ボナさんの北海道の釣り三昧II(休養中)

投げ釣り主体に北海道の沿岸に出かけます。夏にはフナや鯉釣りも。

ダンスパーテーへのお誘い

2012-02-29 19:52:23 | 釣り
年に1回は、家族サービスでダンスパーテーをするんだけど、来ないかい?と小樽の釣り友から言われました。まだダンスって気にならない体調の頃でしたので、3月の最初の土曜か日曜だったようですが、よく聞いていませんでした。

職場の直ぐ傍なのでよく知っている会場です。釣魚連盟の小樽支部の家族を含めての懇親ダンスパーテーのようです。若者のパーテーではなく、ベテラン揃いのダンスだ、付き合いなんで来てみないかい?それで、帰りに寿司を食べよう、どうだい?とカミさんを誘ってみました。

じつは、私たち夫婦はダンスで知り合った仲なのです。結婚してからは、ほとんどダンスには行っていませんから、40年以上は一緒に踊っていないでしょう。膝が悪くて整形に通っている位だから恐ろしいワ、足は手術の後遺症があってダンスを踊れる靴が履けないワ、何を着て行けばいいの?

ところが、カミさんが風邪で倒れて、今日は私も似たような症状が表れました。寒気があって熱をはかると、36度台から37度オーバーに上がってきました。微熱に加えて、咳、鼻水が出る、節々が痛むで、病院を受診。インフルテストを念の為に調べて貰いました。陰性でしたが、患者さんやスタッフにうつしては、と考え職場に休みを貰い、家で静養しています。ダンスはギブアップしました。

小樽中心街は20円で買われた

2012-02-28 20:47:01 | 釣り
しの兄さん推薦の小樽の鍋焼きの旨かった店「絣かすり」は、レトロな雰囲気で土鍋うどんにきしめん風のうどんが入り、薄味で人気の店でした。姉妹できりもりしていたようですが、体調をこわされ、2005年に店をたたんだということです。

うどん屋さんは、ほとんど見あたらなくなりました、と地元に古くから居られる方の言です。ソバ屋さんは沢山あり、小樽で私がよく行くソバ屋さんは、職場のすぐ近くの「藪半」です。車が店の前に止められるので有難い。小樽観光の問題点の一つは駐車場の少なさです。坂の多い街、観光客は歩き回れる若者だけではないのです、少し考えて下さい。閑話休題。ここの小冊子には、ソバの話よりも小樽の開拓の物語が面白く語られています。榎本武揚が関係すると書かれており興味を持ちました。

明治初年の地図ですが、ironaiは、現在の色内。okobatiは、於古発川で通称妙見川を表します。大体は、余市から道を下って運河通りに入るところから、すし屋通りの前を流れている妙見川(今も寿司屋通りの地面の下を流れています)辺りまでが示されています。この現在の小樽の中心地10万坪を、榎本武揚と第4代北海道開拓使長官北垣国道が10円づつ拠出して20円で北海道開拓使から買い上げて地域デベロッパー「北辰社」を設立しました。20円は今の貨幣価値に直すとどの位なんでしょうか?高くはないのでしょう。

丁度中間の今の小樽JR駅から海に線を引き、余市側(図では上)を榎本が、札幌側を北垣が手配しました。やがて、小樽開発の功によって、二人の名前は道路に残りました。国道から一丁下がった「藪半」の前の通りは静屋(しずや)通り(北垣の号:せいおくが由来です)。この海側には梁川通り(榎本の号:りょうせんが由来)がある。通りは、余市から下る道道小樽臨港線より妙見川までの長さであった。小樽に釣りに来られるときには、歴史にもおいしいものにも眼を向けて下さい。
詳しいことは以下の藪半のHPをご覧下さい藪半のHP
http://www.yabuhan.co.jp/yabuhan_2011/wp-content/031_03_shizu_story_2010.html


鍋焼きのつゆは色で決めて

2012-02-27 15:52:16 | 釣り
カミさんが寒気と咳で病院を受診したので、昼食をこさえることにした。病院から帰るなり、鍋焼き、鍋焼きと騒ぐので鍋焼き用の土鍋を用意する。この鍋はIHヒーターで調理ができない代物、棚からガスコンロを引ッパリだして水を適当量いれて火を点ける。

