ダンス以前 》》》

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■___/ダンス以前について考える

2017-04-01 | this AND that

 

 

■___/ダンス以前 ダンス以前は、20世紀の身体性教育の始まりであったフェルデンクライス•メソッドの指導者でありパフォーミング•アーティストである小林三悠によって展開される表現ジャンル/思想である。

 

日本にて職業ダンサーとして活動する中でダンスの本質的価値に疑問を抱きはじめ、単身アメリカ•カリフォルニア州、ハワイ州に留学、移住する。9年間に及ぶ他国での生活なかで多様な芸術、宗教、価値観に触れ土着の民族音楽や文化の美意識に興味を持つようになり、様々な表現文化が誕生するきっかけと考えられる経済、教育、思想、とくに人の行動や価値観、感性を決定しうる生活環境、例えば季節、生活習慣、日々の労働条件に着目し創作活動を展開してきた。

田植え、山仕事、庭の手入れ、日々の労働によって染み付いた姿勢、仕草があれば、それらを丁寧に抽出し、抽出した要素や条件をダンスする際の動き作りの原点としてきた。過去10年の主な活動、作品として「身体と環境のワークショップ」(2010—2012)、「決断のプロセス」「みみずの戯言」(2013)、「無縁仏」(2014)、「静かな糧」(2016)、「How we aware…what we know…〜気づきの系譜〜」(2016)等がある。

 

現在は、庭園コンシェルジュとして働く傍ら日本庭園における作庭家の美学と思想に着目し、庭師の身体感覚や空間把握能力を活かしたパフォ−マンスを展開しはじめている。2017年春、千利休作庭•百積庭(大徳寺聚光院)にて「白の御神楽」を振付け、上演する。

(2017.6月現在)

ダンス以前は、現代日本に存在する西洋的なダンスに基礎をもたず、日本にダンスが歴史的、教育的に導入される以前の舞やおどりの源を探し、発見し、創作の原点とする活動自体をさします。また、ダンスになり得る前の動きを繋げて「躍る」行為を意味します。

 

他の人はダンスをなんといっているんだろー。

「ダンスは、遊戯的でリズミカルな動きの連続によって豊かなコミュニケーションと表現を楽しむ文化である。」

(日本ボールルームダンス連盟)

と広く定義されるが、ダンス以前の場合

ダンスに文化的役割、意味、価値が発生する以前の活動をさし、

ダンスがコミュニケーションや表現のメディアとして扱われる現状を含めない(どちらかと言うと否定する)ダンスです。

 

■___/ダンス以前の場合、

  

通常の作品概念の中に含まれるはじめとおわりはなく、作品テーマ、モチーフ、使用する決まった音楽等や振付けは躍るためにさほど重要ではありません。

 

では、何を躍るのかというと、、、躍る場所にたったとき、踊るにはとるに足らないあらゆる感覚、感情、考えの兆しを集めて躍ります。

例えば、察するもの、迸るもの、突き抜けるもの、心に触れたもの。

awareしたもの。

いや、するにもまだいたらぬ未然のもの。

自分でも、awareしたとわかっていないむさくいな領域とでもいうのでしょうか。

 

 

 

 

 

きっと、音楽にのってタンゴのように「踊る」よりも渓流に銀鱗が動くような「躍り」に近い「おどり」であることはたしかで、

時と場合によって踊りと躍りの狭間をおどると言えます。

自分の中では、これが一般的に言われるダンスかだんすでないかないかと、問われたダンスではないけれど、

ダンス以前は、事の発端に気づきおもわず作動してしまう、とめようのないものを躍るダンスなのです。

(2016.3月現在)

 

 

 あれ?

やっぱりダンスだった。