我々は「民主主義」をどれほど身につけているでしょうか!
スリランカの元留学生の女性が、名古屋の出入国在留管理局の収容施設で死に至った事件がありました。彼女が病を訴えているのに取り合わず病態が悪化して亡くなりました。遺族の度重なる要請でようやく開示された管理局編集済みの監視カメラ映像を見た遺族側は、「動物のように扱われていた」と感想を述べています。この事件は彼女が支援団体と交流があったため、支援団体の訴えがり管理局の「非人道的な対応」が表面化しましたが、過去にも同じような事例が他の出入国在留管理局でも起こっていたと報道されています。
出入国在留管理局は国の機関です。「人の命・人権」を第一とする民主主義の国日本で、国が「外国の人」をこのように扱っているということは、我々国民もまたどこかでこのような扱いを受けていることに他なりません。他人事ではありません。
ところが国は、事件の真相解明に背を向け隠ぺいを謀っています。都合のわることは蓋をする。「森・加計」「桜の会」などは記憶に新しいことです。この事件によって政府は内外から批判を浴びていますが、一向に改める様子はありません。「民主主義」を大切にする政府であれば当然、きちんと真相を究明し改革を進めるでしょう。
学校で「いじめ」が度々問題になっています。自殺者まで出ています。民主主義は「他人を尊重する」そして「自分も尊重してもらう」ことが基本です。これには相互理解が大切です。そして、それには自分の考えや気持ちをきちんと表現できることが前提になります。そうでなければ相手は自分を理解できません。また自分も相手を理解できません。「解った」つもりでは信頼が揺らぎます。しかし教育の現場では「みんなと同じ」ことが大切とされています。私の息子も「音無しいことが正義」のようなことを言っていた時期がありました。「みんなと同じ」は学校の管理上都合がいいからだと思われます。そして「いじめ」が起こると隠そうとする。ここでも同じ事態が生まれています。大人を見て育つ子どもたち、悪いことをしても隠せばいいと考えるでしょう。これでは子どもたちに「民主主義」は身につきません。
国会の中継番組を時々見ています。国の最高議決機関での論議ですが、政府の発言はいつものらりくらりと要領を得ません。それが当たり前のようで、聞いていてイライラします。むなしい時間が費やされ、大した論議もなく法案が成立してゆきます。重要法案が強行採決されることもしばしばです。日本は議会制民主主義の国ですが、今の政府はこの立場で国会を運営するつもりは無いようです。そして、その運営に膨大な費用が国民の税金で賄われています。
重要なのは、彼らは国民から選ばれた国会議員だということです。私の近所のおばさんは、選挙で自分の家に一番先に電話をしてきた候補者に投票するそうです。そこには彼女自身の判断はありません。国民の意思によって国の政治を運営する議会制民主主義を、彼女は理解してないようです。政治は我々の生活に直結しているというのに、相手任せの候補者選び。今の政府はきっと大歓迎でしょうが。
「民主主義」を我々が身につけていなければ、民主国家は出来上がりません。