ここから、二人の調理法に違いがある。カミさんは、鍋焼き用のうどんを先ずホゴして暖めろ、という。次いで、市販のつゆを入れるのだが「適当に入れて、お腹が減って死にそう、急いで」と叫ぶ。どれだけ、入れるんだと料理教室なみに量の科学的解答を求める私。「かき混ぜて鍋焼きうどんの色でいいから」と叫ぶ、減塩食に慣れている私は薄い色で納める。

沸騰してきたら、有り合わせのシイタケ、カマボコ、竹輪、チンゲン菜、ネギと卵を入れてという。言われた通りに入れ、つゆが脇からこぼれるようになって、一時フタを取り、買ってきた野菜のテンプラを追加して、火をおとし蓋をして少し時間を置く。カミさんは、自分の舌に合わせてだし汁を追加した。

カミさんが食べ始めたのをみて、私の鍋の番。私は、だし汁も野菜も卵もテンプラもじっくりと火を通す。だし汁が沸騰する前にうどんをほごし、野菜や卵もみな一緒にして煮込んでいく。何でもウエルダン主義なので、テンプラはほごれどろどろになりかけているが、いいだしがでて汁の量が減っていく。それでも、安心して食べられると考えている。雪の中の釣りで、市販の鍋焼きうどんを練炭ストーブでことこと煮つめて食べるのに似ているな~と懐かしんでいた。

北海道の港、釣りガイド

2012-02-26 14:50:40 | 釣り
最初は、港の岸壁での釣りから投げ釣りを再開する積りなので、2009年6月より発行されていた北海道内の漁港の写真を丁寧に撮っている「港ガイド」、札幌から釣りバスで行く範囲のものを購入してきた。企画・制作・発行がフイッシングスクエア (有)アークサッポロのものだ。

今までにこの種の冊子は沢山発行されてきた。ぼろぼろになるまでリュックのポケットに突っ込んでいたものもあった。こんどのものは、全ての港湾、漁港の基部の左右まで丁寧に撮られている。トイレの写真や場所も載っているので、車に積載することにした。あくまでもマップとして利用する。地図と写真だけがコメントなしに示されるのがいい。

左右の赤と青の小冊子は、写真が暗くて見にくいが、昨年7月に発行された中央の緑のものは、50円高くなったが、二色刷りで明るくて見やすい。赤と青本は、遠景の写真が暗く写っていたが、緑本は、晴れの日に、近くまで行って撮ってきたのが伺えて嬉しい。カラーフイルムでモノクロの写真集にした場合は、暗く見えるものだが、緑本はモノクロのフイルムで写したのではないかと思うほど鮮明に写っている。

さて、港のどこで釣るのか、答が上の写真に示す「ここで釣れる 北海道の港 全ガイド」。釣り新聞の執筆者達が、現場で実釣したり、地元の釣り人などの情報を仕入れたものが要領よくまとめられている。昨年から出版されたのは知っていたが、自分の体調から漁港内の釣りが多くなることを考慮し、真剣に勉強しようと購入してきた。

泰皇夢さんの宿題

2012-02-25 16:44:32 | 釣り
瀬戸内に住む釣り工房(リンク有り)をお持ちの釣り師泰皇夢さんから写真のような羽根を沢山送って頂きました。北海道の投げ釣りに使えないか、という宿題を忘れてはいなかったんですが、淡水の釣りシーズンでしたので、うまい応用の仕方が見当たらなく放置していました。

それをヨシゾーさん(リンク有り)は、最近のブログで、ヒントを教えてくれました。ファジーのスーパーウイング2(緑色の羽根)をネットの下で錘の上に直結することによって根がかり防止になる、という証拠を示して呉れたのです。

今日見返してみると、泰皇夢さんも写真のような錘の上に付ける応用を示しておりました。

羽根は空気抵抗を受けやすいので、カッターで羽根の形を変えると遠投にも使えると思います。コンブの多い磯では根に潜っていかないのではとの危惧もあります。日高や日本海の磯、噴火湾では重宝かもしれないと、ネットに直結タイプで根がかり防止仕掛けを作ってみます。

