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1914年の黙想 聖マキシミリアノ・コルベ

2023-02-26 03:22:54 | 格言・みことば
1914年の黙想

1914年10月23-30日 ローマにて

〔心構え〕

「完全に入れ、一人になれ、生まれ変わって出よ」

 何の目的でお前は修道会に入ったか?神のみ旨を果たすために。できるだけ超自然的な現実(恩恵)と神聖なもの〔秘跡〕を利用せよ。

 自然的なものは必要な範囲で用うべし。

 従順はお前にとって非常に有益である。

 罪びとは全世界に混乱をもたらす。

 修道者の罪は一般の人々の罪よりもイエズスを悲しませる。なぜなら、修道者には罪を犯す機会がなく、罪に対抗できるための光と、内的エネルギーの泉を豊かに与えられているからである。

 光:神のみ旨をみきわめるため お前が今していることを静かに考えてみよ。そして、他の人を通じて示される神のみ旨から利益を引き出せ"長上や、兄弟たちあるいは他の人々の言葉による意志表示、模範によって示されるもの、または理解できるものなどでーもしくは、お前自身を通じて(啓示されたもの)によってーお前の意志(よきインスピレーション)によってすべての被造物の中に神を認めよ。

 常に神の声に注意を払え。

 内的エネルギー:祈れ

1、共同の祈りと少量の個人的祈り(晩の休憩から朝食まで)

2、あらゆる困難にぶつかったとき

「マリア」(うんと働け、なぜなら、お前が知っていることは、ほんとにわずかなのだし、ばらばらにこれはこうと知っているにすぎない)"

 お前の生まれつきの障害のために、話が下手だし、少ししか本を読んでいない。霊的読書:キリストの教えは聖人たちの教えに、はるかにまさる。平和の内に耳をかたむけ、聖書の教えを実現するに当っては、ためらってはならない。(聖福音を読む時、食堂の朗読の時、聖務日祷の時、イミタチオ・クリスチの読書の時〉。

 神の外、神に仕えること以外はすべて空である。

 黙想:誘惑(罪)は妨げである。謙虚さと信頼にみちた祈りで闘うこと。

(「マリア」)

 一度過ちを犯したからとて落胆するな。なぜなら、落胆することは、罪を犯すことそのものより神のお気に召さないことだからー反対に、罪に落ち入る以前にもまして、大きな恩恵を期待せよ。

 小さなことに忠実であれ、なぜなら小さなことをないがしろにすること(守らないこと)または、あいまいにすることは、再び立ち上がることが困難な冷淡さにお前を導くからである。

 人間の批判を気にするな、なぜならばー

1、神が汚れなき聖母のみ手を通じてお許しにも、お与えにもならないかぎり人関は何もできないのだから。

2、人々がお前を批判するということはお前が大物であるということだ。

〔黙想〕

1、神にのみ信頼せよ(告解、聖体拝領、聖体訪問、聖務日祷、その他の祈りにおいて)そして汚れなき聖母にも、そこに光と力を見い出せ。

2、仕事の前には"「マリア」(仕事を愛をもって果たせるように)。

3、できることをし、できないことだけに他の人々の助けを求めよ。

〔読書〕

1、なにごともすぐ信じるな、聞いたことをすぐ猛すな。

2、問題がある時にあわてるな。

 謙虚であるほど賢明である。

 黙想"その生活ぶりの死がおとずれる。

死への準備"お前は死ぬだろう。

良心の糾明

1、毎週の告解前、つまり最後にした告解以来、毎日の聖体拝領をするには、一つの大罪でも隠すことは不可能である。

2、特別糾明"とりわけ「マリア」の射祷をよくとなえたかを考えよーそれでも良くなることが難しいなら、他の考えられる原因を追及せよ。

 目覚めよ"開始せよ!そして常に開始せよ!”

聖マキシミリアノ・コルベ

(注)この黙想会の指導司祭は、コンベンツァル会のトマスロリ師。ローマの十二使徒大聖堂主任司祭。






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