呉かみしばいのつどい ~紙芝居はワクワクどきどき~

子ども達と心を通わせ、共感の感性を育む
日本独自の文化、紙芝居
紙芝居の輪が広がりますように~

③「呉ふるさと讃歌」安浦中学の合唱

2017年10月25日 | ふうちゃんのそら
前ページの、つづきです

感動した大山由宇さんの作文に書かれている「呉ふるさと讃歌」について、私たち「ふうちゃんチーム」は誰も知らなかったのです。
中峠さん、よこみちさん、私の3人は、呉生まれ呉育ちです。


YouTubeにもあがってないし、どんな歌なのか2年間手がかりなしでした。
そこへ、安浦の桐山さんと言う方と、ふうちゃんのそら繫がりでお知り合いになりました。


早速、桐山さんが安浦中学校に直接問合せてくださり、9/26に、生徒さんの合唱を聴かせていただくことになりました



    当日のプログラム    

① 中峠さん挨拶

② 桐山さんによる、大山由宇さんの作文「知る」ということ 朗読

③ 紙芝居『ふうちゃんのそら』実演

④ 生徒さんからの感想

「呉ふるさと讃歌」混声4部合唱



呉ふるさと讃歌 

作詞 呉市警固屋中学校生徒
編詞 保田 えり子
作曲 松前 良昌


1. 日招きに急いだ いにしえの坂
   息を切らして ランニングの足とめ
   思わず笑う
   桜色に染まった顔 見あわせて

  渦に櫓をこぐ 恵みの瀬戸は燃え
  悩み打ち明け 涙の肩抱きあって
  立ち尽くす
  夕映えの 紅(くれない)に 言葉失い

  ああ 匂いたつ 色の艶やかさ 
  ああ 輝ける 海のきらめき



2. 空襲におびえた 戦(いくさ)の空を
  意地はったさかいに 心閉ざして
  一人見上げる
  友情なんかいらないと つぶやいて

  見知らぬ笑顔に 出会った町かど
  心通ったうれしさに 駆けだして
  待ちぶせる
  追う友を驚かそうと 雪つかみ

  ああ 突きぬける 空の深さよ
  ああ 弾ませる 息の温かさ



3. 母が生まれた 父が生まれた
  今は亡い 祖父が生まれた
  祖母が生まれた
  わたしが生まれたこの町で
  ああ
  わたしは友と一緒に生きていこう  
  
  母が生まれた 父が生まれた
  今は亡い 祖父が生まれた
  祖母が生まれた
  わたしが生まれたこの町で
  ああ
  わたしは友と一緒に生きていこう




生の歌声を聴くことができました〜
ありがとうございました。


若く美しい澄み切った、真っ直ぐな歌声に魂が震えました。
涙があふれました。


広島県の中学校合唱コンクールで銀賞に輝かれたそうです
おめでとうございます




生徒さんの感想です。

男子「紙芝居は、自分もその時に生きているような気持ちになった。
   戦争はどんなに辛いものだったかを感じた」



女子「ふるさと讃歌を歌うにあたって、どう歌うか分からなかった。
   紙芝居を観て、今後の歌に活かしていきたいと思いました」









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②中学生の作文が法務副大臣賞入!!

2017年10月25日 | ふうちゃんのそら
安浦中学校の吹奏楽部さんとのご縁は、
2015年に『ふうちゃんのそら』の原画展をした時に、原画を見に来られた当時中学3年生の、大山由宇さんの作文がご縁となりました。


その作文とは、2015年、法務省と全国人権擁護委員連合会の主催する、
第35回「全国中学生人権作文コンテスト」に、全国973,865編の中から4位に入賞され法務副大臣賞を受賞されました。
詳しくはこちらからポチッと



「知る」ということ という題の作文です。
中学生が『ふうちゃんのそら』の作品を通じてどのように感じたかを、私たちも知ることができました。



作文は、インターネットで公開されていますので、ご紹介します。



「知る」ということ

広島県 呉市立安浦中学校 3年
大山 由宇(おおやま ゆう)


 この夏,私たち吹奏楽部は,中学校生活最後になるNHK合唱コンクールに出場する。私たちの学校では,毎年恒例の曲を自由曲として選曲し,練習を重ねている。それが「呉ふるさと讃歌」である。
この曲の作曲に携われた前顧問のK先生が今日,私たちのために合唱指導に来て下さった。



K先生の指導はこれまでに何度も受け,刺激を受けてきているが,今日の先生の指導はことさら熱かった。
普段はとても温和な先生がこんなにも激しく私たちに語られるからには,私たちの合唱に大きく足りない何かがあるからだと感じた。
先生が特に強調されたフレーズは「空襲に怯えた戦の空を」の部分である。



