基本的に、イタリア人は行列して待つのが嫌いな人種だと思っている。他の人が並んで待っているのを見たら、日本人だったらなんだろうと思って並んでみようかという人さえいるが、イタリア人は列を作って待つのが大嫌い。他人の選択に影響されることなく、自分の選択を第一にするからだと思う。
そんな中で、今回、異常な光景を見た。時は今年の(2016)6月23日。

<フレッチャ・ロッサ>
その日は、ミラノからヴェネチアに行く日だった。トレニタリアの新幹線、フレッチャ・ロッサ(赤い矢)9715号のファーストクラスで、ウエルカムドリンクを飲みながらガルダ湖に近づいた時だった。左側の席から、通り過ぎる駅を何気なく見ていたら、ある駅でプラットホームにたくさんの人が待っている。長い、長い人の群れが、ホームを埋めていた。ちょっと、他では見られない光景だった。駅名はブレシアだった。

<ブレシア駅の人の行列>
そのまま、なんだったのだうろと思いながらヴェネチアで5日を過ごし、帰りのフレッチャ・ビアンカ(白い矢)号でミラノに帰るとき、同じくブレシア駅に、この前と同じようにホームいっぱいに人が並んでいた。それが6月28日だった。ますます、なんだろうと好奇心が沸いた。その好奇心は、行列を作り待ち続けるイタリア人への僕のそれだった。何とかこの謎を解きたいと思った。
翌日、1970年からの付き合いのミラネーゼの友達に会った。14年ぶりだった。話の中で、この疑問をぶつけてみた。なぜこんなに人が列を作っているのか、イタリア人らしくないだろう…と訊いてみた。以外にも、答えはすぐに帰ってきた。
それはおそらく、イゼオ湖の湖面に浮くフロートの上を歩くイベントだと言う。クリスト&ジャンヌクロードの二人が構想した大イベントだった。The Floating Piers (Project for Lake Iseo, Italyというプロジェクトだった。

<フローティング・ピア プロジェクト>*1
このプロジェクトは、2014年から2年間かけて準備されて、やっと今年の6月18日から7月3日までの15日間だけ、無料でみんなに解放されるという。その為の人の群れだろうということだった。

<小島に繋がるピア>*1
ドイツ製の輝く金色の布が張られた20万個の高密度ポリエチレンのキューブ、それは、水深90mの湖底にアンカーで固定されたものだが、その上を、まさに水上の桟橋というフニャフニャした上を4.5km歩けるという。イゼオ湖の小島にも通じていて、皆は好奇心から、イタリア中から人が集まったという。
そんな機会は、一生に一度しかないから、僕だって、歩いてみたかった。そういえば、イタリアのテレビでも、金色の浮きで出来た道を、バランスを取りながら人がたくさん、歩いている映像を見た。面白そうだ。

<歩く人たち>*2
ブレシアからローカル線に乗って、20㎞先のイゼオ湖に行くために、大っ嫌いな行列を作って、イタリア人が順番待ちをしていたのだ。僕がヴェネチアに行くときも、帰りも、ブレシアの駅でトレノルドのローカル線に乗るために、押し合いへし合いの待ち行列を作っていたのだ。
期間中には、風と雨が強くなって、危険だから中止になったこともあったようだ。だが、好奇心には逆らえない。結果として、この15日間に150万人が、このThe Floating Piers プロジェクトに参加したという。強い好奇心の現れだと納得したわけだ。ご本人のHPがあるから、これを見てていただくと、もっとよくわかる。
クリスト&ジャンヌクロードのホームページ
http://christojeanneclaude.net/projects/the-floating-piers
さて、このプロジェクトのほかにも、イタリア人の好奇心が、列を作って待つことへの嫌悪感を凌駕したプロジェクトがあった。
それはEXPO2015:ミラノだった。この混乱を避けるために、僕のイタリア行きを1年延ばし、今年になったのだが。

<EXPO 2015 Milano>*3
イタリアの総人口が7000万人のところに、昨年5月から10月までの6か月間に、2000万人もの人が、世界中から訪れた。大盛況で、大混雑だったのを、日本で毎日、読んでいるコリエーレ・デラ・セーラで見ていた。

<混雑のEXPO>*3
テーマは、“Feeding the Planet, Energy for Life”。「地球に栄養を与え、生命にエネルギーを」 とでも訳せるテーマだった。サブテーマは、7つに分かれ、サステイナブルな地球を救うための、科学的研究やテクノロジーの紹介と、世界の飢餓対策の安全な食料と提供、飢餓問題への対応だった。

<飢餓とのたたかい>*3
日本は、最後の「多様性な食」にテーマを絞り込んで、もっぱら、日本食のPRにパビリオンを使ったようだ。この日本館の意味付けには疑問があるが、日本食の魅力につられて、たくさんの人が押し掛けたようだ。入館までの待ち時間が、8時間から11時間という日も結構あったようだ。そんな時間があれば、飛行機で日本まで行けると揶揄もされていたが、イタリア人の待ち行列は、半端じゃなかった。

<日本館のオープニング:リオの安倍さんはこのコピー?>*3
最終的には、フランス館、ドイツ館と並んで、日本館は金賞を受けたようだから、成功と言えるだろう。
これも、イタリア人の旺盛な好奇心を見ることが出来たケースだろう。ただし、どちらも期間が限られた、入場無料の催しだった。
今回の「ミラノ帰り」のエッセイは、以上12個で、一応終わることにします。お楽しみいただけたでしょうか。僕自身の人生の記録としての意味が強いものです。
P.S. 使用した写真のクレジット情報
*1:フローティングピア プロジェクト
*2:New York Times
*3:EXPO 2015 official Site