人がある場所を好きになるには、どんなことが影響するのだろうか。
ペルージアが好きになったのには、いくつかの要素が絡まって、そうなったんだと思う。
トスカーナを離れて、車がウンブリアに入ると、とたんに自然が目覚めてくる。しかも、みずみずしい自然だ。それは何かとても懐かしい日本の田舎の風景に似ている。豊かな自然と穏やかな顔をした森、林、それに溶け込んだ小さな集落、緑がその丘を囲んでいた。ああ、ここには自然があるのだと感じた。
僕が4~5泊したホテルは、ペルージアの旧市街から下った丘の裾野に立つアメリカ的なホテル・プラザだった。

<プラザ・ホテル>
そして、そこでペルージア好きにしてくれたレセプショニストに出迎えられた。若いイタリア人の美しい女性だった。礼儀正しく、しかし温かく接してくれた。
イタリアのホテルでは、立派なホテルでも観光客ズレしていて、シャキンとしないフロントマンが結構いる。人懐っこいけれど、どこか真面目さを欠いていて、憎めないが、しかしキチンとした所を欠いたフロントには何度も出遭った。

<プラザ・ホテルのレセプション>
でも、このプラザのレセプションは、それらのバランスが良く取れた、よく訓練された人たちだった。だから、このホテルに泊まるのが楽しいものになると確信させてくれたのだ。
ホテルから丘の上のペルージアの旧市街へ行くには、かなりの距離がある。かといって、自分の車で行っても、駐車場があるかどうかわからない。またそんなことに煩わされたくないので、とにかくイタリアの古い町は歩くのが一番だと思ってバスで丘の上の旧市街に毎日、通った。

<ペルージアの「11月4日広場」>
ペルージアは、一時期、中田がセリエAの初めての日本人選手として話題となったから、その知名度は上がったと思う。ペルージアを僕が訪れた頃は、ジャポネーゼ、即、中田だった。だから、子供たちにNAKATAと声をかけられた。
紀元前6~7世紀頃に、その地に住んでいたエトルリア人の文明がこの町の基礎を築いたようだ。今から25~26世紀も前に、この町は存在したのだから驚きだ。エジプト文明の歴史にも負けないくらい昔なのだ。
丘の上だから、坂また坂の町だ。しかも、都市国家として防御も大切だったから、高い石で組み上げた城壁と門がやたら多い。頂上の旧市街地の平らな中心地は長さ800m、巾200mくらいの狭い場所だ。だから気楽に歩ける。
ここで、僕をさらにペルージア好きにする事が起きた。
その一つは、ウンブリアの雄大な平野を望むペルージアの旧市街地の町並みと、その屋根の連なりの美しさだった。エトルリア門を出て直ぐ右へ登っていく細い急な石段を登りきったところに、その景色はあった。遠く、アッシジの丘も見える。ここでは長い間、ボーっとしていた。日本では観られない景色だった。

<エトルリア門>
もう一つは人。
丘の上の生活で一番心配なものは、水。他の山岳都市でも同じだが、高い所で水を確保しなければならないわけで、深い井戸を掘って水を汲み上げなくてはならない。その薄暗い井戸を見学して、まぶしい9月の空を見上げたとき、細いかなり急な石段を見つけた。登りたくなった。けれど、上に何があるか分からずに、疲れた足を震わせて登る勇気が出なかった。

<エトルリア時代からの井戸>
その石段を見上げていると、町の清掃をしているおじいさんが、声をかけてくれた。そして、信じられないことを僕に言った。カラバッジョの絵を見たくないかって言う。エッと思った。あのカラバッジョの絵がこの近くにあるのか、半信半疑だった。
彼は、この階段を上って、右手に細道を行くと小さな教会があるから、そこにいくつかのカラバッジョの絵があるから、見に行くといいと勧めてくれた。ガイドブックには、この絵のことは全く、書いてなかった。

<路地から見た階段>
もうこうなったら、言葉を信じてカラバッジョを見に行くしかない。フウフウいいながら、疲れた足を一歩一歩運んで、やっと頂上。右手にまわっていくと、崖の上に小さな教会があった。恐る恐る扉を押して入ったら、あった、カラバッジョの絵が3点ほどあった。教えてくれたおじいさんの気遣いに感激した。
そんなふうに、バッチ(キッス)チョコレートで知られる町で、何日かの、まるで中世のような世界に身を置いて、ペルージアが好きになった。
旅の後、ペルージア外国人大学で日本語を学ぶイタリア人の女学生が、そのころ僕が住んでいた仙台で、短期留学をやっているのに偶然出くわした。僕は、彼女のホームステイを受け入れたり、学生達の為に小さなパーティを開いたりした。これもペルージアの取り持つ縁だった。

<ペルージア国際大学に近い高みからの、ペルージアの屋根>
なんだか、人間の繋がりって、本当に不思議なものだと思う。今でもペルージアと聞くたびに、あのゆったりとしたウンブリアの自然を思い出す。
あとウンブリアというと、僕の好きな町は丘の上のオルヴィエート。ミラノからローマ行きの列車の車窓から見て憧れていた町で、願いがかなって一度訪れたことがある。

<オルヴィエート、遠景>*1
オルヴィエートとくれば、チビタ・ディ・バンヨレージョも忘れてはならない魅力的な場所だ。チヴィタとは「死にゆく町」という意味があると、そこで出会ったイタリア人の老婆が教えてくれた。確かに過疎化が進み、この崖の上の家並みも人の住まない、単なる観光地になるのかもしれない。

<チヴィタ・ディ・バンニョレージョ>
P.S.
この文章は、8年前に書いた「ペルージアの丘からの眺め」を全面的に再校し、写真を入れたものです。
二度目の方がいらしたら、ゴメンナサイです。
クレジット情報*1
オルヴィエート遠景は、Adrianoさんのオルヴィエートをお借りしました。
ライセンスは、Creative Commonns 3.0