聖アポロニオ殉教者 St. Apollonius Mart. 記念日 4月 18日
ローマ皇帝マルコ・アウレリオは聖会に峻烈な迫害を加えた。しかしその死後帝位を継いだ彼の子コモドはキリスト教徒に寛大であったので、聖会も暫く平和を楽しむ事が出来、信者の数も著しく増加し、上流の家庭からも信仰に入る者が少なくなかった。ここに述べる篤学にして容姿端麗な聖アポロニオもその中の一人であった。
彼が最初聖書その他のキリスト教書を手にしたのは、ただ好奇心に駆られた為に過ぎなかった。けれどもその中に燦然と輝いている美しい真理の光は、やがて彼の心を捕らえずにはいなかった。彼はキリスト教の信仰を一層深く極める為に、聖堂に参り、司祭の教えを聞き、それにも増して度々教皇エロイテリオと語り合った。かように徹底的に研究した結果、遂に彼は聖い洗礼を受けて聖会の一員に加わった。そして間もなく立派な言行を以て総ての信者にはキリスト教善徳の鑑となり未信者には信仰への善き指導者となったのである。
コモド皇帝は自らはキリスト教徒に弾圧を加える挙には出なかったもの、キリスト教を憎み嫌う地方の総督者達が、勝手に信者を迫害するのは禁める勇気がなかった。また、誰でもキリスト教信者と名乗る者は、ことごとく死刑に処すべしという歴代皇帝の踏襲してきた法律もまだ撤廃しなかった。唯、いくらかこれを緩和するために別に又一つの法律を設け、キリスト信者を訴え出る者も死刑に処す事あるべしと規定した。コモド皇帝はこうすれば誰もキリスト教徒を訴え出る者はあるまいと思ったのである。然るにある日聖アポロニオが、罪を犯した一人の下男を罰した所、彼は主人を大いに怨み、自分も死刑になってよい、主人も道連れにしてやろうと、アポロニオの信者なる事を官憲へ訴えて出た。為にアポロニオは即刻拘引され、棄教せねば殺す外ないと説き聞かされたのである。その時一人の元老院議員が言った
「私達は皆貴方を尊敬していますから、出来ることならお助けしたいと思います。就いてはどうでしょう、暫くの間表面だけ又昔の信仰に帰ったように、神々の神殿にも参詣し、御供物などもそなえられては・・・?内心では何を信じておいでになってもかまいませんから・・・」
然しかような欺瞞は到底アポロニオの良心の許し得ぬ所であった。彼は断固として宣言した。「法廷に於いてばかりではない、全世界の人々の前に於いても私は声を大にして申し上げます、私は天主の聖子にして我等の救い主、幸福の与え手なるイエズス・キリストを信じます。かく申せば法によって死の与えられる事は十分承知して居ります。けれどもその死こそはむしろ本懐とするところで、主の為に苦しみ、言葉のみならず行いを以て、血を以て、主への信仰を証する事は、既に久しい以前から私の望みであったのです。」
この勇ましい信仰表明の結果、アポロニオは斬罪の宣告を受け、遂に186年4月18日殉教の栄冠を戴いたのであった。
教訓
我等も言葉のみならず行為を以て聖なる生活を以て我等がキリストの僕なる事を世の人々に示さねばならぬ。殊に我等の信仰が表面ばかりの根無し草か、真実心の奥底から生え出たものであるか、明らかになるのは試練の時に於いてである。生命の危うきに臨んでも、なお且つキリストを信じる旨公然断言し得る勇気をそなえてこそ、栄えあるキリスト信者の名に恥じない者と言えよう。
主イエズス・キリスト、
あなたのみ教えに従って、わたしたちが怒りを静め、
憐れみ深くなり、望みを自制し、愛を増し、悲しみを取り除き、
虚栄をすて、恨みを抱くことなく、死も恐れず、
絶えず全能永遠の神に全く信頼する恵みを与えて下さい。
神は、あなたと聖霊とともに世々に生き終わりなく世界を支配しておられます。
