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3-3-6 祖のまつり

2018-07-26 20:21:26 | 世界史
『東洋の古典文明 世界の歴史3』社会思想社、1974年

3 詩経の世界

6 祖のまつり

 世はうつった。もはや歌われるのは、領主の土地の耕作と、その祖先の祭祀であった。

 小雅「信南山」

 つらなる南の山のほとり  むかし禹の治めたところ
 ひらきならした原や隰(さわ)  曾孫(みすえ)こそここに田(はたけ)つくる
 境をくぎり 溝(みぞ)をほり   南に東に畝(うね)つくる。

 おお空に 雲あつまり   雪はしんしんと落ち、
 春は小雨(こさめ)も降りそえば   しめり ゆたかに
 うるおい たりて     わが百穀は生(お)い出(い)でた。

 境も畦(あぜ)も ととのって  黍(きび)も稷(たかきび)もふさふさ茂る
 この曾孫(みすえ)のとりいれで   酒(みき)かもし 飯(いい)かしぎ、
 尸(かたしろ=先祖の扮装をした巫)や賓(まろうど)にすすめれば  いのちは千代(ちよ)に万代(よろずよ)に

 畑にはだいこんが生(な)り   畦(あぜ)には 瓜(うり)が生り
 その皮をむき酢(す)につけて  先祖(みおや)の霊(みたま)に供(そな)うれば、
 曾孫のいのちこそ永く   天の幸(さいわい)をうけたまう。

 清らけき酒(みき)を盛りて    赤牡(あかうし)の牲(にえ)をひきだし
 なき父と先祖(みおや)にささげ   鈴の刀をとりて
 耳の毛をぬき毛色を告げ  剖(さ)いてその血と脂(あぷら)をとる。

 かく供え かくすすめ   香りは高く立ちのぼり
 まつりめでたく整えば   先祖(みおや)こそ おごそかに
 大きな福(さち)を報(むく)いたまい   いのちは永くかぎりなし。

 祭礼のときの祖先の尸(かたしろ)と祝(はふり=神主)との問答や、祭礼の順序をくわしくのべた詩もある。
 また領主が田を見まわるとき、田には監督(かんとく)の者(田畯=でんじゅん)がいて、ひるには農婦たちが食物をはこぶきまなども、うたわれている。
 小雅「甫田(ほでん)」
 曾孫(みすえ)の とりいれは  屋(やね)のごと、梁(はり)のごと、
 曾孫の こめぐらは  陵(つか)のごと、丘のごと、
 されば千の倉を求め  よろずの車を求めよう
 この黍(きび)稷(たかきび)稲(いね)粱(あわ)こそ  農夫のたまもの
 神も大いなる福を報い  いのちは永くかぎりなし。

 こうして収穫がおわる。これらの穀物が、農民や農奴たちを養っていたのであった。
 はるかにつづく大きな田(はたけ)  歳(とし)ごとにかぎりなき実り、
 その古き余りをとって、  わが農夫どもを養おう。

 また、「わが公田に降る雨を、わが私田にも及ぼしたまえ」(小雅「大田」)、とあるのは、領主の田(公田)と、農民の私有の田があったことを示している。
 村落が分解しているさまを、うかがうことができよう。
 このように村落が分解してゆけば、「社」でおこなわれた野外の舞踏よりも、領主の室内の宴楽のほうが重要になってくる。
 そこでは歌合戦によって、つぎつぎに新しい即興の歌をつくる必要はなくなるであろう。
 古くからの、きまった幾つかの歌が、くりかえし歌われれば、ことたりるのである。
 そこから、歌謡の荒廃時代がはじまった。すでに世は、春秋時代である。


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