先日本屋で目に入った
・「春宵十話」岡潔
はしがき
だけ立ち読みしてみました。
人の中心は情緒である。情緒には民族の違いによっていろいろな色調のものがある。たとえば春の野にさまざまな色どりの草花があるようなものである。
私は数学の研究をつとめとしている者であって、大学を出てから今日まで三十九年間、それのみにいそしんできた。今後もそうするだろう。数学とはどういうものかというと、自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術の一つであって、知性の文字板に、欧米人が数学と呼んでいる形式に表現するものである。
私は、人には表現法が一つあればよいと思っている。それで、もし何事もなかったならば、私は私の日本的情緒を黙々とフランス語で論文に書き続ける以外、何もしなかったであろう。私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た。
・大谷翔平選手
・藤井聡太棋聖
野球なんかをして人類にどういう利益があるのだ
将棋なんかをして人類にどういう利益があるのだ
スミレはスミレのように咲けばよいのであって、
そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、
スミレのあずかり知らないことだ
そういう境地のような気がする。
観ていて清々しい。
気持ちが良い。
自然だ。
一方で、
・未来の子供たちのために
・地球環境を守るために
・貧困を世界からなくすために
・戦争をなくすために
「○○のために」
と自分の頭に言い聞かせて活動している人たち(もちろん心で動いている人もいると思います)
は、「自然じゃない」と感じてしまう。。。
「多様性」
が連呼される今の世の中、「本当の」多様性は、「はしがき」で岡潔さんが仰っている
人の中心は情緒である。
情緒には民族の違いによっていろいろな色調のものがある。
たとえば春の野にさまざまな色どりの草花があるようなものである。
という景色なのだと思う。
頭で考えて、作ろうとしている今の報道で連呼される「多様性」とは違う。
自然か?
不自然か?
自分の感覚を信じて生きて行きたい。
そのために
・やらずにはいられないこと(ブログを書くことがそうかなぁ)
・せざるを得ないこと(仕事や家庭のこと)
など、なにも考えずに淡々とやっていくだけなのかなぁ。
10代後半から20代30代。
脳みそばっかり使って、頭でっかちになりすぎていた。
私は私という花を咲かせればよいだけ
私は私のようにただ咲けばよいだけ
それが人類の利益になっているかどうかなんて私のあずかり知らないことだ(なんつって、かっこつけすぎぃー、失礼しました、ペコリ)
「バヌアツの法則」
(バヌアツで大きな地震があると
2週間以内に日本でも大きな地震が起こる)
に対しては
・量子力学!
岡潔さんの本にも出てくる
・寺田寅彦先生の言葉
・「天災は忘れた頃にやって来る」
今日も「防災意識」と「大地への感謝」を忘れずに過ごしたいと思います。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
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