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ロス・ラッセル 著『バードは生きている』

2023年11月24日 | ドレミノート

BIRD LIVES! バードは生きている チャーリー・パーカーの栄光と苦難

ロス・ラッセル 著 池 央耿 訳

1975年4月10日 第一刷発行

発行所 株式会社 草 思 社


<著者 ロス・ラッセルについて>(本書カバーより)

 著者ロス・ラッセルは1909年ロサンジェルス生まれ。以来ほとんどカリフォルニアで暮らしてきた。キャディー(同時にゴルフ・クラブの製造)、パルプ・マガジンの寄稿家(1ページにつき1ドルだった)、商船の無線士官(第2次大戦中、水害にやられて54時間救命で漂流したこともある)等の仕事をしたのち、ミュージック・ショップを経営、同時にビバップ専門のレコード会社、ダイアルを設立して、パーカーの名演を録音し発売した。その後は、ジャズ・コンサートの企画(モンタレイ・ジャズ・フェスティヴァルのプロデュースをしたこともある)や、いくつかの大学でアフロ・アメリカ音楽の講義をしたりしている。これまでの著書は小説 The Sound とJazz Style in Kansas City and the Southwest.


 「バードは生きている」は、鳥の生態をまとめた文献ではない。(知らない人もいると思いつい書いてみたが、初めからつまらない冗談になってしまい申し訳ない…。)ご存知の通りバードはモダン・ジャズ(ビ・バップ、be-bop)の創始者の一人でアルト・サックス奏者のチャーリー・パーカーの俗称であり、本書は彼の生涯がまとめられた物語である。パーカーは、アメリカ合衆国ミズーリ州カンザスシティに1920年に生まれ1955年に若くして34歳で亡くなった。1940年代中期がパーカーの活動の最盛期と言われている。確かにダイアルやサヴォイ・レーベル時代のパーカーは最高だが、その後のヴァーヴをはじめとするレコードにも円熟味を増した演奏を聴くことができる。そして、パーカーの生み出したアドリブ・フレーズやバップ・スタイルの演奏はパーカー以後のジャズ・ミュージシャンに大きな影響を与えている。

 本書はバードを愛する者たちにとってバイブルである。ぼくはこの本が1975年に発行されると同時に購入し、人生をともにしてきた。全てのページがジャズを演るための教科書でありお手本だと思って来た。ぼくはジャズで身を立てることはなかった。しかし人生を踏み外しそうになると本書を読み直してなんとかやってきた。

 本書の内容を全て紹介したい誘惑に駆られる。しかしそれでは著作権の侵害にあたり、道を踏み外すことになりかねない。なので、ここでは少年パーカーがジャズを始めるきっかけにもなっているオールドマン・ヴァージルから諭される大好きな場面を引用しておく。ぼくはパーカーについてみんなに知ってもらいたくて仕方がないのだ。


(p.66-67より)

 チャーリーは、もはやリンカーン・ハイスクールに通っているふりを装うことさえしなくなっていた。自由な時間の多くを、彼はオールドマン・ヴァージルの小屋でがらくたの仕分けを手伝ったり、一緒に横丁を歩いたりしながらあれこれと話をして過ごした。ある時彼は、ジェンキンズの楽器店から、店員の目をかすめて失敬して来た二つのリードをヴァージルに見せた。ヴァージルは叫んだ。「そいつは万引だ!」会衆に向かって声を張り上げる説教師のようだった。「そんなことをすりゃあ、二年も感化院だぞ!前科は一生ついてまわるんだ。チャーリー、おれとちょっと話合おうじゃないか」老人は家具屋の廃品置場から買い受けて来た椅子に、チャーリーを向き合って座らせ、彼の身の上話に黙って耳を傾けた。

「お前にゃあ親父がいないから、このおれが四つの規則を定めてやる。おれは年寄りだ。年の功ってことがある。規則の一つは、“盗みをするな”だ」ヴァージルは言葉を切ると、熱い目付きでチャーリーを見据えた。「感化院に入れられる時間を考えてみろ。たかが五十セントのリード二個が何だっていうんだ?そいつを聞かせてもらおうじゃないか」

「馬鹿な話さ」チャーリーは言った。

「盗みなんてのは、ろくでなしのするこった。規則の二は“人を悪くいうな”だ。悪口を言うのは簡単なこった。あっちこっち行っちゃあ人の悪口を並べても、お前には何の得にもならねえよ。悪口ってのあ、きっと、そいつの出どこへ帰って来るもんだ。他人は皆、お前が何を言ったか、ちゃあんと覚えているからな、人を悪く言って良いことがあるはずがねえんだ。よく覚えておけよ、チャーリー。人のことを良く言えねえんなら、端っから何も言うな。そうすりゃ、お前、人からも良いやつに見られるってもんだ。音楽の話をしよう。おれあ、手前じゃあブルースをちょっとやるくらいで、何もできやしねえがな、長年通りをうろついてるうちにゃあ、ずい分音楽も聞いたさ。お前はまだほんの駆け出しだ。おれたち黒人にはな、そうそう道が開けているわけのもんじゃねえ。音楽があれば、黒人は手前の道を歩けるんだ。このカンザス・シティにはな、国中どこへ行ったって誰にも引けをとることのねえ演奏家が大勢いるんだ。覚えられるものあ何でも覚えろ。練習をさぼっちゃいかん。喰いついたら離れねえこった。お前、ホーンをはなすな。ホーンさえやってりゃ、人生どこへでも行きたいとこへ行ける。」

「最後の規則はこうだ。“良い女を見付けて、浮気はするな”」老人は言葉を切って、それから言った。「さあ、おれの後について行ってみろ」

 チャーリーは四つの規則を繰返した。「盗みをするな。人を悪く言うな。ホーンをはなすな。良い女を見付けて、浮気をするな」それから何週間か、チャーリーはオールドマン・ヴァージルに会えば必ず、小屋であろうと、通りや路地裏であろうと、どこでも四つの規則を教義問答のように暗誦させられた。


当時1,800円の本書は自分にとって高額で朝昼二食を何日か抜いた



charlie parker - I remember you

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