M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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最近、味がなくなってきた

2020-08-23 | エッセイ

 新型コロナの症状の話ではない。

 最近、まあ数年と言うか、もっと長い間かもしれないが、食べ物の味や、香りがなくなってきた気がする。

 一番感じるのは、果物・野菜だ。トマト、キュウリ、りんご、ピーマンとか、本来の味はどんどん失われていると思う。

 最近、特に感じることがあったので、それを述べてみる。先日、ヨーグルトで有名なMJ社の「お客様係」と話す機会があった。このヨーグルトの箱には 「ヨーグルトの本場、ブルガリアで育まれた風味、製法を大切にして作る、日本で最も歴史ある正統派のプレーンヨーグルトです」 とある。

<ヨーグルトの説明文>

 しかし この数年、もう5年以上になるかもしれないけれど、このヨーグルトの味はどんどん変わってきていると感じている。もともとは、ヨーグルト独特の酸っぱさを補完するために、小さな袋で砂糖をいっしょに梱包したパッケージで売っていた。 そのうちに、砂糖をなくして、ヨーグルトそのものが酸っぱくなくなってきた。まあ許される範囲かと思って我慢をしていたけれど、最近とみに酸っぱさが無くなった。最近のヨーグルトは、本来の味がしない。甘ったるく、しかも水っぽい(ホエーが多い)ヨーグルトになってきたと思って、MJ社のお客様係にメールを送った。

 ヨーロッパで食べるヨーグルトは、プレーンヨーグルトでも、深みのある酸っぱい物が多い。調味料として使っている国があるくらいの味の濃さがあるが、日本のヨーグルトは、おしなべて味が薄く、甘くなってきている。これは 代表的なMJ社のヨーグルトだけではなく、競争相手である MN社やY社などの味も、その傾向にどんどん向かっているようだ。

<ベンチマークのヨーグルト>

 その傾向に向かっているのは昔からのユーザーとしては、不満だということをお客様係に述べると、彼女は酸っぱさを無くして子供たちにも食べてもらえるように努力して味を変えてきたという。それでは、日本のヨーグルトのベンチマークとなっている御社としての位置づけから見れば、問題だと思うので賛成できないと話した。御社を追いかける競合他社も同じ傾向に向かっている。これでは、日本の全てのヨーグルトが、本来の味を失っていくことになると言った。

 彼女は、製品開発の人たちに、こうした意見があったということを伝えますということで終わった。応対としては決して悪いものではなかったが、僕には内容的に非常に残念な感じが残っている。なぜかと言うと、子供達に味を教える時、今のプレーンヨーグルトがヨーグルトの味だと、大人たち、親たちは教えるのだろうか。それは間違っていないのだろうか。僕は、ヨーグルトはヨーグルト本来の味と風味をもっているものを、子どもたちにも知ってもらいたいと思う。

 日本ではおいしいと表現するとき、必ずつく形容詞が二つある。一つは「甘くて美味しい 」、二つ目は「柔らかくて美味しい」という。でも、これは何か間違っているのではないかと思う。

 これは単にヨーグルトだけの話ではない。もう一つ具体的な例を挙げてみると、僕が残念だと思っているのは、リンゴの紅玉という種類が消えてしまったことだ。本来、紅玉はリンゴの中では、酸っぱさがあって、甘さと酸っぱさのバランスがとてもいいのが良さで紅玉の売りだったはずだ。しかし、お客が酸っぱいということを嫌がると考えた生産者は、その後どんどんリンゴを改良して、りんごを美しく見せ、さらに甘くし、さらに大きくするという努力をして現在に至っている。

<紅玉>

  大型としては、ふじとか、サンふじとか、大きくて甘く、見栄えが良い林檎だけになってきた。昔は、あまり好きでなかったけど国光とか噛み付くとガリッと音がするような硬い林檎や、あと名前は忘れたけどデリシャスとかという林檎があったはずだ。こうした傾向は何を意味するのだろう。やはり林檎という本来の味を、子供たちに与えないということを結果として、やっているのではないだろうか。子供達には本来の味と香りをちゃんと伝えるのが、大人の責任ではないかなと思う。