呉空襲の戦火の中,呉の人々がどんな気持ちで生き抜いてきたのか,イメージして歌うことが必要だといわれる。
正直,呉空襲についてほとんど知識のない私たちにとっては難しいことだと感じた。


先生の指導はさらに続き,「人間は本当におびえたり苦しかったりしたら,声は出ないし足もすくむ。そのことをあなた達は,歌声を通して,伝えなくてはならない。」「男声パートは,戦の中で恐怖の中,戦った若き人達を。女声パートは,学業を捨て,青春を捨て,兵器を作る工場で朝から晩まで働いた女生徒の気持ちを。」と。
K先生の檄は飛ぶものの,「これでよい。」とは言ってくださらなかった。
そして,最後に静かに,こうおっしゃった。「合唱は,美しさだけでは成り立たない。たくさんの思いを聴く人に届けることで,感動させなくてはならない。」と。




 この日,家に帰ってから私は母に「呉空襲って,そんなに大変だったん?」と聞いた。母は祖母に同じことを聞いていた。母はもちろん,祖母も聞いたことはあるもののあまり知らないようだった。
私は,「呉空襲」にかかわる歌を歌い続けてきたにも関わらず,今までこのことについてあまり深く考えたこともなかったことについて,申し訳ないような気持ちになっていた。




 このようなある日,新聞で「呉空襲」での被爆体験をもとに紙芝居が完成したという記事を目にした。
呉空襲を体験され,今日まで生きてこられた七十八歳の女性が語られたことを呉市在住の絵本作家が紙芝居にしたという。
私は,どうしても今,この紙芝居が見たくなった。毎日の部活の合間をぬって,やっとこの紙芝居の原画展を訪ねた。
ほんわかとかわいらしい紙芝居の原画に想像していたより穏やかな温もりを感じ,少しほっとした。




しかし,その中で一枚の原画の前で足が止まった。
それは,呉空襲の中でも最も被害が甚大であった七月一日の空襲の一場面である。
ぎゅうぎゅうづめの真っ暗な防空壕の中で,誰もが押しつぶされて死んでいく地獄のような中で差し出された一人の手と,「もうだいじょうぶじゃあ。しんぱいせんでええど。」という,やさしい言葉によって一人の小さな女の子の命が救われた場面である。



戦争という異常な状態の中で誰もが自分の命を守ることだけで精いっぱいだった時,そんな中でも人のためにやさしい言葉とあたたかい手で一人の女の子を救った人がいたのだ。
人間として一番大事なものを奪ってしまう悲惨で残虐な戦争の最中,大切な心をなくさずに生きていた人がいることを知り,私は胸がいっぱいになった。
原案を書かれた人も絵本作家さんも命をかけてこの事実を伝えようと,紙芝居に思いを託されたのだと思う。
私は,この人たちのおかげで,今回はじめて呉空襲の事実に触れ,人の心の尊さを学ぶことができた。


 
 被爆七十周年を迎えた今年,ヒロシマは節目の年だといわれている。
私の曾祖父も原爆の犠牲となり,三十六歳という若さで亡くなった。
そして,その妻である曾祖母は被爆手帳を持ち,苦労しながら三人の子供を育て,九十八歳を迎える。


今は亡き祖父がいて,私の母がいて,今の私がいて,命がつながれている。
ヒロシマだけではなく,身近な都市呉市にも惨禍があったことをあまりにも私たちは知らなかった。
ヒロシマも呉も,ともに戦争による悲しい歴史を持ちながらも必死に生き続け,命をつないできたのだ。


 
 K先生があの時,私たちに託された深い思いを私は三年間かかってようやく受け止めることができたような気がしている。
呉空襲を知らないから,うまく歌えないのではない。



過去の事実を知ろうとし,自分なりの思いを大切に持って,歌に魂をこめて後世に伝えるつもりで歌うことが,大切なのだと。



最後の合唱コンクールは明日。
「母が生まれた,父が生まれた。今はない祖父が祖母が生まれた,私が生まれたこの街で私は友と一緒に生きていこう」のフレーズを,私は仲間と共に誇りをもって,心をこめて歌う。そうすることが私にできるはじめの一歩であり,この曲を歌わせていただく中学生の使命であると感じている。


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呉ふるさと讃歌は、次へ




①中学生の感想は希望!!

