「これ(カトリック教会)こそが真理の泉、これこそが信仰の家、これこそが天主の神殿、もし誰かがここに入らないのなら、あるいは、もし誰かがここから出ていくのなら、彼は命と救いの希望のよそ者となる。願わくは、誰も頑固な論争によって騙されないように。何故なら、ここに命と救いがあり、彼らの利益が、注意深く、熱心に心に秘めておかれない限り、彼らは永遠に破滅するだろう。」(Divin. Inst. IV, 30, 11-12)
ですから、この都市[ローマ]に建てられ、使徒の頭聖ペトロとパウロの血潮によって聖別された使徒座にこそ、そうです、“カトリック教会の基礎にして生みの親”であるこの聖座にこそ、離れた子供たちは戻って来なくてはならないのです。
願わくは彼らが戻って来ることを。しかし、生ける天主の教会、真理の柱であり支えである教会が、信仰の完全性を犠牲にして誤謬を黙認するだろうという考えや期待などを持たずに、かえって反対に、教会の教導職とその統治とに自らを従えるという意向を持って帰って来るように。
教皇ピオ11世 回勅「モルタリウム・アニモス」1928年
ですから、この都市[ローマ]に建てられ、使徒の頭聖ペトロとパウロの血潮によって聖別された使徒座にこそ、そうです、“カトリック教会の基礎にして生みの親”であるこの聖座にこそ、離れた子供たちは戻って来なくてはならないのです。
願わくは彼らが戻って来ることを。しかし、生ける天主の教会、真理の柱であり支えである教会が、信仰の完全性を犠牲にして誤謬を黙認するだろうという考えや期待などを持たずに、かえって反対に、教会の教導職とその統治とに自らを従えるという意向を持って帰って来るように。
教皇ピオ11世 回勅「モルタリウム・アニモス」1928年