リギョル神父『青年の友』聖ヨゼフ教育院
【附録3】カトリックがプロテスタントとキリスト教について議論するときの方法は?
その上で、カトリック教徒が他のキリスト教徒(プロテスタント教徒)とキリスト教について議論するときに、どういう方法をとってよいかすぐに分かる。
すなわち、極めて簡単にして、かつ、極めて明瞭な方法である。度々行われるように、重要でない問題について空論徒説を戦わせてむなしく時間を費やさずに、直ちに目的に向かって進み、公教要理を取り、プロテスタントに向かって、この要理書はキリスト教のすべてを含んでいるというはずである、簡単に約してはあるが、全部を含んでいるから、読んでご覧なさい、あなたは少なくとも幾分かのキリスト教者であるから、あなたの承認する点については、お互いに議論する必要はありません。
なぜならば、少なくともその点については同感でありますからです。他の点については、あなたが承認なさらず、または是認なさらず、もしくは了解にならぬ点でありましょうから、
その点には朱点でも打っておいでなさい。
私の力で出来ますならば、ご希望の説明をいたしましょう、わたしたちは、どういうわけでこの書に書いてあるとおり信じているか、また、どういうわけでこの書に書いてあるとおり行っているか、その理由を申し上げましょう。もし、私の力で申し上げることが出来なければ、私よりも学者の方があなたにお話致しましょう。なぜならば、すべてわれらの信ずるところ、行うところには、あなたの学識にご満足を与えるだけの理由、説明がありますというはずである。
この方法は、いくら簡明であっても、プロテスタント教徒は承知するかどうかは分からないが、しかし、少なくとも、明瞭的確に分かるに相違ない。キリスト教はどこに存するかを確かに知り得るに相違ない。
ところが、プロテスタントの中には、自らキリスト教者であると称しながら、その実、明らかにキリスト教を知らない者が多い。
それを明らかに知るようになったならば、キリスト教に帰依するかどうかは断言し難いけれども、諸君としては、その人の精神を照らし、その人の心を感ぜしめるが為に、出来るだけ力を尽くすはずである。
また、諸君は、『真理を心に入らせるには、愛徳をもってこれを宣伝しなければならぬ』ということを忘れてはならない。
結論
人物と行動。
諸君は善を行いつつ幸福となるであろう。
それは諸君の義侠心の程度に応じる。
また、諸君は自らを救いつつ、人を救うであろう。
これは諸君の徳行に対して提供さらるる、最もうるわしい報賞である。
【附録3】カトリックがプロテスタントとキリスト教について議論するときの方法は?
その上で、カトリック教徒が他のキリスト教徒(プロテスタント教徒)とキリスト教について議論するときに、どういう方法をとってよいかすぐに分かる。
すなわち、極めて簡単にして、かつ、極めて明瞭な方法である。度々行われるように、重要でない問題について空論徒説を戦わせてむなしく時間を費やさずに、直ちに目的に向かって進み、公教要理を取り、プロテスタントに向かって、この要理書はキリスト教のすべてを含んでいるというはずである、簡単に約してはあるが、全部を含んでいるから、読んでご覧なさい、あなたは少なくとも幾分かのキリスト教者であるから、あなたの承認する点については、お互いに議論する必要はありません。
なぜならば、少なくともその点については同感でありますからです。他の点については、あなたが承認なさらず、または是認なさらず、もしくは了解にならぬ点でありましょうから、
その点には朱点でも打っておいでなさい。
私の力で出来ますならば、ご希望の説明をいたしましょう、わたしたちは、どういうわけでこの書に書いてあるとおり信じているか、また、どういうわけでこの書に書いてあるとおり行っているか、その理由を申し上げましょう。もし、私の力で申し上げることが出来なければ、私よりも学者の方があなたにお話致しましょう。なぜならば、すべてわれらの信ずるところ、行うところには、あなたの学識にご満足を与えるだけの理由、説明がありますというはずである。
この方法は、いくら簡明であっても、プロテスタント教徒は承知するかどうかは分からないが、しかし、少なくとも、明瞭的確に分かるに相違ない。キリスト教はどこに存するかを確かに知り得るに相違ない。
ところが、プロテスタントの中には、自らキリスト教者であると称しながら、その実、明らかにキリスト教を知らない者が多い。
それを明らかに知るようになったならば、キリスト教に帰依するかどうかは断言し難いけれども、諸君としては、その人の精神を照らし、その人の心を感ぜしめるが為に、出来るだけ力を尽くすはずである。
また、諸君は、『真理を心に入らせるには、愛徳をもってこれを宣伝しなければならぬ』ということを忘れてはならない。
結論
人物と行動。
諸君は善を行いつつ幸福となるであろう。
それは諸君の義侠心の程度に応じる。
また、諸君は自らを救いつつ、人を救うであろう。
これは諸君の徳行に対して提供さらるる、最もうるわしい報賞である。