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4-14-2 西からきた文物

2023-03-06 09:09:52 | 世界史
『六朝と隋唐帝国 世界の歴史4』社会思想社、1974年
14 大唐の長安
2 西からきた文物

 わが正倉院に「鳥毛立(とりけだち)女屏風(おんなぴようぶ)」(樹下美人図)のあることは有名である。
 樹の下にいる美人は頬紅(ほおべに)をつけ、色こく化粧した顔は一千年あまりたった今日も、ほとんどむかしのままに保存されている。
 目は切れ長で、くちびるはあつく、頬にはふくれが見えるほどふとっている。
 かの楊貴妃も、おそらくこのようなタイプの美人であったろう。またこのように、美人を樹下に配した構図の祖型は、もともと中国のものではない。
 その源流は遠くイラン、あるいはインドにたどることができる。
 このほか正倉院には、さらに遠く西方よりラタダの背に乗って唐へはるばる伝来し、さらに正倉院へはいったと考えられるものが、すくなくない。
 わが国に伝えられたものでさえ、このとおりである。
 まして、その当時の唐において、西方の文化は大きな影響をおよぼしていたのであった。
 太宗の貞観時代に尉遅乙僧(うつちおつそう)という仏画家があった。尉遅という姓はイラン系のものである。
 乙僧は于闐(うてん=コータン)国王から太宗に推薦されてきた。
 その作品は伝わっていないが、いろいろな記録にその画風がしるされている。
 これまでの中国の画法では、凹凸の厚味の感覚を、用筆の微妙な変化であらわした。
 それはきわめて繊細な感覚と熟練を必要とする。
 ところで乙僧の特長は彩色の明暗によって物の凹凸、すなわち厚味や奥行をえがくことである。
 そうした画法はシリアやメソポタミアに起源があり、イランを経由して仏画に取りいれられたのであろう。
 音楽の分野においても、康国楽(こうこくがく)というのはサマルカンドの音楽であり、安国楽はボハラの音楽であり、亀玆(きじ)楽はクチャの音楽である。
 高昌(こうしょう)楽はトルファンの音楽であり、疏勒(そろく)楽はカシュガルの音楽である。
 これらは、かならずしも唐代にはじめて伝わったものではないが、いずれもイラン系の文化をもった国の音楽であった。
 唐代の詩に、「胡音(こおん)」「胡楽(こがく)」という言葉があらわれるが、胡はイラン系文化そのものか、すくなくともイラン系文化がふくまれていることは、まちがいない。
 音楽にともなって、イラン風のダンスもいろいろ伝わっている。そのひとつに、胡旋舞(こせんぶ)があった。
 これはソグド地方の特技で、女子が速く、するどく左旋右転して舞うものである。
 また、わが国の雅楽のなかにある「蘭陵(らんりょう)王」などは、どこまで唐代の舞楽を伝えているかは疑問の点もあるが、その起源がイラン舞楽にあることは、ほぼまちがいのないことであろう。
 そのほかスポーツに波羅(ポロ)があった。打球(だきゅう)とも、撃球(げっきゅう)ともいわれる。
 近代オリンピックにもポロの種目があり、これがイランの国技であることは、よく知られている。
 中国には古くから「鞠球(きくきゅう)」といわれる蹴球(けまり)があり、これと波羅、打球、撃球が混同されていた。
 しかし波羅は単なる蹴球ではなく、馬に乗って球を撃つところに特色があった。
 唐代の書物(封氏聞見記=ふうしぶんけんき)に、唐の太宗が「西蕃の人、このみて打球をなすと聞き、このごろまた習わしむ」ということが見えている。
 また吐蕃(とばん=チベット)が唐の公主(皇帝の娘)をむかえにきたとき、梨園(りえん)で打球を観覧させたところ、吐蕃の使者がじぶんの部下にも打球のうまい者がいるというので、試合をさせた。
 数回おこなったが、すべて吐蕃が勝った。それを見ていたのが、わかき日の玄宗であった。
 そこにいた四人の者と組になって、吐蕃の十人組とたたかった。
 玄宗は縦横無尽の活躍をし、吐蕃の名手も手のほどこしようがなかったという。
 玄宗(六代目皇帝)のほか、穆宗(ぼくそう、十二代)や敬宗(十三代)もポロがすきであった。
 穆宗のごときは、ポロをやりすぎて病気になっている。
 さて長安には、イラン系の文化が流入してきただけではない。
 イラン系の人たちまでが、実際にきていたのである。呑刀(どんとう)・吐火(とか)・縄技(じょうぎ=綱わたり)・竿技(かんぎ=竿の上の曲芸)などの奇術がおこなわれているが、この名手が西域方面からはいりこんでいた。
 また長安の酒家では、胡姫(こき)とよばれるイラン系の女子が、客にサービスをしていた。
 李白の「少年行」という詩に、
  落花踏尽遊何処
  笑入胡姫酒肆中   落花ふみつくしていずれのところにか遊ぶ
  笑って入る胡姫の酒肆(しゅし=酒場)の中

とあり、おなじく李白は「裴(はい)十八図南(となん)の嵩山(すうざん)に帰るを送る」のなかで、
  何処可為別
  長安青綺門 
  胡姫招素手 
  延客酔金樽    いずれのところにか別れをなすべき
  長安の青綺門(せいきもん)
  胡姫(こき)は素手(すで)もて招き
  客をひいて金樽(きんそん=金の酒樽)に酔わしむ

とうたった。また「前有樽酒行」では、つぎのように、うたっている。
  胡姫貎如花
  当壚笑春風   胡姫の貌(かんばせ)は花のごとく
  壚(ろ)にあたって春風に笑う


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