4月10日から始まる栄養学科の大学院の講義資料も教務科に送って下さい、とのことで同じ日の釣りの準備もしなければならず、学術的な仕事のほうを急いで仕上げるように努力しています。

 

 

 


米寿を過ぎた先輩の送別会

2011-03-22 11:27:49 | 釣り

本夕は、米寿を過ぎた同門の大先輩の送別会が小樽で開かれる。いまの職場に移って1年間机を並べた。二人には歴史が好きという共通項があった。

両眼の白内障の手術を受けたが、視力の回復がままならない中でも虫眼鏡を使って歴史書をひもといていた。調べて欲しいものがある時には私に検索を依頼してくれた。

医業の傍ら、歴史にのめりこんで、70歳を過ぎてから北大の文学部の研究生として学位取得を目指していた。主任教授が東京に栄転してからは、学位を断念したが史書を探してきては、テーマを決めて常に追究していた。

オーナーが代わり、辞めることになったが、「元気なうちは働いた方がいい」という夫人の忠告に従って、4月から後輩の病院に非常勤で勤めることになった。たくましい先輩をみていると、90まで釣りを続けたいという私の願望も現実味を帯びてきた。