数寄屋橋マリオンで、楽しみのイタリア映画祭の一作を見て来た。
昨年(2015)の新作、12編をまとめたイタリア映画祭だ。なかなか日本では見られないイタリアの作品で、ピアでのネット販売の日時をメモしておいて、時間になったらすぐに応募する。今年は、幸運にも、F18の一番いい席。
昨年までの流れで、今年も喜劇を選んだ。これまで、喜劇は最終的には喜悲劇の終わるものが多かったが、今年の作品は、最初から最後まで喜劇だ。喜悲劇とは、喜劇で笑って見ているが、最後まで見終わると、心に深いペーソスを感じさせるもの。でも今年の映画は違った。純粋に喜劇で、ペーソスは全く感じなかった。
観てきたのは、「俺たちとジュリア」。原題は、Noi e la Giulia。監督はレオ。

<俺たちとジュリア>
主人公は、車のセールスマンで客との応対に辟易しているディエゴ、長い歴史を待ったデリカテッセンをつぶしたクラウディオ、TV通販の司会者、日本でいえばタカタの通販の宣伝屋のファウストの三人。この三人とも落ちこぼれ者。それに加わった元共産党員のセルジオ、おなかに子供を宿したエリーザの5人。さらに、カモッラ(マフィア)の中間管理者のヴィトが加わったコメディ。
役者のほかに大切な主役がいる。それはアルファロメオ ジュリア1300という1977年まで作られた車。35年以上も経ったポンコツ車。
5人で、廃屋の農家をリノヴェートして、ホテルを作るろうと力を合わせる。そこに「ジュリア」に乗ったカモッラ(ナポリのマフィア)の中間管理者のヴィトが現れる。やくざとして、みかじめ料を要求して乗り込んだのだが、セルジオの腕力に負けて地下室の閉じ込められてしまう。ヴィトが来たことを隠すには、「ジュリア」を何とかしなくてはならない。そこで「ジュリア」を、建物の前のプール予定地の穴に埋め込む。

<アルファロメオ ジュリア>
これが、喜劇の大きな仕掛け。「ジュリア」はポンコツで、カセットデッキの調子が悪い。が、バッテリーは新品だった。ヴィトはステレオのコンソールをひっぱたいて、それを黙らせていたのだが、他の仲間はそれを知らない。車のキーをつけたまま、穴に埋めてしまう。
カモッラの組織の中で嫌気がさしていたヴィトは、5人組と仲間になって生きようと考える。ヴィトは知恵者だ。
レストランを開業すると客が来た。庭の地中からクラシックの大音響がきこえる。「ジュリア」のカセットが、自動的に回り始めたのだ。客は驚き、感心し、喜んで友達たちにそのホテルを紹介した。客はどんどん増えて、ホテルは大繁盛。地中からのクラシックは鳴ったり、時には鳴らなかったりして、摩訶不思議な感じが魅力になって、客に受けだ。
そこに、カモッラの重役がやってきて彼らを脅した。彼らは、今度は逃れられないと、金を持って逃げ出すことを決めた。だが荒野の真ん中から逃げる手段はない。そこで、土の中から「ジュリア」を掘り出して、元の5人で逃げ出す。ヴィトは残った。
ハンドルを持っていたディエゴは、いまさら元の生活には戻れないと、運転していた「ジュリア」に急ブレーキ。逃げるのは止めよう、あのホテル、自分たちの生きがいを大切にしようと皆に宣言する。心の中に、今の生活を楽しんでいる自分がいたから、皆で留まろうと決心した。
映画は終わる。余韻として、カモッラのことも含めて、前向きにやって行こうという空気が暗示される。
この映画には、笑わされた。楽しかった。特にアルファロメオの「ジュリア」の役割が大役を果たした。監督は良く考えたものだとマリオンを出てきた。

<スポンサー>
イタリア映画祭、もう6年ぐらい連続してみているが、どうも観客の数が減ってきているように思えてならない。この映画の乗客は、定員の7割ぐらいだったか。昔と比べると、信じられないくらいスッカスカ。毎年、楽しみにしていたスポンサーのフェラガモのリーフレットの質も下がったようだ。それに、昨年、一人500gのスパゲッティを呉れた、バリッラもスポンサーから降りたようだ。残念。
バカ受けするアメリカ映画に比べて、ちょっと地味な、しかし人間を、人間の心情を丹念に描いているイタリア映画を、もっと多くの日本の人に見てもらいたいと思う。

<東急プラザ 銀座>
ゴールデンウイークの晴れあがった五月の空に、寄屋橋のTOUKYU PLAZA GINZAに観光客があふれていた。売りの切子ガラスはあまりにも威圧的だった。
築地の方まで足を伸ばしたが、新しい良い店は発見できなかった。ビストロで、まずい鰯のマリネと、まずい蛸のサラダを、うまいピノグリッジョで飲込んで、早々に店を出た。

<アストンマーチン>
銀座には、何千万もするアストンマーチンが止まっていたりする。チャンスはそうないから、一枚撮って置いた。
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