名古屋入管施設でのスリランカの女性の死亡が問題になっています。
ようやく公開されたビデオの一部を見た親族が「姉は人としての扱いを受けていなかった!」と涙ながらに訴えていました。この問題が発覚してからの入館施設側の対応の冷たさが際立っています。民主国家として「人の命を大切する」という基本的人権を踏まえた当り前な姿勢が見られません。国際的にも関心呼んでいるなか、菅首相や上川法務大臣がその対応にあったて、「親族や関係者の要望に応えて人道的にことを進めよ」と指示を出せば、もっと事態は違っていたでしょう。彼らには全くそういう態度は見られません。ひたすら事を隠ぺいすることに走っているように見えます。
何か今の政府の「コロナ対策」と通じるものを感じます。口では「国民の命を守る」言い続けながら、実際は国民に我慢を強いる「緊急事態宣言」一本やりで、小手先の対策に終始し、医療界や野党から医療予算の充実強化が訴えられているのに、相変わらず医療の合理化のための予算カットと、老人医療費の負担増加を推し進めできました。医療崩壊が課題になると、「自宅療養」と言い出し、「命を守る」を放棄さえしています。他方で、軍事予算の拡大は続けられ不要不急の戦闘機や兵器の米国からの購入は躊躇なく進められています。「国民の命」より軍備拡充が大切ということです。
参考として、202年国連の自由権規約委員会が事前質問票で日本に求めた項目を列記します;
人権の促進と保護のための憲法及び法的枠組み、 国民的、人種的、宗教的憎悪の唱道の禁止、 男女の平等、 緊急事態及びテロ対策の措置、 性的暴力及びドメスティック・バイオレンスを含む女性に対する暴力、 児童、生命に対する及び公正な裁判の権利、 拷問又は残虐・非人道的・品位を傷つける取り扱い、もしくは刑罰の禁止、 身体の自由と安全に対する権利、 自由を奪われた者の取り扱い、 奴隷、強制労働、人身取引の廃止、 難民及び庇護申請者を含む外国人の取り扱い、 プライバシーの権利。 思想、良心、宗教的信念及び表現の自由、 平和的な集会、 公的な生活に参加する権利、 マイノリティの人権、 ※とり上げられた項目は、人権委員会が懸念を持つ日本の状況と考えられます。
第二次大戦での犠牲者は5000~8500万人と言われています。世界で人の命の尊さが叫ばれ、その中で侵略国だった日本は、その反省にたち基本的人権と民主主義を大切にする「現憲法」を成立させました。世界に、アジア諸国に、命を大切にし、戦争を起こさない国にすることを誓ったのです。それから76年、今の日本はどうでしょう。戦争経験者や学者、知識人は今の日本は戦争前の状況に類似していると警告しています。
今と戦前との大きな違いは「主権在民」日本の針路はわれわれ国民が決められる、ということです。マスコミの情宣やムードに惑わされず、自分で冷静に考え、人の命を大切にし、人にやさしい国に歩を進めましょう。