聖アポロニオ
ローマ皇帝マルコ・アウレリオは聖会に峻烈な迫害を加えた。しかしその死後帝位を継いだ彼の子コモドはキリスト教徒に寛大であったので、聖会も暫く平和を楽しむ事が出来、信者の数も著しく増加し、上流の家庭からも信仰に入る者が少なくなかった。ここに述べる篤学にして容姿端麗な聖アポロニオもその中の一人であった。
彼が最初聖書その他のキリスト教書を手にしたのは、ただ好奇心に駆られた為に過ぎなかった。けれどもその中に燦然と輝いている美しい真理の光は、やがて彼の心を捕らえずにはいなかった。彼はキリスト教の信仰を一層深く極める為に、聖堂に参り、司祭の教えを聞き、それにも増して度々教皇エロイテリオと語り合った。かように徹底的に研究した結果、遂に彼は聖い洗礼を受けて聖会の一員に加わった。そして間もなく立派な言行を以て総ての信者にはキリスト教善徳の鑑となり未信者には信仰への善き指導者となったのである。
コモド皇帝は自らはキリスト教徒に弾圧を加える挙には出なかったもの、キリスト教を憎み嫌う地方の総督者達が、勝手に信者を迫害するのは禁める勇気がなかった。また、誰でもキリスト教信者と名乗る者は、ことごとく死刑に処すべしという歴代皇帝の踏襲してきた法律もまだ撤廃しなかった。唯、いくらかこれを緩和するために別に又一つの法律を設け、キリスト信者を訴え出る者も死刑に処す事あるべしと規定した。コモド皇帝はこうすれば誰もキリスト教徒を訴え出る者はあるまいと思ったのである。然るにある日聖アポロニオが、罪を犯した一人の下男を罰した所、彼は主人を大いに怨み、自分も死刑になってよい、主人も道連れにしてやろうと、アポロニオの信者なる事を官憲へ訴えて出た。為にアポロニオは即刻拘引され、棄教せねば殺す外ないと説き聞かされたのである。その時一人の元老院議員が言った
「私達は皆貴方を尊敬していますから、出来ることならお助けしたいと思います。就いてはどうでしょう、暫くの間表面だけ又昔の信仰に帰ったように、神々の神殿にも参詣し、御供物などもそなえられては・・・?内心では何を信じておいでになってもかまいませんから・・・」
然しかような欺瞞は到底アポロニオの良心の許し得ぬ所であった。彼は断固として宣言した。「法廷に於いてばかりではない、全世界の人々の前に於いても私は声を大にして申し上げます、私は天主の聖子にして我等の救い主、幸福の与え手なるイエズス・キリストを信じます。かく申せば法によって死の与えられる事は十分承知して居ります。けれどもその死こそはむしろ本懐とするところで、主の為に苦しみ、言葉のみならず行いを以て、血を以て、主への信仰を証する事は、既に久しい以前から私の望みであったのです。」
この勇ましい信仰表明の結果、アポロニオは斬罪の宣告を受け、遂に186年4月18日殉教の栄冠を戴いたのであった。
教訓
我等も言葉のみならず行為を以て聖なる生活を以て我等がキリストの僕なる事を世の人々に示さねばならぬ。殊に我等の信仰が表面ばかりの根無し草か、真実心の奥底から生え出たものであるか、明らかになるのは試練の時に於いてである。生命の危うきに臨んでも、なお且つキリストを信じる旨公然断言し得る勇気をそなえてこそ、栄えあるキリスト信者の名に恥じない者と言えよう。
主イエズス・キリスト、
あなたのみ教えに従って、わたしたちが怒りを静め、
憐れみ深くなり、望みを自制し、愛を増し、悲しみを取り除き、
虚栄をすて、恨みを抱くことなく、死も恐れず、
絶えず全能永遠の神に全く信頼する恵みを与えて下さい。
神は、あなたと聖霊とともに世々に生き終わりなく世界を支配しておられます。
聖アポロニオ