やってみたい好奇心は衰えず

すぐに忘れるので書けるだけ書くことにした。

安部司氏の講演

2013年06月17日 | 日記

「食品の裏側」の著者、安部司氏の講演に参加することが出来た。
講演はわかりやすかったが、内容が衝撃的だった。
これではインスタントな物は口に出来ないし、清涼飲料水は飲めないし、外食も怖いなあ~!

氏から教えてもらった「食卓の向こう側」恐るべき人体実験ならぬ豚体実験 
http://blog.goo.ne.jp/hatatomoko1966826/e/22940fc6d5956ec628299a62209ed981 

こんなものを毎日食っている人が病気にならない訳は無い。 
企業に良心はあるのか?! 
ちなみに、国政上、アメリカや欧州に押し付けられて、食品添加物の種類は毎年増え続けてる。
その数、なんと!4700! 
最も弱い毒性の毒だけに、なんとも。。。 

上のブログの内容は以下の通り。


2002年、図らずも、驚愕の人体実験ならぬ豚体実験が行われた。 

コンビニ弁当の回収業者が、廃棄すると処理料がかかるが、豚が食べてくれれば廃棄料がかからないとの理由で、福岡県のある養豚場に賞味期限切れの弁当やおにぎりを持ち込んだ。養豚場も、月々の飼料代を少しでも浮かせようと、賞味期限切れとはいえ腐っているわけではないコンビニの弁当やおにぎりを、母豚の餌にすることにした。 

自分でもつまもうかと思うくらい、特に痛んだところは見当たらない弁当やおにぎりだったと語る農場主は、25頭の母豚に、1日3kgずつのコンビニ食を与え続けた。ところが、約4ヵ月後、事態は急変する。母豚のお産で、死産が相次いだのだ。やっと生まれても、奇形だったり虚弱体質ですぐに死んだりと、正常に生まれるべき250頭の子豚が、このとき全滅したのだ。 

原因は、明らかだった。人間で言えば3度の食事すべてを、コンビニ弁当やおにぎりでまかなったせいだ。農場主によると、兆しはあったそうだ。コンビニ弁当を与え始めて間もなく、母豚がブクブク太り始めたのだ。栄養のバランスが悪く、高脂質で濃い味付け、ほんのなぐさめ程度の野菜、更には調味料・保存料・膨張剤・酸化防止剤・増粘多糖類・香辛料・着色料・酸味料・pH調整剤・・・数え切れないくらいの添加物、ストレスに弱い豚が、体調を崩すのは当然だった。出産時、本来透明なはずの羊水は、コーヒー色に濁っていた。 

この豚体実験に、私たちは正面から向き合う必要がある。「4ヶ月間毎日3食コンビニ弁当」と、そこまで極端な偏食はしなくとも、それに近い食生活を送っている現代人は多いはずだ。合計特殊出生率1.29と最悪の数字を更新する少子化問題は、女性の社会進出や晩婚化だけが大きな要因ではないのだ。現在7組に1組のカップルが不妊症に悩んでいる。産まないのではなく、実は、産めないことが少子化の大きな要因であることを認識し、その原因を正確に分析する必要がある。 

「私は一つだけ書けなかったことがある。それは30年後、子どもが生まれなくなるだろうということです。」と、1975年、「複合汚染」の著者である作家・有吉佐和子氏は述べている。有吉氏の予感は、見事に的中した。コンビニ弁当に代表される添加物や農薬にまみれた食品を大量に摂取する現代人の体は、日に日に内分泌かく乱物質(環境ホルモン)に汚染されていく。その結果、精子数減少・子宮内膜症・性同一性障害・免疫異常・知能低下というように、目に見えないところで人体は障害を負っていく。少子化は、コンビニ食やお惣菜など中食に頼る、現代人の偏食がもたらした、言わば必然の現象なのだ。 

西日本新聞社刊「食卓の向こう側」シリーズは、テレビでは絶対言えない真実を、警告を持って消費者に知らしめている。スポンサーに平伏するテレビは、スポンサーの不利益になることは絶対に言わない。カリスマ司会者と呼ばれる人ほど、スポンサーの利益が最優先だ。例えば、クノールカップスープのCMがじゃんじゃん流れる一方で、「クノールカップスープの野菜は、中国産です。危険ですよ。」と、呼びかけるテレビ番組なんて有り得ないのだ。私たちには、情報の取捨選択と同時に、情報ソースを賢く選択することも求められるのだ。 

外食やコンビニ弁当・お惣菜などの中食は、確かに便利。しかし、それらは、着実に私たちの体を蝕んでいく。親が便利食をやめれば、子どものアトピーや小児喘息が快方に向かうことからも、いかに便利食が人体にとって「毒」であるかがわかる。幸福を求めてバリバリ働いても、それに反比例して、便利食が家族の健康を阻害してしまっては身も蓋もない。このまま便利食が氾濫すれば、間違いなく日本は滅びる。医療費が追いつかなくなり、米国のように、貧富の差による医療の二極化が進行することは避けられない事態となる。 

21世紀の日本をどういう国にしていくかは、私たちがどういう「食」を選択するか、というところから始まるのだということを、政治は社会に知らしめる責任がある。ニートやフリーターがあふれ、ガン患者が急増し、機械によって生かされる高齢者が増える社会を、私たちは幸福と呼べるだろうか。そんな近代化に矛盾するような社会の歪みを改善するため、まずは日々の食事を見直すことに、政治は目を向けなければならないのだ。 

  

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