振り返れば私は子どもの頃から不眠の芽があった。
母が頑張る人だったがために、狭い離れの部屋で夜中に洗濯して朝起きれない。ギリギリもしくは遅れがちに幼稚園に連れ出された。母は何のためにあんなに頑張ったのか、意地を張ったのか。その意地のために自ら壊れたんじゃないか。と考えれば、私は罪を少しは逃れられるのかも知れない。
母に壊れた外因があるとすれば、私に幾ばくかの責任があることに間違いはない。
まだ起きてるんか、もう寝なさい と怒られたことは何度もある。寝ようとしても寝られない、その苦しさ。どうしたら寝られるの?と父に尋ねたことも何度かある。
勉強に関しても同じことで 自分がする気になるまでしない、とどこか決めていた。ほんとにしなくてはイケなくギリギリまでしなくても、自分はすぐに追いつけるし困らない、だからしない。そして勉強を自分からする気なんてほとんど起こらなかった。勉強の出来た両親は親に勉強しろなんて一度も言われたことはない、と話していた。だから私にも勉強しなさい、とは言わなかった、と言い訳してたけど。それは放任していたことの責任逃れとも言える、と思っていた。
ついに遅すぎるタイミングで勉強しなあかん、と親に言われた時には 私は猛烈に反発する始末だった。
早く言えば母も父も私の扱いに困っていたのだろう。
幼い頃の私は母が帰宅するまで 自分が今何をしたいのか、という要求を探って1人で過ごすことが多かった。
例えば蟻の行列を見つけて砂糖を置いてみるとか、
低俗な雑誌の興味あるとこだけ読むとか、
1人でトランプ遊びするとか、
蚊だらけの庭を回るとか、
そんなことで時間を潰した。
そんな膨大な時間を、もし自分以外の自分を導いてくれる誰かと、特に母と過ごすことが出来ていたなら私の人生はどんなに現状よりマシなものになったろう、と何度も思い口に出して母をも攻めた。
大家族で楽しかったかといえば、私はむしろ複雑なあんな家族を離れて父の職場に近いこじんまりした家で父母や弟だけと暮らす方が良かった幸せだったと思えてならない。みんなで集まるのは楽しかったね、なんて私には嘘だ。
眠れない、けど勉強するわけではない
ひとりだけのそんな夜。
夜中に考えることはろくなことはない、って母も言っていた。
従妹弟達と会うのは最後だから、言いたかったことを全て吐き出してやろう、と思いすぎて眠れなくなってしまった。
母の薬が変わったと連絡来たら来たで 眠れない程に内心心配になっているのだろうとも思う。
眠れなくて死ぬ訳じゃない、眠気を待てば必ず眠れる。
わかってはいても、眠れないことに焦るのである。