かれいの目は移動する

2012-02-24 14:41:04 | 釣り
ネットで配信される食彩辞典の今日の記事は、カレイの眼の話。皆さんご存知のように、釣った時や食卓にのって来る時のカレイは身体の右側に両目がありますが、生まれた時には身体の両側にあったというのです。留学中にサンデイエゴの水族館からミシガン大学傍の書店に取り寄せた魚図鑑から、下の写真は大西洋産オヒョウで右側に両眼があります。上のカレイはwinter flounderとなっています。

成長するに従って片方の眼が移動し始め頭の上を越したり、額に深くくぼみができてそこを通ったりして反対側に移動すると言われています。体長が1cm程度に成長する頃、生後1~2ケ月で、眼は完全に移動して片側に寄ったというのです。

カレイ目のうち、右側に眼が寄っているカレイ科を英語でrighteye flounderと呼びます。左に寄っているヒラメ科やダルマガレイ科をlefteye flounderと呼びます。どちら側になるかは「科」のレベルで決まっていて「左ヒラメ(下の写真、ヨーロッパ産のヒラメ)の右カレイ」と呼ばれる一般的な形態になります。

但し、カレイ科のヌマガレイは、日本では例外的に左側に眼がありますが、アラスカやカナダで獲れるヌマガレイで右側に眼があるのもいるということです。オホーツクのノトロ漁港だったでしょうか、車椅子釣り師の敏さんが両側がざらざらではなくツルツル系で両側に眼が有るカワカレイ風のカレイを釣ったことがあります。さぞ、びっくりしたでしょうね。調べ直してみて、釣ったのは相棒さんでした。日付は2007年10月13日でした。詳細は、敏さんのサイト(以下)をご覧ください。写真も載っています。
http://homepage2.nifty.com/syumi_yu_yu/2007/10turi/2007.1013.htm



ショルダーバックを探す

2012-02-23 11:17:47 | 釣り
女性もののショルダーバックは今はやっていて色んな機能をもったものが出回っています。アウトドア製品では、リュックが主ですので軽量で容量大のショルダーを探すのはなかなか難しいものです。

ショルダーのベルトのついたバックは、捨てないで沢山保管していますが、ほとんどがビジネス用なのでマチが狭くリールや雨具を容れるのには無理。キャリー内蔵のものは風袋が重いので、力のない私には運べないでしょう。ネットで調べてもピンとこないので実物を見に行こうと思っています。

いま考えているのは、容量の大きいボストンバックの軽量のもので靴入れもついているのを狙っています。大きすぎるとバックに負けるよとカミさんに揶揄されています。私の体格に合った大きさのがあるといいのですが。意外に福祉の店にもいいものがあるとの情報です、身障者用に丈夫で軽いキャリーを内蔵しているのがあるらしいのでチェックしてみようと思います。

衣類が入るように容量は大だが、軽いもの。釣り場の地べたに置いておくので、軽くても雨風に耐えるもの。形がしっかりして硬い造りのものは岩場で滑り落ちる心配がありますので、リュックのように安定感のあるものと注文が多いのですが、うまく見つかるでしょうか。


投げ釣り再開に備えて

2012-02-22 10:17:16 | 釣り
左前胸部の鎖骨の下方にポートが埋設されていますので、軽い時でも10キロ以上の重さのある釣り用のリュックを担ぐのは無理でしょう。皮膚の上から特殊な注射針を刺して月に1回上大静脈の心臓の位置までポートから挿入されているカテーテルに抗凝固薬のヘパリンを注入していますので、微妙に左肩や左上肢の動きも制限されています。

自分で運転する時には、安全ベルトが右前胸部から左腰にクロスして掛けますが、助手席に乗る場合は丁度ポートの上をベルトがクロスして行き危険ですので、助手席に座るのは避けています。釣り会では、リュックを背負って、竿袋を担ぎ、エサの入ったバッカンを持つのが今までのスタイルでした。

