興味津々

日々思ったことを綴ります

切手コレクション手離せなくてガッカリ

2025年03月09日 | つれづれに
古物買取り業者の業態は昔とかなり変わった。

昭和の始め頃、父方の祖母は貧乏かつ金銭感覚のない貧乏学者の祖父を支えるべく質屋に通い、着物を売った。売られた着物が神社の夜店に吊り下げ売られていた、と祖母が面白そうに話していた。
質屋はお金がない者が密かに?通う場所だった。

私が結婚した家はお金がある家ではなかったが古い家だ。
同居していた夫の母が亡くなり、引越しすることになった際に古い家財は処分することにした。棚の上の古い食器を引き取ってもらう際には、中身より被っている埃やネズミのふん、木箱なんかが価値があると言われて変な気がした。古いたんすや水屋も価値をつけてもらった。がそれだけの趣のある家に住んでいた、と勝手に思っていた。私は数年住んでいただけだったが、ある意味リフォームを繰り返していた中途半端に古い実家よりやたら懐かしく感じる。
逆に母の世代の人達は概してその古さにむしろ愛おしさを感じていないように思える。

母も私も切手を集めていた。今から思えば私は切手がさほど好きだった訳でもなかった。ただ家にひとりで居る寂しさやら、しなくてはいけない勉強とか、そういったものから逃れるために誰かの真似をしていただけだったように感じる。
時代的にも切手収集はある程度流行っていて、記念切手の発売日には近くの郵便局に朝から列が出来ていた。
初日スタンプ、風景スタンプ と言っても今や若い人には通じない。ひょっとしたら死語になったのかと思うほどだ。

私はその初日スタンプ入り切手を集めていた。もっとも自分で買って自分で押印するんじゃなくて、切手趣味の専門誌のようなものがあり、その出版社が送ってくれる趣味の会に私は入っていた。そういうことに私は親にお金を使わせて何とも思っていないような子ども、いやむしろ二十歳済んでからもそんなことやっていた。郵送されてきた包装のまま実家から出てきた。

それを今回処分したかったのだ。
テレビでコマーシャルしている業者に前もって確認すべく電話した。切手自体は新しいのですが消印押しているんです、発売日の絵入りスタンプが、って説明した。初日スタンプって言ったんですけど昔集めていたので、とも話した。
そしたら はい大丈夫ですよ、って軽く相手は答えた
金やプラチナの入ったアクセサリーとかはないですか?一緒にお持ちいただくと切手類も少しお高く引き取らせていただけますよ とも。毛皮類はないですか?とも。
だから実家で探った。捨てるよりはマシかなと思うようなものもついでに足した。

そして当日。同じ方面に出かける夫と私の予約時間を調整して行こうとしたのだが、上手く出来なくて結局バラバラに出かけた。せっかくの機会なのに一緒にランチも買い物も出来なくなってしまった。
夫が帰宅後、入れ違いに出かけ乗ったバスは満員。重い切手の荷物が邪魔。でも帰りには これが空っぽになるもの、と決めて大して苦にもならなかった。

それが だ
査定に1時間半かかり、、とそれは仕方ない
若い女子査定員との雑談も適当に楽しめた
けれど最悪なのは
予約電話の内容が通じてない
消印のあるものは引き取れないと言われてしまった
初日スタンプもなんのことか知らなかった様子で。
持参した荷物はほとんど全て持ち帰ることになってしまった。
電話と話が違ったようでスミマセンと謝られたが
こちらは内心 ガーンがっかり である。

帰りに元の職場に立ち寄り取り置いてもらっていた私の忘れ物を受け取り、デパ地下で食品を買ったらもうフラフラである。

何やってんだろ 長い長い時間かけて。捨てるのが惜しいからって。
帰りのバスもなかなかの満員で。2人がけの椅子に座り込んだ私はデカイ荷物を出来るだけ身体に寄せて奥に詰めた。なのに若い女子2人組は座らないでおしゃべりしながら席の横に立っている。通路の邪魔になるし空いてるし座らはったら?と言ってみようかとよほど思った。でも、このトシになってもそれが言えない。下手なこと言って嫌な感じになるのが怖いから黙っている。イライラがつのる。

そうして今度は降りる頃になって若い子がその隣席に座って来た。奥だから今度は出にくいんだよね、と慌てて立って行こうとすると外人に軽くつつかれる。ん?と振り向くと アじゃ~席に忘れた荷物を指差された。

もう最悪。大事に持ち帰った値段のつかなかった切手コレクション。母の大きなバックごと忘れ帰る寸前だった。
忘れたままだとまたバス会社に電話してコレ、取りに行くことになったんだろか。全く…

果たして全体査定額は流石にバス往復代プラス1時間の時給程度にはなったのだが。引き取ってもらいたかった肝心のものは持ち帰り、しかもバスに忘れかける程くたびれ果て、

疲れました。苦笑
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1日に1度は家人以外と話したい

2025年02月21日 | つれづれに
このところ 軽い風邪症状から胃腸不調でスッキリしない。
実家の片付けもゴミ処分もストップしたままだ。

話題と言えば決まって体調の愚痴の夫といると
鬱々してきて少しのことでも腹が立ってくる。
自分でも腹が立つことをわざわざ探している気までしてくる。
感謝してるのに。なんでだろ。

