ミラノの聖ヴェロニカ修道女 St. Veronica a Mediolano V. 記念日 1月14日
聖ヴェロニカは1445年、イタリアのミラノ市の近傍に生まれた。父母は貧しい人々であったが、極めて信心深く、キリスト教信者たるに恥じぬ立派な生活をして善い模範を示し、また熱心に天主の御聖寵を祈り求めつつ、折りに触れて人の踏むべき道を言い聞かせたので、彼女も早くから篤い敬神の念を養われて生い立った。ただそういう殊勝な心根の我が子を貧の為学校に入れる事が出来なかったのは、慈愛深い両親にとって、どれほど苦痛であったであろう!が、それだけにまた彼等は、子供の信心や善徳などの超自然的性能を伸ばすのに、意を注ぎ力を尽くしたのであった。そしてこれらの事こそ人間最終の目的であって、現世の最高の学問よりも一層倍貴いか解らないのである。
かくてヴェロニカは信仰深い父母の薫陶を受けて早くも妙齢を迎えたが、いよいよ熱心に、両親の据えてくれた敬虔の礎石の上に、立派な善徳を築こうと努めた。彼女は祈りを殊の外好み、また祈っている間に度々、自然の研究だけでは決して得られないような超自然的智慧を天主から授けられた。然し彼女は暇さえあれば祈りに赴いたものの、その為家での義務やまた女中として働きに行った先の義務を怠るような事はなかった。何事をも良心的にするというのが彼女の性格の根元的な特徴であった。長上に対しては従順で恭しく、同輩に対しては親切で愛深かったが、彼女が何よりも好んだのは、独りで誰にも邪魔されず心ゆくまで天主と語らう事であった。かように彼女は祈りと黙想とに依り常々心を天主に献げたから、この世の物事に絆されて天主や天上の事を忘れる懼れは全くなかった。
遂にヴェロニカは世間を退いてミラノにあるアウグスチノ修道女会の修道院に入る事を願った。然し読み書きが出来ない為その時は入会を許されなかったが、彼女は少しもそれに落胆する事なく、それからは余暇を以て勉学に当て、孜々として励んだ結果、間もなく入会に差し支えないだけの学力を得る事が出来た。かくて遂に修道服を身につけることを許された、彼女の喜びは如何ばかりであったろう!けれども彼女はやがて重い十字架を担わねばならなかった。というのは3年間も極めて苦しい病に罹ったことである。それでも彼女は決して修道女としての日々の義務を休まず、あくまで良心の命ずる通り完全に果たすのであった。そして或る時人に「貴方は弱いのですから、もっと身体をいたわらなくては」と忠告されると、「いいえ、私は働ける間に十分働いておかなければなりません」と答えたそうである。
彼女は修院内の最も賤しい仕事を最も好み、自分は姉妹達の一番低い召使いであるといつでも考え、従順に謙遜に、愛深く謹み深く、全く人目に立たずその日その日を送った。また彼女は心が清浄そのものであったにも拘わらず、激しい苦行をして身を懲らしめた。というのは徳の高い、欠点のない霊魂は甘やかされた柔弱な肉体には宿らないという事をよく知っていたからである。そして総ての人を愛し総ての人に愛されつつ、この神の婢が永遠の報いを受くべくこの世を去ったのは、1497年のことであった。
教訓
聖ヴェロニカはその生涯に、他人の真似出来ないような偉大な事は何もしなかった。然し、彼女を聖ならしめたものは、日々の義務を誠実に果たすという事であった。我等も彼女に倣おう!そして毎日の義務を出来るだけ完全に成し遂げよう。そうすれば我等も必ず天国に入る事が出来るに相違ないのである。
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聖ヴェロニカは1445年、イタリアのミラノ市の近傍に生まれた。父母は貧しい人々であったが、極めて信心深く、キリスト教信者たるに恥じぬ立派な生活をして善い模範を示し、また熱心に天主の御聖寵を祈り求めつつ、折りに触れて人の踏むべき道を言い聞かせたので、彼女も早くから篤い敬神の念を養われて生い立った。ただそういう殊勝な心根の我が子を貧の為学校に入れる事が出来なかったのは、慈愛深い両親にとって、どれほど苦痛であったであろう!が、それだけにまた彼等は、子供の信心や善徳などの超自然的性能を伸ばすのに、意を注ぎ力を尽くしたのであった。そしてこれらの事こそ人間最終の目的であって、現世の最高の学問よりも一層倍貴いか解らないのである。
かくてヴェロニカは信仰深い父母の薫陶を受けて早くも妙齢を迎えたが、いよいよ熱心に、両親の据えてくれた敬虔の礎石の上に、立派な善徳を築こうと努めた。彼女は祈りを殊の外好み、また祈っている間に度々、自然の研究だけでは決して得られないような超自然的智慧を天主から授けられた。然し彼女は暇さえあれば祈りに赴いたものの、その為家での義務やまた女中として働きに行った先の義務を怠るような事はなかった。何事をも良心的にするというのが彼女の性格の根元的な特徴であった。長上に対しては従順で恭しく、同輩に対しては親切で愛深かったが、彼女が何よりも好んだのは、独りで誰にも邪魔されず心ゆくまで天主と語らう事であった。かように彼女は祈りと黙想とに依り常々心を天主に献げたから、この世の物事に絆されて天主や天上の事を忘れる懼れは全くなかった。
遂にヴェロニカは世間を退いてミラノにあるアウグスチノ修道女会の修道院に入る事を願った。然し読み書きが出来ない為その時は入会を許されなかったが、彼女は少しもそれに落胆する事なく、それからは余暇を以て勉学に当て、孜々として励んだ結果、間もなく入会に差し支えないだけの学力を得る事が出来た。かくて遂に修道服を身につけることを許された、彼女の喜びは如何ばかりであったろう!けれども彼女はやがて重い十字架を担わねばならなかった。というのは3年間も極めて苦しい病に罹ったことである。それでも彼女は決して修道女としての日々の義務を休まず、あくまで良心の命ずる通り完全に果たすのであった。そして或る時人に「貴方は弱いのですから、もっと身体をいたわらなくては」と忠告されると、「いいえ、私は働ける間に十分働いておかなければなりません」と答えたそうである。
彼女は修院内の最も賤しい仕事を最も好み、自分は姉妹達の一番低い召使いであるといつでも考え、従順に謙遜に、愛深く謹み深く、全く人目に立たずその日その日を送った。また彼女は心が清浄そのものであったにも拘わらず、激しい苦行をして身を懲らしめた。というのは徳の高い、欠点のない霊魂は甘やかされた柔弱な肉体には宿らないという事をよく知っていたからである。そして総ての人を愛し総ての人に愛されつつ、この神の婢が永遠の報いを受くべくこの世を去ったのは、1497年のことであった。
教訓
聖ヴェロニカはその生涯に、他人の真似出来ないような偉大な事は何もしなかった。然し、彼女を聖ならしめたものは、日々の義務を誠実に果たすという事であった。我等も彼女に倣おう!そして毎日の義務を出来るだけ完全に成し遂げよう。そうすれば我等も必ず天国に入る事が出来るに相違ないのである。
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