新型コロナの症状の話ではない。
最近、まあ数年と言うか、もっと長い間かもしれないが、食べ物の味や、香りがなくなってきた気がする。
一番感じるのは、果物・野菜だ。トマト、キュウリ、りんご、ピーマンとか、本来の味はどんどん失われていると思う。
最近、特に感じることがあったので、それを述べてみる。先日、ヨーグルトで有名なMJ社の「お客様係」と話す機会があった。このヨーグルトの箱には 「ヨーグルトの本場、ブルガリアで育まれた風味、製法を大切にして作る、日本で最も歴史ある正統派のプレーンヨーグルトです」 とある。
<ヨーグルトの説明文>
しかし この数年、もう5年以上になるかもしれないけれど、このヨーグルトの味はどんどん変わってきていると感じている。もともとは、ヨーグルト独特の酸っぱさを補完するために、小さな袋で砂糖をいっしょに梱包したパッケージで売っていた。 そのうちに、砂糖をなくして、ヨーグルトそのものが酸っぱくなくなってきた。まあ許される範囲かと思って我慢をしていたけれど、最近とみに酸っぱさが無くなった。最近のヨーグルトは、本来の味がしない。甘ったるく、しかも水っぽい(ホエーが多い)ヨーグルトになってきたと思って、MJ社のお客様係にメールを送った。
ヨーロッパで食べるヨーグルトは、プレーンヨーグルトでも、深みのある酸っぱい物が多い。調味料として使っている国があるくらいの味の濃さがあるが、日本のヨーグルトは、おしなべて味が薄く、甘くなってきている。これは 代表的なMJ社のヨーグルトだけではなく、競争相手である MN社やY社などの味も、その傾向にどんどん向かっているようだ。
<ベンチマークのヨーグルト>
その傾向に向かっているのは昔からのユーザーとしては、不満だということをお客様係に述べると、彼女は酸っぱさを無くして子供たちにも食べてもらえるように努力して味を変えてきたという。それでは、日本のヨーグルトのベンチマークとなっている御社としての位置づけから見れば、問題だと思うので賛成できないと話した。御社を追いかける競合他社も同じ傾向に向かっている。これでは、日本の全てのヨーグルトが、本来の味を失っていくことになると言った。
彼女は、製品開発の人たちに、こうした意見があったということを伝えますということで終わった。応対としては決して悪いものではなかったが、僕には内容的に非常に残念な感じが残っている。なぜかと言うと、子供達に味を教える時、今のプレーンヨーグルトがヨーグルトの味だと、大人たち、親たちは教えるのだろうか。それは間違っていないのだろうか。僕は、ヨーグルトはヨーグルト本来の味と風味をもっているものを、子どもたちにも知ってもらいたいと思う。
日本ではおいしいと表現するとき、必ずつく形容詞が二つある。一つは「甘くて美味しい 」、二つ目は「柔らかくて美味しい」という。でも、これは何か間違っているのではないかと思う。
これは単にヨーグルトだけの話ではない。もう一つ具体的な例を挙げてみると、僕が残念だと思っているのは、リンゴの紅玉という種類が消えてしまったことだ。本来、紅玉はリンゴの中では、酸っぱさがあって、甘さと酸っぱさのバランスがとてもいいのが良さで紅玉の売りだったはずだ。しかし、お客が酸っぱいということを嫌がると考えた生産者は、その後どんどんリンゴを改良して、りんごを美しく見せ、さらに甘くし、さらに大きくするという努力をして現在に至っている。
<紅玉>
大型としては、ふじとか、サンふじとか、大きくて甘く、見栄えが良い林檎だけになってきた。昔は、あまり好きでなかったけど国光とか噛み付くとガリッと音がするような硬い林檎や、あと名前は忘れたけどデリシャスとかという林檎があったはずだ。こうした傾向は何を意味するのだろう。やはり林檎という本来の味を、子供たちに与えないということを結果として、やっているのではないだろうか。子供達には本来の味と香りをちゃんと伝えるのが、大人の責任ではないかなと思う。
<ふじ>
冒頭のことを少し説明すると、トマトもそういう傾向だ。トマトもトマトの青臭いにおいがするトマトは無くなった。
イチゴも同じことだ。今、イチゴで僕が食べられると思っているのは、断然トチオトメだ。その後、トチオトメを追いかけて、色々なメーカーや生産地が、競って赤くて大きくて、見栄えのいいイチゴを追い求めてきた。
その結果、柔らかくて甘いだけのおいしくないイチゴたちが蔓延してしまった。これは生産者としても問題だと思う。輸送中に、柔らかくしたばかりに、形がつぶれて商品にならないと思われるものが結構あるからだ。だから、酸っぱさと甘さの他に、あるレベルの硬さも、商品として必要なわけだ。しかし、見栄えと、甘さと、大きさ競って、本当のイチゴの味を子供達に忘れさせてしまてっている現状がある。
このままでいくと何が起きるかと考えると、前にも言った「甘くて美味しい」、「 柔らかくて美味しい」というのが、美味しい味の定義になってきて、香りとか独特の味とか、そういう独自性なあるものは排除され、日本人はそうした味を失っていくという道をたどるのではないだろうか。まあ言えば、一般的な貧弱な味に向かい、味音痴になっていくのかもしれない。
話が変わるが、日本のフランスパンの味もどんどん変わってきたと思っている。僕はフランスにいたことがあるが、フランスのバゲットは、日本にはもうなくなったといってもいい。
比較的良心的だと思って、僕が付き合ってきたパン屋さんも、ご多聞に漏れず、なかがフワフワで、甘さが少しあって、モチモチ感がパンの売れ筋だということに合わせて、パリとした、中もドライなフランスパンは、フォションでも見かけなくなった。 ここでも、店の店長や日本の本社とやり取りをしたが、彼らは売り上げが大切だから、昔の味には戻れないと抵抗があった。最後に残ったのは バゲット・オリジナルという名前で、従来に似たパンを残した。だいたいフランスパンは、モチモチしてるものではないはずだ。
<バゲット>
残念ながら、日本人の味の水準がここまで落ちているということだろう。残念なことだと思う。こんなことを、子どもたちに伝えていって、本当にいいのだろうかと思う昨今だ。