TNTについて書いておこうと思う。TNTといっても、あの爆薬の原料のトリニトロトルエンのことではない。古い友達、3人会の略称だ。Tは高○、Nは沼○、最後のTは僕の名字を取って、語呂がいいから使っている。

<古い写真1957>
3年ぶりに、一番古い友達(小学5年から:63年前)と、二番目に古い友達(高校1年から:58年前)の三人、つまりTNTの会合を持とうと、今年の5月から計画していたが、Tが現役バリバリのインテリア・デザイナーで、仕事で日本中を駆け回っている。だから、彼のスケジュールを確定するのが難しく、延び延びになったので、エイヤっと僕とNが決めた。Tには時間が出来たら、顔を見せてくれというスタンスでNと会った。

<ハチ公>
渋谷のハチ公で待ち合わせた。Nとは時間通り会えたが、20分ほどTを待ったが現れないので行きつけのドイツレストランに入った。Tには店の名前と、場所を知らせていたから、その気になったら来るだろうと…。

<グリル>
実はこの二人とは、かなりの偶然が働いて、音信不通から再会することになった。僕は高校を転校している。親父の都合だ。TとNとは、前の高校の2年1学期で別れた仲だった。それを、奇妙な偶然が僕たちを引き合わせてくれた。
Tとは、僕が大学生のころ付き合っていたP子が絡んだ再会だった。その子とは結果的には別れたのだが、彼女は、僕のアルバイト先で広報を担当していたM美術大学を出たグラフィックデザイナーだった。
その頃、日宣美(日本宣伝美術協会)が元気なころで、若いグラフィックデザイナーの登竜門だった。ここで大賞を取ると、就職は保障されていた。この奨励賞を取った横尾忠則は、グラフィックデザイナーとして、日本のグラフィックデザインの元祖だったと言ってもいいと思う。
Tは千葉大生のころ、この日宣美で大賞を取って、デザイナーの若手のホープと見込まれて高島屋の宣伝部に入った。そして、それを僕に教えてくれたのがP子だった。彼女も、翌年、日宣美で大賞を取り有名になった。ある日、日宣美の画集を僕に見せてくれた。そこで、Tが日宣美の受賞者だと知った。僕は高島屋の宣伝部に電話して、Tの存在を確認した。そして、高島屋で7年ぶりに彼と会った。昔は、僕より背が高かったTだが、会ったときは僕の目線の下にいた。びっくりした。
Nとの再会も、偶然に助けられたものだ。彼は、和歌山大学を卒業して、NECに入っていた。それを僕は知らなかった。偶然がぼくたちの再会を演出してくれた。僕は、I社のアプリケーション・システム開発担当をしていた。I社の製造部門のアプリケーション・システムのほとんどを手掛けるという幸運にめぐまれた。
その頃、MRP(Material Resource Planning)とか、CIM(Computer Aided Manufactureing)
という言葉が流行り出したころで、単なる概念ではなく、システムを作って運用していたI社の実例は、その頃の生産技術研究学会のいいネタになっていた。上智大の荒木先生、早稲田の中根先生などに誘われて、僕も何度か講演会に呼び出されていた。

<シンポジューム>
そして1991年に、上智の荒木先生によばれて「戦略的CIM構築シンポジューム」で講演することになった。Nは、僕にとっては競合関係のNECでロジスティック関連の営業技師長をやっていた。そして、彼が偶然見た、シンポジュームのポスターに、ユニークな僕の名前を講演者として見つけて、「こいつ知っている」と連絡してきてくれた。僕の名前は、どうも、日本に一人しかいないようだ。ポスターが、そして僕の名前のユニークさが鍵となって、再会が実現したのだ。
この前は、横浜のイタリアンレストランだったから、今回はTが現れやすいようにと、彼の会社の近くの渋谷に計画した。しかし、Tは現れないので、Nと二人で食事を始めた。彼は、何でも…と僕にメニュー選びを任せてくれたから、このグリルには10回以上来ている「僕のおすすめ」を注文した。この店の売りは、ドイツのハンブルグで始まったドイツ風のハンブルグステーキだけど、そんなもの子供の食べるものだと考えていたので、メインは、いつものようにアイスバインを選んだ。そして、前菜は、ニシンの酢漬け、サラダは、詰め物がされているホールトマトにした。これがこの店での定番の注文だ。

<アイスバイン>
話は、再会のいきさつから、彼の接待費で高級なエスカイヤークラブで再会を祝したこと、Tのこと、そして岡山の高校の様子、かれの実家のことなど話は次々と飛んで、楽しい時間がすっ飛んで行く。僕の方は、カスケットリスト(棺桶リスト)を作って、くたばる前に会いたい人に会ったり、行ってみたい場所に旅したりと、たわいのない話で時が過ぎる。
Tは結局、現れなかった。70歳過ぎてもまだ、バリバリの現役のインテリア・デザイナーをやっているから、時間が取れないのだろう。仕方ないと、河岸を変えた。近くのホテルで高いコーヒーを飲みながら、静かに話すことが出来た。野郎のことだから、政治の話だとか、今はじめている趣味の話だとか、話は尽きない。
今度はやはり3人で会おうと、帰宅ラッシュが始まる前の渋谷で、握手をしてNと別れた。本当に「今度」があるかどうかは、神様次第だ。
次の日に、Tから、「突然の出張で…」とメールが来た。まあ、仕方がないか。でも今度があってもいいでしょう、神様!
<ハチ公の写真は、flicrからWally Gobetzさんの“Hachiko”をお借りしました>