体調良くないからと最近始めた公文書写はお休みした。
その日、受診した。だからその日は断りの教室への電話と受診時の機会に他人と話した。温かい言葉もあった。

昨日は何とかいつもの整形に出かけた。トレーニングは出来なかったけれど、先生やスタッフの方に励ましてもらった。その後図書館に行き、本を借りて買い物してバスで帰って来た。

今日は合唱の練習に行く。まだ友人は出来ないけれど全く会話がないわけではないだろう、と思う。

だから辛うじて3日間は目標達成してる。
これからも毎日誰かと接しよう。
出来なければ誰かに手紙を書いてみよう、でなければメールかLINE。

老化と認知の防止に。

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本日の収穫

2025年02月01日 | 毎日のごはん
エバラのCM 鍋に用意するのは千切りキャベツと豚肉、たったコレだけ!
っていかにもシンプルでしかも美味しそうだからやってみたくなった。
近くのスーパーでキャベツ小さいけど1玉200円台は珍しいっと久しぶりに買って冷蔵庫にそのまま… 例のエバラの鍋の素になかなか巡り会えない。ミツカンならたくさんあるのに。店員さんに聞いても うちでは置いてません、とキッパリ。忙しくて煩わしいのだろうがもうちょっと申し訳なさそうに言って欲しいよ…

で今日入ったスーパーもなかった。
貸し畑で抜いてきた野菜も入れたいし、とりあえず豚肉薄切りだけ購入。

帰宅後、意地になって近所へ見に行くとあった!上段の左隅に。水に溶かすタイプでパッケージが小さいから分かりにくいのだ。

で本日は無事に鍋なり。

今日は残る全てを収穫したから
前回収穫した野菜より多い。
半分残して、またも一度くらい鍋かな

↑前回



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屈託のない白黒写真の笑顔

2025年01月31日 | 実家
写真やら手紙の整理、嫌気もさして 寒いからと実家への足が遠のきます。

母の青春はなんて楽しそうなんだろう…

これらに写っている人達は全て私の知らない人です。多分ほとんどがもう亡くなっている年齢です。生きておられても90代。

真から楽しそう。
そして元気。

私の若い時はこんな笑顔出来なかったな…

うらやましいです


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合唱用スカート復活です

2025年01月28日 | つれづれに
昨年からとうとうこちらでコーラスに復活した。
以前属していた合唱団で第九を歌うことを考えて前年聴きに行き、練習も見学したのだが、抽選のある一万人の第九に当選してしまった。ビギナーズラックというのか、初めての挑戦でいきなり当たってしまった。コロナの明けた今、合唱人気は多分盛り返していると思う。暮れの大阪城ホールは圧巻、感動した。

全国から集まる一万人の演奏のうちの1人、しかも最後尾。映像で確かめても全く自分がわからなかった。衣装も当然ほとんど見えない。
黒のスカート、実は長年眠らせていた。
最後に歌ったのは35年以上前のことである。
最初に団で黒のスカート指定、となった時に母が珍しく縫ってくれたのだった。母も自信がなかったのか、縫ったんだけど、、、って感じで渡された。

今にして思えば 私は十二分に幸せな娘だった。
ビロードの生地や必要な小物も揃えないといけなかったろうに
忙しい日々の間のいつの間に買って来て いつの間に縫ったのか
確かにあまり上手とは言えない縫い線だけれど 
自分も楽しんだ合唱に思い入れもあったのだろうけど 母は頑張ったのだ
そういうことを素直に喜べなかった自分が今にして思えば悲しい。
自分で買うといってもどこで買えば良いのかもわからない、
作ってくれたことは本当にありがたかったのだ。
母は確実に私の幸せを願っていた

引越し地に持って行き、持って帰り
結局一度も着る機会はなかったのではないか と思う。
何十年もの間、クローゼットに吊るしたまま眠らせていた。

それがこの度ついに日の目を見ることに。
が案の定 着てみると、やっぱりウエストが・・・だ。
私は若い頃はとても細くて、
細い細い、食べないから痩せるのと違う?と周りから言われる。
食べられないのだから仕方ない。身も心も貧弱な自分が嫌だった。

それが今ではついに夫の体重を超えてしまった。
太るのを逆に心配している自分がおかしい。
当然スカートも入らない。

仕方がないのでファスナーを開けたままウエストを幾分か巻きつけ、
ベルトでごまかして 本番一回だけ着用した。

年が明け、狙っていた合唱団に参加。
まだ以前のメンバーが残っているのか(多分残ってない)それさえ不明のまま
夏のコンサートに向けて練習に参加することになった。

思い立って「洋服の病院」に持って行くことにした。
みつけた店は「洋服の病院」ではない看板に変わっていた。

ウエストはなんと20㎝も変わってしまっていた。
5000円程度で何とかなるそうだ。
ゴムでもいいですよ、というと ビロードはゴムだとゴロゴロになるから
それは出来ない とのこと。

「何とかなる」のは一週間先だそう。
ちょっと嬉しい。
母の手作りがこの年月を経て生きてくれる。
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