(Sometimes I'm Happy.)

好きなことを記録しているノートです。
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1979年(3)

2023年06月26日 | 記録・観察ノート

真面目に授業に出席し少しずつ知り合いもでき始め、ジャズ研に通いコルネットを持ち込んで練習を初めて二週間くらい過ぎ三里塚関係のビラやポスターも見慣れてきたある日、大学での勝手もわかって来たので狙いをつけていた『文連』のオレンジ色の扉を訪ねた。自治会がセクトであることは正門前で配られているビラから予想がついた。民青の活動がないことも学生生協にビラやポスター一つないことで察しがついた。行くべき場所は文化系サークルをまとめ、白雉祭(学園祭)を実行し、学内管理強化に反対しながら三里塚などの政治闘争にも関係している文化団体連合会の本部だった。本部室にいたAさんに話を聞かせてくださいとお願いした。ここの活動内容や対当局のスタンス、政治闘争への関与、セクトへの関わり。Aさんも逆に質問してきた。部落解放同盟朝田派批判の根拠、自治会を訪ねずに文連に来た理由、ここで何がしたいのか、民青やセクトへのシンパシーなど組織防衛のためか確認してきた。SさんやKさんもやってきた。自治会はセクトなので訪ねる考えはないと話したところ、全学自治会と称しているが実際は語学クラスがある二年生時までの限られた組織でしかないこと、自治会の政治組織は日本社会党・社青同協会派の分派で労働者階級解放闘争同盟でありその学生組織がレーニン主義学生同盟であることなどを教えてくれた。自分はジャズ研に入会してトランペットを吹くことになったのだと話したが、そんなことより自ら文連を訪ねてくる新入生が珍しいらしく、またマルクスの学習会をしているという話に興味がもたれ、真面目だねと裏があるように何度か言われた。他セクトによる拠点奪取に向けた動きではないかという疑いをかけられたようだ。疑いではあったがこの時点では党派的な立場を明確にする気持ちはなかったので、今は本部活動をするかどうか決めておらず当分ジャズ研でトランペットを吹くつもりであり文連にはサークルを通じたシンパとして関わっていきたいと話した。

大学においてセクトの拠点化は組織として自分たちの取り組みを正当化し自治を進める上でナーバスにならざるを得ない。それが党や同盟であれば組織の存続をかけるため注意深い対応になる。ヘルメットの色は何色か訊ねるとグレイのキャビネを開きあっけらかんと見せてくれた。そこには赤と黒のヘルメットが並んでいた。文連本部の自信のようなものを感じた。しかし、信頼関係のない新入生に対して不注意すぎるのではないかとも思った。非合法とか合法とかを問う前に関係なく社会が認める「過激派」のボックスがここにある。白や青ヘルがないことを確認し、三闘委が赤ヘルだったことを思い出して黒と赤があるのはどういうことか質問した。すると取り組みによって使い分けているとあっさり回答され、使い分けの意味がわからなかったもののそんなものかと感心した。文連本部の活動自体に毛嫌いする要素はなかった。ただこのまま本部の活動をすることでここの指針に基づく政治闘争に関わるには疑問があった。ここが自分の居場所なのか、自分は何がしたいのか、自分の考えている取り組みとここで行われている学生運動は同じものなのか、樺美智子さんや奥浩平くん、高野悦子さんの闘いと同じものなのか、自分の想像する『闘争』と現実との隔たりを埋めることができるのか。このままでは結論は得られない。試みるしかなかった。


1979年(2)

2023年06月24日 | 記録・観察ノート

その頃。(1979年4月から7月にかけて)

実家のある高崎では高校の吹奏楽部のOB会の活動が盛り上がっており旧制高崎中学校音楽部吹奏楽団創設40年を記念して夏に演奏会をやろうという計画が進んでいた。そのため毎週土日には高崎に帰り準備のため実行委員会を開いた。懐かしい顔ぶれの若手OBが集まって来ており彼らと会えることに喜びを感じていたし、同時に別の意味の期待もあった。

というのは大学での活動について考えると理論武装の必要性を感じており、高崎高校のOBに教えを乞いたいと感じていたからだ。東大の経済学部に行った同期生のSくんにお願いしたが真面目な彼にしたら学生運動の活動のための勉強会など人生で意味をなさないようですぐに断られた。別のOBに一年下のYくんがいた。Yくんは早稲田大学の政経学部で経済学を専門にしていたこともあり、吹奏楽部OB会に合わせてマルクス経済学の学習会を定期的にやりたいという申し入れに快諾してくれた。ただ条件があり彼の後輩のMさんという女子大生も仲間に入れて欲しいということだった。彼の話では中学校のブラスバンドの後輩でホルンを吹いており、彼女の中学主催の軽井沢合宿に我々がサポートで行った時に一度会っていて、Yくんは親同士も知り合いだという。断る理由もないので了解したが、Mさんの両親はある政党の党員であることを後から知った。学習会の教科書は入門書として「猿が人間になるについての労働の役割」(エンゲルス)に決まった。