<ふじ>

 冒頭のことを少し説明すると、トマトもそういう傾向だ。トマトもトマトの青臭いにおいがするトマトは無くなった。

 イチゴも同じことだ。今、イチゴで僕が食べられると思っているのは、断然トチオトメだ。その後、トチオトメを追いかけて、色々なメーカーや生産地が、競って赤くて大きくて、見栄えのいいイチゴを追い求めてきた。

 その結果、柔らかくて甘いだけのおいしくないイチゴたちが蔓延してしまった。これは生産者としても問題だと思う。輸送中に、柔らかくしたばかりに、形がつぶれて商品にならないと思われるものが結構あるからだ。だから、酸っぱさと甘さの他に、あるレベルの硬さも、商品として必要なわけだ。しかし、見栄えと、甘さと、大きさ競って、本当のイチゴの味を子供達に忘れさせてしまてっている現状がある。

 このままでいくと何が起きるかと考えると、前にも言った「甘くて美味しい」、「 柔らかくて美味しい」というのが、美味しい味の定義になってきて、香りとか独特の味とか、そういう独自性なあるものは排除され、日本人はそうした味を失っていくという道をたどるのではないだろうか。まあ言えば、一般的な貧弱な味に向かい、味音痴になっていくのかもしれない。

 話が変わるが、日本のフランスパンの味もどんどん変わってきたと思っている。僕はフランスにいたことがあるが、フランスのバゲットは、日本にはもうなくなったといってもいい。

 比較的良心的だと思って、僕が付き合ってきたパン屋さんも、ご多聞に漏れず、なかがフワフワで、甘さが少しあって、モチモチ感がパンの売れ筋だということに合わせて、パリとした、中もドライなフランスパンは、フォションでも見かけなくなった。 ここでも、店の店長や日本の本社とやり取りをしたが、彼らは売り上げが大切だから、昔の味には戻れないと抵抗があった。最後に残ったのは バゲット・オリジナルという名前で、従来に似たパンを残した。だいたいフランスパンは、モチモチしてるものではないはずだ。

<バゲット>

 残念ながら、日本人の味の水準がここまで落ちているということだろう。残念なことだと思う。こんなことを、子どもたちに伝えていって、本当にいいのだろうかと思う昨今だ。


コロナと5か月  

2020-08-09 | エッセイ

 7月が終わって、これまでのカレンダーを振り返ってみると、今年はコロナ騒ぎで、全く何もやってないということがよくわかった。

 やりたくないからやっていないわけではなくて、やりたくてもやれないことばかリが続いているわけだ。例えば3月から4月への桜の花見、残念ながら例年の花見は出来なかったし、その帰りの大戸屋での鯖定食も食わずに終わった。

<去年の(2019)の桜>

 4月になると、本当だったら、毎年上野の都美術館にモダンアート展をたずねて、初恋の人の絵を見るという楽しみがあったのだが、今年は展覧会が中止となって、それも無くなってしまった。上野に行くと、僕の決まりなのだが、帰りには浅草に行って、古くからの飲み屋の女将さんを冷やかすか、もしくは、生まれ故郷の谷中銀座に降りて、古くからの親しい店達を懐かしんでみたりするのだが、今年はそれもなかった。

<谷中銀座:谷中銀座商店街HPより借用>

 5月になると、毎年数寄屋橋のマリオンで行われるイタリア映画祭を、この何十年、必ず見ていた。日本未公開のイタリア悲喜劇を見るということをやってきたが、残念ながら今年は、この映画祭も中止になってしまった。したがって、そのあとの銀座をのんびり歩くとか、昼間から酒を飲むとかの楽しみは持てなかった。

<イタリア映画祭中止の知らせ:イタリア映画祭HPより作用>

 4月から5月にかけては、例年、横浜にある二つの大学の公開講座を受け始めるのが習わしだった。昨年のカレンダーを見ると、横浜市立大学と関東学院大学の公開講座を受けていたようだ。楽しかった授業も取り上げられて、ステイホームの生活になってしまっている。