2017年10月25日 | ふうちゃんのそら
今年になって、中学生に『ふうちゃんのそら』を演じる機会を頂いています。

6月に片山中学校の全校生徒さん、9月に安浦中学校の吹奏楽部の生徒さんに観ていただく機会がありました。

片山中学校でのようすは、こちらからご覧ください。ポチッと


その、片山中学の3年生2クラス全員から、感想が送られてきました。
校長先生自ら、届けてくださいました。
ありがとうございました。



どの感想からも、生徒さんの心に響いたことが分かり感動しました。
一部を抜粋させていただきます。



・初めて体験した方のお話を聞くことができました。
私が最も印象に残っていることは、防空壕の中でのことです。
周りの人達がバタバタと倒れているすぐそこで、多くの人が死んでいくのはまるで目の前で起こっているかのように想像し、鳥肌が立ちました。

火の渦の中、生き抜いた先輩方をとても尊敬しました。
辛い体験を、私達に伝えてくださり、ありがとうございました。
心のなかに、ずっと刻んでおきます。



・紙芝居を観て、まるで自分がタイムスリップして実際に呉空襲を体験しているような気持ちになりました。
ふうちゃんが虹に向かって、手をあげて笑っているシーンで、みんなで「にじ」の歌を歌うところで感動しました。
平和の大切さがよく伝わってくる歌詞だったので、呉空襲にぴったりの歌だと思いました。



・私の祖父は戦争中に生まれたのですが、4~5歳であまり覚えていないと言っていました。
本当に体験している人は少なくなってきているし、それを語り継ぐ人もいなくなっていると分かりました。
社会の教科書に載っているから、戦争はもう過去のことと思ってしまいがちだけど、まだ経験している人が生きているということはとても貴重なことです。

お話を聞いて、平和って何だろう?当たり前って何だろう?と思いました。
私がいつも帰る家があって待っていてくれる家族がいるだけで本当に幸せだなと思いました。
紙芝居の主人公「ふうちゃん」のような思いをする人が、この世界からいなくなるようにできることをしたいと思いました。



・今、この時も世界には空を見上げるのが怖い子どもたちがいることを考えると、昔のことではないんだな〜と感じることができました。
私たちは"戦争をしてはいけない"と戦争の悲惨さを学んできましたが、今回、防空壕が人であふれたり、亡くなっていたりという知らなかったということを知れました。
何度も平和について考えることや、伝えていくことの大切さが分かりました。



・戦争の話を受け継ぐことの本当の意味を、思い知ったような衝撃的な感じでした。
戦争についてもっと知らなければいけないので、本などを読み、少しでも戦争について知ろうと思います。



・紙芝居を観て、とても悲しくて大人でも目を伏せてしまうような町のありさまを、まだ小さい子が見ていたんだと、改めて思いました。
そのようの情景は決して忘れることはできず、一生残り続けると思うので、戦争の残したものは怪我や病気など形として残るものだけでなく、心も傷としても一生残り続けるんだと、改めて感じました。



・中峠さんのお話で「昔のことだ」とか思わずに呉で起こった出来事なので、忘れずに生活していかないといけないと思いました。
紙芝居のふうちゃんが、虹を見上げているシーンで、なぜかホッとしてしまいました。
笑顔は大切でかかせないものだと、改めて思いました。

遠い国では、まだ戦争とかで苦しんでいる人がいっぱいいるので、今の自分の生活に感謝していきたしと思います。



・日本は終戦して、平和な国になったけど、世界では今も紛争や戦争がおきているので、世界から早く核兵器がなくなって、平和な世界になったらいいなと、紙芝居を観て思いました。



・戦争のことを「昔のこと」と自分の中でふたをしていたと思います。
しかし、中峠さんのお話を聞くことで、改めて空襲の凄さを知ることができました。

また、紙芝居があることで、悲しさで終わる紙芝居ではなく、少し心がぽかぽかして終わることができました。
次世代に繋げていくことが私たちの使命だと思いました。



・「この世界の片隅に」を、今日聞いた話や「ふうちゃんのそら」と、照らし合わせながら見たいと思います。



・平和に生きられているということが、とても凄いことなんだなあと思い、涙が出そうでした。
最後に歌った「明日はきっといい天気」という歌詞を聞いて、明日があるかどうかわからない昔があったということを改めて考えてみると、1日1日をとても大切にしていかなければいけないと思いました。
忘れないようにずっと伝えていくことが、私たちの責任なのかなと思いました。



・私が一番に思ったことは、私たちは戦争のない平和な世界を後世に伝えると言う使命があることです。
最後は、虹のかかった空を見たときの場面はとても心に残っています。

私たちがこうしてあたりまえのように家族と友達と過ごしたり、美しい空を見ることができるのは本当に幸せなんだと感じました。
そして私たちが、この喜びが永遠に続くように「平和」を伝えていくべきだと思います。



・中峠さんは、こんなに苦しい思いをしているのに、私たちにお話をしていただく勇気はとでもいることだと思います。
紙芝居を読んでくださった中峠さんの感情のこもった一つ一つの言葉は、その時のようすそのものなのではないかな、と思いました。



・虹を見て綺麗だと思えることが幸せだという言葉に驚きました。
今までそんなことを考えた事がなかったので、すごく心に残りました。
この幸せを続けていくことが、僕たちのやるべきことなんだと感じました。









安浦中学校につづきます