1979年(1)

2023年06月23日 | 記録・観察ノート

四月。

新しい時。受験からの解放感と春の心地よい明るさに包まれた安堵感を腹の底まで満たしながら西武池袋線江古田駅にある武蔵大学の正門前に立ち、経済学部経営学科の学生として生活を始める喜びを噛み締めていた。立て看板の並ぶ大学の正門から入学式会場の講堂へ向かうキャンパスには、新入生歓迎と入部・入会を誘う学生サークルの模擬店が密集し若く生き生きとした呼びかけや歓声で賑わっていた。講堂は建築家・佐藤功一が設計した落ち着きのある建物で、自由に着席することが認められていた。大学学歌の斉唱に続き学園長の祝辞、学長の式辞があり事務連絡などを受けた後、学生団体からの案内に移った。学友会、体連、ゼミ連、自治会、そして文連。文連の説明に入る時、赤ヘルメットを被った数名の男女が「三闘委」(三里塚闘争実行委員会)と書かれたガリ版刷りのビラを配布したが、特にその三闘委からのアピールはなかった。文連(文化団体連合会)の説明を委員長がしたのは覚えているが内容は忘れてしまった。たぶん公認された36サークルに加わり有意義な学生生活を送ろうなどというありふれた内容だったのではないかと思う。それでも学内に学生運動をする学生がいることを知り、こうした環境に身を置くことがいかにも大学生らしいと改めて思った。ただし、立て看板に書かれていた“文連本部”、“三闘委”、“L学同”(レーニン主義学生同盟)、“狭実委”(狭山闘争実行委員会)、“全学自治会”、そして“中国研”がそれぞれどこのセクトなのかわからず、民青(日本共産党・民主青年同盟)の活動もないようなので状況を理解するにはまだ早いと心の中で思い拙速な行動は避けようと用心することにした。また、立て看板はなかったがビラ配りをしているサークルや団体がいくつかあった。“社研(社会科学研究部)”、“社思研(社会思想史研究会)”、“地歴研(地域歴史研究会)”、“学対連(学館対策連絡会議)”、“新聞会”などである。学生の活動事情をしっかり把握しないうちは、無闇に動くべきではないと考えることにした。

帰り道。Tくんが勤める池袋のジャズ喫茶「ジャンゴ」に寄った。キース・ジャレットの『My Back Page』を聴きながら大学の雰囲気についてコーヒーを飲みながら話した。ジャズ研究会にはまだ行っていなかったので、明日にでも顔を出してみようと思った。

翌日。授業のオリエンテーションを受けた後、ジャズ研究会の新歓の出店に行きサークルBOXを訪ねた。BOXは軽音楽研究会などと一緒に長屋になったプレハブの建物で体育館の裏にあった。BOXには、ベース、ドラム、ピアノ、テナーサックスの先輩達がおり歓迎してくれた。トランペットを吹いたことがあるというと一緒に音を出そうということになり、四年生の楽器を借りてFのブルースを演ることにした。下手なのは当たり前なので気楽に『Now’s the time』を吹いた。バンドで吹ける幸せを噛み締めつつ1コーラスはスウィングし2コーラスの途中からフリーにしてメチャクチャに乗ったところドラムが着いてきてくれて盛り上がった。満足だった。猛烈な幸せを感じた。希望大学に入ることはできなかったが自分の居場所を見つけた気がした。目標をクリアできなかった劣等感も薄らいでいった。


トランペットのバルブの向きについて

2023年06月22日 | ドレミノート

 ピストン・バルブの仕組みとして、トランペットの場合、各バルブには1、2、3とナンバーが彫ってあり、ヤマハの楽器の場合これがマウスピースの向きに整列するように合わせてバルブ・ケーシングに挿入すると管内を通る空洞位置がズレないようになっている。またこのズレをなくすためにピストンには2箇所のガイドありケーシング側には溝が掘られ、ガイド幅も2箇所でサイズが異なりこれがきちんと合うようになっている。ところが、このガイドには若干遊びがある(精度の悪い技術的な問題というよりも、金属の摩耗を防ぐ観点から多少の遊びをとっていると思われる)ことから稀に2箇所で反対にはまってしまったり、ガイドがはまらないままバルブ・ケーシングにピストンを挿入してしまうことが起こる。 

 従来こうした問題の発生は、ピストン・バルブがピストン軸にバネを伴った形状のトランペットの場合であれば予測可能な(フリューゲルホーンなどのピストンとバネが分離しガイドが一つしかない構造では問題発見しにくい)ことなので、バルブ・ケーシングにピストンを挿入するときに完全に差し込んでしまう前に二、三回ピストンを上下させて位置が合っていることを確認する癖をつけておくとズレの発生を回避できる。 (※位置を決定するガイドには金属のものとプラスチックのものがあり、プラスチックのもは長く使用することで摩耗しガイドが滑る様なことも発生する可能性があり注意しておく必要が金属よりもあると思う。)