今日のひとネタ

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なんでそうなったの?というのが

2011年05月07日 | ニュースに一言

 どこかに凄い黒幕がいてそいつ一人が悪いというのなら事は簡単です。が、実際そうでない場合がほとんどなので怒りのやり場がないことが多いです。たとえば東京電力の今の社長を吊し上げても菅総理をとっちめても、それで解決する問題はないんですよね。

 ただ、地震と津波はどうにもならないとしても原発の問題は「なんでそうなったの?」と考えることはできると思います。いわゆるシステムの問題として、今回のような事態を回避する手段が講じられてたのか、講じられてなかったのか、あるいは足らなかったのかとか。

 その辺考えると、どうも東京電力単独の問題よりは国の原子力政策とか原子力安全委員会とか原子力安全保安院のシステムに問題がありそうな気がするのですが、なんかあんまり踏み込んだ議論がないように思います。東電の安全対策が不十分であったとするなら、それを監視すべき安全委員会とか保安院とかはなんのためにあったの?ということで。

 今回菅総理が浜岡原発の停止を求めた件についてはあまりにも唐突で、私は冒頭に書いた「誰か一人の責任にして吊し上げる」ような印象を受けました。そもそも東海地震が危ないというのなら、これまで安全委員会とか保安院は何を見てたのでしょう。あるいは、そこまで思うのなら3月11日から2ヶ月も放置してたのはどうだったのか、とか。その辺菅総理の思いも聞いてみたいのですが、そこも突っ込んだ報道はないような気が。

 これまで原発の利権で儲けた人も多いでしょうし、補助金で潤った地区も多いのでしょう。その辺洗いざらい検証しないと今後のことは語れないと思います。もう食べちゃったものを「出せ!」というのは無理として、これから日本としてどうするかというのを考える時期だと思います。

 ただし全体的な問題は問題として今も避難所にいる人たちをなんとかしてあげたいのも急務。自分がそこにいたとして考えてみれば、着替えするのにいちいちトイレか更衣室に行かねばならないし、好きな音楽を思いっきり聞くこともできないし、寝てる間も他人の目が気になるなんていう生活は耐えられないでしょう。一人っきりになれる場所はトイレの個室だけでは? それを考えると避難所脇の車で寝泊まりしてたりする人の気持ちもわかります。

 東電の社長や菅総理をとっちめてもどうにもならんとは書きましたが、そういう人たちからすると「あんた達はここで土下座して苦痛だったとしても、今夜は風呂に入って暖かい布団で好きなだけ寝られるんでしょうが!」と思うことでしょう。そういう気持ちもわかります。私自身も、避難所の生活を想像すると胸が詰まりそうな思いではありますが、実際自分は何不自由なく生活してるわけで…。自分の無力さが情けない日々であります。