自家用車では荷物を小分けし運搬できますが、釣りバスでは、一度に運ぶのが普通です。何とか工夫して左胸部に負荷のかからない姿で釣り具一式を運ぶことを考えています。他人に持って貰うまでして釣りはしたくない、のが本意です。全体の量を減らすことを考えました。竿数はしばらく2本で行かざるを得ないでしょう。リールも2ケのみとし、竿立ても立ちこみ式の重いのはやめて、軽いのにしましょう。

キャリーで運ぶことができる平坦な漁港などの釣り場を候補に挙げて行きます。胴付き長靴を履いて歩くのも左胸に負荷がかかりますので、防寒長靴にする積りです。雨に備えて軽い合羽の上下を持参し、錘の数も、仕掛けも半減させます。コマセやイカゴロの量は今までのせいぜい3分の1位になるでしょう。容量を減らして肩掛け鞄の軽いのを探し、それにリール、仕掛け、ヘッドランプ、手袋、カイロ、弁当、雨具、医薬品、ペットボトルなどを入れて行こうと思っています。いいアイデイアが有りますか?

蕎麦屋のそばを食べてみる

2012-02-21 12:22:49 | 釣り
昨日、念願だったお蕎麦屋さんのソバを食べてきました。いつもの行き付けの店です。昼の混雑がひと段落した頃を見計らって訪れました。

何ソバを食べようか、椅子に座ってから考えてみました。いつもは、ほとんど「大ざる」でしたが、よくよく考えて選んだのは、何だと思いますか?食べるのに少し時間が掛かっても他の客から注目されないで、ゆっくり食べられるものとしてカレー南そばにしました。

れんげに少しづつ箸で運んでフーフと冷やしながらゆっくりと20回前後噛みながら呑み込んで行きました。この店の鶏肉はおいしいし、消化が良いので安心です。鶏肉の入った暖かいそばの条件を満たし、カレーが入って時間稼ぎにもなっている。術後に初めに食べるそばとしては最高の選択でしょう。

昨日から、経過を追って腸の具合を警戒していましたが、何とか無事に過ぎました。この次は冷たいソバにしようと思っています。半年くらいラーメン店にも行っていない。ラーメンも店で食べてみようっと。コンビニや麺やでの昼食が多い釣りバス。麺類を食べられないと釣りバスに乗れませんから、大事な一歩なんです。

恵迪寮と都ぞ弥生

2012-02-20 14:25:05 | 釣り
恵迪寮を「けいてきりょう」と読める方は少ないでしょう。北大の学生寮ですが、食堂に「迪(みち)に従うは吉、迪に逆らうは凶・・・」という初代北大総長佐藤昌介が書いた四書五経の「書経」にある禹が述べた言葉の書額が飾ってありました。掲載された51年間に7600名の寮生が眺めたと言われています。私が入っていた時、恵迪寮は男子寮で女子寮は別の場所にありました。現在は、北大構内に一つの学寮「恵迪寮」としてまとめられ、男子の棟と女子の棟が放射状に分かれております。

新寮が新築された時に、旧恵迪寮の一部が野幌の開拓の村に移築されました。今年の6月9日、明治45年に創られた寮歌「都ぞ弥生」の百年記念祭が開催されますが、事業の一環として開拓の村の旧恵迪寮前庭と中庭に記念植樹が5月13日に行われます。釣り会と重ならなければ、植樹をしてこようと思っています。

寮の玄関の横には寮務室があり寮務委員として私も一時期詰めていました。この部屋の外壁に寮生全員の名札が掛かっていました。在寮中は黒字、外出して不在にする場合はひっくり返して赤字を示すルールでした。外から家族やデートなどの連絡が入ると、名札を見て呼び出しもしていました。アルバイトなどの場合は「電話です」、デートは「お電話ですよ」にしていたと、記憶しています。カミさんからの電話も受けたことがあります。この部分は、開拓の村に移築されています。

寮に住んだことのある有志は、名札掲示の寄付をして百年祭を盛り上げることになりました。名札を掲示することによってその方の生死が分かるようになってます。存命中は黒字で掲示し、亡くなった連絡が入ると永代供養をして名札を赤に返すことになっています。私も百年事業に寄付をしていますが、遺族からの寄付も受け付けると思います。
詳しくは、同窓会のサイトをご覧ください。URL:http://www. keiteki-ob.jp