<大学の公開講座 2019>

  そういえば、大学からの同期三人組の会合も、今年はモテそうもない。これからも期待できない。お互いにもう年だから、くたばるのだからやはりやっておこうと思っているのだが、コロナはそれを許してくれないようだ。もっと言えば、春には2、3泊の小さな旅行をすることがイベントだったけれど、それも今年はできず、欲求不満が溜まっていく。あーつまらない日々がすぎるなあという感じだ。

 日常生活では週に二回、食料品を中心とする買い物に出かけ、すぐ帰ってくる。ほんとうだったら、その帰りに、どこかによってうまいアイスクリームでもナメていたのだが、それもできない。

 変な話だけれど 僕は心臓君に病気を持っているので、お医者さんに二月に一回は、でかけて定期検診を受けている。しかし、この頃はテレワーク診療ということになっていて、先生にも、看護師さんにも、顔を合わすことはなくなってしまった。まあ薬だけは貰っているだけで、幸せなのかもしれない。病院には行きたくないというのが本当の気持ちなのだが、時には元町まで出かけることは大切な時間の過ごし方だったのだなあと振り返ったりする。

<テレワーク診療:日経新聞より借用>

 帰りにフォションのパンを買いに行くのが習わしだったが、それもなくなってしまった。やはり、RFのお惣菜ぐらいは食べたいものだ、なんて思う。もうこれからはそういう機会はできないのかなあと思っている。でも作らなくちゃなーとも思っている。

 今年、前半7月まで楽しかったことは、僕の娘が誕生日を迎えたことだ。毎年、誕生日には彼女の家族4人用に、僕に言わせれば高級なステーキを買って、送るのが習わしになっている。今回も東京・江戸川区の牛肉専門店に頼んで、何年も続いている恒例のステーキを4枚送ることにした。こんな高級な肉は自分では食わないのだが、今回は気晴らしも兼ねて食べてみようということにして、自分用も買って焼いて食べてみた。

<赤身ランプ肉>

 赤身のランプ肉のステーキだ。250gはあるから、十二分の量になったようで、子供たちも、孫たちも喜んでくれたと知らせてきた。嬉しかった。

<金沢動物公園:HPより借用>

 この夏は、特にやる予定はない。動物公園に行きたいという希望はあるが、実現できるかどうかわからない。もう一つの目論んでいることは、上野の美術館に一度行ってみたいとは思っている。しかし上野までだが、電車に乗りたくないから車でということになる。

  会場での、ソシアル・ディスタンシングがどのぐらい徹底して行われるかによって、素敵な行動になるか、つまんないものになるかが決まってくる。けれど、今は分からない。まあ何かやっておくのが、自分にとっていいことだろうと僕は思っている。

 このコロナはいつまで続くのかわからないが、今、第二波がきているようだから、特に東京には 、感染者が470人台という数字になって、小池さんは孤軍奮闘している。一方、政府では本当の責任者が決まらず、官房長官は「東京の問題」と限定して突き放している。

 これが東京の問題で終わるわけはないだろう。東京というより、東京を含む神奈川、埼玉、千葉の4つの都府県で対応することが要求されていると思う。が、 政府はそれを地方自治体に丸投げしている。聞くところによると、国立感染症研究所の仕事のやり方(サンクチュアリーと呼ぶ人もいた)を変えることができてなくて、保健所の窓口は旧態然として人力によって処理している影響もあり、「調整中」という自宅待機の感染者は1000人強もいるようだ。これも早く片付けてもらわないと、この第二波の準備は進まないと思う。今がやる時なのだ。

<東京の感染履歴:朝日デジタルより借用>

 まあそんなことで、時間が過ぎていく。仕方ないと思いながら、こんなのは“つまらない”とつぶやいてみる。人間という動物にとって、動いて自由に歩けないというのは懲罰です。早く、楽くに動ける時間が作れるといいなと思いながら、我慢しながら生活しています。

 皆さんはどうですか。お大事に!