大学を卒業後、アメリカに渡り50年近くアイオワとイリノイの州境の街に住んだ友が昨年11月に亡くなった。腎がんの再発だった。今年は初盆なので故郷の北海道に納骨に息子さん2人を伴って奥さんが帰国した。
声をかけて数人が親子3人を囲む会食をもった。洗いものは洗剤に漬け、釣り帰りの後始末などはそこそこにして、フナ釣りのあとなのでドブ臭くないように、念入りにシャワーを浴び出かけた。
3組の夫婦は、彼の自宅を訪問したことがあったが、私は初めての対面だった。彼は幼馴染の奥さんと、アメリカで生まれた子供2人には家庭内でも英語で通したので、医師になった長男、弁護士になった二男は日本語が話せなかった。
北海道には身寄りが少なくなって草ぼうぼうの墓だったという。二人の息子さんには、墓守になってほしいので連れて来たようだった。ひとしきり亡き友の話題で盛り上がって時間をかなりオーバーした。デザートが出された時に思い切って尋ねた。「お骨はどのようにして持ってこられたのですか」、「骨ではなく夫は粉になって帰ってきたの」と奥さんが応えた。アメリカで火葬をすると、火力が強い所では粉にして遺族にかえされるのだと。粉になっているがお骨である証明書を持っていた。合掌。
声をかけて数人が親子3人を囲む会食をもった。洗いものは洗剤に漬け、釣り帰りの後始末などはそこそこにして、フナ釣りのあとなのでドブ臭くないように、念入りにシャワーを浴び出かけた。
3組の夫婦は、彼の自宅を訪問したことがあったが、私は初めての対面だった。彼は幼馴染の奥さんと、アメリカで生まれた子供2人には家庭内でも英語で通したので、医師になった長男、弁護士になった二男は日本語が話せなかった。
北海道には身寄りが少なくなって草ぼうぼうの墓だったという。二人の息子さんには、墓守になってほしいので連れて来たようだった。ひとしきり亡き友の話題で盛り上がって時間をかなりオーバーした。デザートが出された時に思い切って尋ねた。「お骨はどのようにして持ってこられたのですか」、「骨ではなく夫は粉になって帰ってきたの」と奥さんが応えた。アメリカで火葬をすると、火力が強い所では粉にして遺族にかえされるのだと。粉になっているがお骨である証明書を持っていた。合掌。