(Sometimes I'm Happy.)

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ジヘとサイボーグに関するメモ

2009-03-14 | 2006_2010_memo
 クァク・ジェヨン監督の作品には、共通する印象的なシーンが出てくる。そして、「ラブストーリー」と「僕の彼女はサイボーグ」も例外ではないので、思いつくままメモしておく。

○故郷の田舎へ恋人同士で出かけるシーン。
 特に田舎は故郷でなければならないし、どこか古臭く霊気が漂う設定でなければならない。それは幼い頃オバケを信じていたように、霊気が漂った瞬間に子どもの頃の素直さに戻れるからなのかも知れない。

○夕焼けの土手を二人で歩くシーン。
 土手のシーンは夕焼けが背景であり、二人の姿はシルエットでなければならないのだ。夕飯が近づき、家に帰らなければならない時間帯に、また懐かしさが溢れ出してくる。
 補足だが、この土手につながるどこかに手作りの橋がある。この橋もクァク監督にとって現実と非現実を結ぶ境界なのだ。「デイジー」では橋は彼女のために作られ、橋の上には彼女からスナイパーへ絵画のプレゼントが置かれている。

○見上げたり見下ろしたりを繰り返す階段のシーン。
 ジヘの家の前にある階段、そしてサイボーグと別れる場面の階段。階段は、普通の道路と異なり何かが起こる場所なのである。

○二人で大学構内を歩くシーン。
 大学構内というのは、平和の象徴である。受験戦争のあとのまどろみであり、治外法権なのだ。例え、安田講堂が砦となって学生と機動隊が対峙したとしても、それはまさに平和の象徴なのだ。

○主人公ふたりが二人で走るシーン。
 サイボーグでは、無銭飲食で街中を逃げるシーンがある。ラブストーリーでは、傘を持たずに雨の中を駆けるシーンがある。何かから二人でいっしょに逃げていく瞬間に、恋はさらに深まっていくのである。

さあ、これ以外にも監督は自分の作品にいくつかのしかけをしている。

○ベトナム戦争の戦場や大地震のような激しい死と隣り合わせのシーン展開。
 危機の中で、大切な人の存在をあらためて知ること。わかりやすいのである。

○タイムスリップするように現在と35年前を行ったり来たりするシーン展開。
 タイムスリップは、現時点では永遠の夢であり、解明できない自然な希望がそこにあり、映画ならではの不思議なお話の提供へと繋がるのだ。

○ペンダントやキーホルダーなどストーリー展開に必要な小道具をお話の中にスッと入れておく展開。
 このプレゼントという小道具は、愛し合う二人には大変な宝物であり、映画の展開と観客の感情移入のための道具にもなりうる。

○結ばれない二人が、時代を超えて結ばれる展開。
 不安な展開をハッピーエンドに導く方法として、時代を超えてしまうのはずるい、けど納得できてしまうから大好きだ。

 そんな訳で、よりいっそうクァク・ジェヨン監督の作品が好きになってしまった。まだご覧になっていない貴方(貴女)、損しないからだまされたと思って見てみてください。また、すでにご覧になっており、同感の方、それぞれのシーンを思い出し、あらためてカミシメてください。まったくそうは思わないという方、これは個人的な意見ですので、気にせずにご自分の意見を大切になさってください。
 それにしても…、映画って、サイコーですね。

クァク・ジェヨン監督の作品

「ラブストーリー」
原題「The Classic」(2003)

主演:ソン・イェジン

「僕の彼女はサイボーグ」
原題「Cyborg she」(2008)
主演:綾瀬はるか

Stockholm Sweetnin'

2009-03-07 | 2006_2010_memo
 「ストックホルム・スウィートニン STOCKHOLM SWEETNIN'」は、クリフォード・ブラウンやアート・ファーマー、クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)たちがライオネル・ハンプトン楽団の一員としてヨーロッパへ演奏旅行に行ったときに初めて録音した曲だ。作曲は勿論、若き日のクインシー・ジョーンズである。さて、ただしこの曲はライオネル・ハンプトン楽団で演奏したものではない。当時売れっ子街道まっしぐらだったクリフォード・ブラウンたちバンドマンは、バンマス“ライオネル・ハンプトン”から勝手なレコーディングを許されておらず、その厳しい見張りをかいくぐって、やっとの思いで逃げ出した彼らが地元のミュージシャンと演奏したものだ。(余談だが、この若手の勝手な行動を許さなかったのは、バンマスに同行していた彼の奥さんの方がより厳しかったらしい。彼のバンドが常にサイコーであるべきだと考えた彼女は、才能ある若手が別のバンドでいい演奏をして、彼の元から離れていくことを密かに恐れていたのであろう。)

 この録音は、クリフォード・ブラウンの「CLIFFORD BROWN MEMORIAL」に収録されている。そして、このときのブラウニーのアドリブは大変素晴らしいもので、スウィングしながらリズムを壊し、さらにオクターブを自在に動き回りつつメロデイアスなのである。そして、クインシー・ジョーンズは1956年に「私の考えるジャズ This Is How I Feel About Jazz」で、あらためてこの曲を採り上げたのだが、ブラウニーのアドリブをオーケストラがユニゾンでなぞるアレンジがされている。まあ、とにかくうれしい演奏なのだ。オーケストラの中でフィル・ウッズ(as)が聴けるのもゴキゲンさを倍加してくれるのである。

 そうそう、クインシー・ジョーンズが作曲やアレンジに注力し大成したのも、実はトランペッターだったジョーンズがクリフォード・ブラウンのトランペットを聴いて、自らラッパ吹きとして生きることを諦めたからに他ならない。二人は、本当に仲が良くお互いに尊敬しあう関係だったのである。クリフォード・ブラウンが若くして自動車事故で急逝してしまうまで…。

「私の考えるジャズ This Is How I Feel About Jazz」(Quincy Jones)


 ここでは音源を紹介できないので、アル・ジャーロウの歌詞付きの「ストックホルム・スウィートニン」を貼り付けておく。残念ながら、クリフォードのアドリブに歌詞をつけて歌っているわけではないが、味があるよ。こういうのも大切にしよう!

Stockholm Sweetnin'- Al Jarreau