「何かをやらねば!」
という焦燥感
「このままではいけない。。。。」
という不安
それを埋め尽くすように「食べた」
「何か」が「何か?」わからないまま、焦り
「何か?」の答えを求めるが、わからないまま、このままではいけない。。。と不安の毎日。
いつの間にか、なんで「過食」になっちゃったんだ?俺?
何がいけなかったんだ?
という思考にシフトしていき、過去の自分を悔いていく。。。。
挙句の果てに親の育て方が良くなかったのかも?
という自分以外の責任にしようという思考回路になっていた。
(ごめんよ、父さん、母さん。今は感謝の思いしかありません。)
結婚し、子供も授かって1人でいる時間が少なくなっていくに従って「過食」も減っていった。
ただ、飲み会の帰りなど、ふっと魔が刺してコンビニにフラッと立ち寄り、帰り道で「過食」。
超絶罪悪感。。。。
「過食をやめたい」
「過食する自分を変えたい」
「自分を変えるために何をしたらいいんだ?」
「自分を変える!」
「ダメダメな自分から、ポジティブで出来る男へ」
ますます「自己啓発」「スピリチュアル」にはまっていった。
結局「自分」「自分」。
「自分」のことから頭が離れなかったのかなぁ〜
「世のため」「人のため」「家族のため」「子供たちのため」「地球のため」なんて言いつつも、この苦しい自分を
楽にするために、「何かをやらなければ、自分を変えられない」という思考に支配されていた。
「何か?」はきっと「天命」「使命」である。
「天命」「使命」にさえ出会えれば、それに没頭してあれよあれよという間に自分が変わり、成功して、楽になれる。そんな妄想に支配されていた。
そして勘違い使命感により
・美しい地球を子供たちに
という活動に足を突っ込んでいくことになるのでした。
つづく。