最近、知人がチューリップ柄のネクタイをつけた写真をSNSにアップした。春の短い時間しかつけられない柄だという。パステルカラーの浅い春を思わせる柄だ。これでビジネスに行くという。ネクタイにも季節感があるということだ。
チューリップの季節と聞くと、僕はアムステルダムのチューリップを思い出す。アムステルダムの郊外のキューケンホフ公園はチューリップとヒヤシンスが売りもので、花の期間しか立派な庭園を公開しない。後は一年中休みだ。本当に贅沢なチューリップ公園だ。

①
アムステルダムと聞くと、いろんな思い出がドッと湧きだしてくる。これまで書いたことがないから、ここで書いておこうと思う。
東京駅の原型と云われているアムステルダム中央駅の近くから出るボートに乗って、水面から見るアムステルダム、この時期、いいだろうなと思う。岸に植わる木々の花が、水面にまで垂れてきて、その中を行く。運河にはレストラン船(はしけ)が連なって浮かんでいて、光り輝くレストラン街となっている。
アムステルダム国立美術館で「夜警」を見たのも印象的だった。暗い美術館を歩いていくと、あのレンブラント光線に照らし出されて、大きな絵が暗闇に浮かぶ。僕には、デルフト派の画家というと、フェルメールとレンブラントくらいしか好印象は無い。オランダと言えば、ゴッホがあげられるけれど、彼はフランスの画家と僕は思っている。
アムステルダムには、今まで誰にも話してない思い出がある。
僕のみつけた酒場は観光客相手の店ではなく、でも、大胆な造りだった。バーカウンターに座ると、自分の膝のあたりに大きなまるい穴が開いている。実は、そこから、客は手を入れて、カウンターの内にいるバーマンかバーウーマンに触れられる構造になっていたのだ。残念ながら、勇気がなくて、僕にはできなかったが…。
新しい店に入ると、僕はなぜか少し緊張する。薄暗い酒場はさらに緊張する。飲み物を貰って少し落ち着いて、やっと店の中を見る勇気がわいてくる。
テーブルが10席ぐらいと、後はバーカウンターが主な店だった。2~3席離れてカウンターに並んで一人で飲んでいる女性の横顔をみると、どうも東洋人。
その酒場で出会ったのは、30代後半の日本女性だった。彼女のご主人はオランダ人で、船に乗って航海中。一人で酒場にのみに来ていたのはそういう訳だった。
隣に座ってもいいかと聞いたらどうぞというので、僕は席を変えて彼女の隣に座った。彼女には久しぶりの日本語のようで、問わず語りでよくしゃべった。アムステルダムの日本人妻の話は面白かった。しょっちゅう長い航海で家を開けているご主人との希薄な空気が、ちょっとした寂しさを彼女にもたらしていたに違いない。僕は聞き役にまわっていた。
何を飲んでいたのか分からない。オランダというとビールが常識だけれど、おそらく僕はオランダのジェネーバラというジンを飲んでいたと思う。もともと、僕はジンのロックが好きだったから、このジェネーバラも気に入って楽しく飲んでいたのだと思う。つまみは、おそらくへリングの酢漬け。
気持ちよく二人で酔って、そのまま別れたくない気持ちになっていた。もう少し、一緒にいたいという感じだった。僕自身もヨーロッパで、2か月のグループの仕事を終えて日本に帰る途中の休暇で一人で訪れたアムステルダム。どこか、開放感を感じていたに違いない。そして、人恋しくもあったのだろう。
しかし、その日はもう遅くなっていた。その日はオランダの海、ボーレンダムの潮風に当って疲れていた。ホテルに帰って、眠りたいと思った。
もう一度、次の日にここで会えるかと聞いたら、OKが出た。気に入っていたのだろう、お互いに。
アムステルダムには有名な飾り窓の町もあるし、その頃でも大麻は自由だった。何だか陽気な国だった。セックスに対しても、解放的なのだろう。行政が管理する、健康だという保障つきの公娼は、オランダの他にドイツ、スイスにもある。最近のニュースによると、スイスにはドライブ・スルーでのセックス・ハウスもあるくらいだ。ちょっと脱線。

②
そんな解放感もどこかにあって、二人はお互いに次の夜、会う約束をしたのだと思う。
次の日、チューリップで名高い、期間限定のキューケンホフ公園を見に行った。海面すれすれの国、オランダの排水の為の風車の村も見たりして、アムステルダムに戻ってきた。そうそう、オランダにも、日本の農家の屋根のように、かやぶきの家があるのを見つけたのは、このバスの旅だったと思う。

③
約束の時間に酒場へ入った僕を、彼女は手を上げて、ここよと、テーブル席に導いた。
僕の泊まっているホテルで一緒に飯を食おうということになって、会社が予約した立派なホテルに戻った。ラウンジを抜けて、ホテルのレストランで食事をした。しかし、二人とも、食事が終わった後のことが気になって、なかなか落ちつかない食事だったのを覚えている。
僕の部屋に入って、掛けなよとソッファを指さした。当然の成り行きでキスをした。柔らかい体を抱きしめて、唇を重ねていた。優しくベッドに倒してキスの続きをしていた。彼女も積極的だった。もう僕の頭には次の展開が広がっていて、熱くなっていた。
しかし、突然、彼女は身を起こして、帰ると宣言した。なぜと聞いたけど、答えはなかった。きっと、自分の中にいる別の自分が、自身の姿に気づいたのかもしれない。
彼女がドアを閉めて出ていくのを、僕は止めることはできなかった。一人で、呆然としながら、残念だったなぁと思った。
次の日、チャリやトラムの行き交う街を歩いた。美しい町だった。ダム広場の近くに見たのは傾いた家たち。地盤が軟らかいからなのか、建物の重みで、前に後ろに、勝手に傾いている街並みを発見。歴史があるのだなあと感じた。昨夜のことは、消化不良で、喉に引っかかったままだった。

④
スキポール空港で、恥ずかしい日本人客を見た。免税店の通りの真ん中に、円形のキャッシャー・カウンターがあって、そこでは一人の女の人が対応していた。こんな時、前の人が終ったら、自分の支払いを頼むのが常識だ。
しかし、その円形のカウンターを日本人の女性のグループは四方から取り囲み、支払を一人のスタッフに口々に要求するのだ。キャッシャーは、軽蔑の表情を見せながらも、一人ずつ、一人ずつと言いながら、静かに対応していた。見ている僕は、ちょっと恥ずかしかった。
空港で、形いいボルスのボトルに入ったジェネーバラを自分の土産として買った。離陸したKLMの窓から、チューリップの絨毯が見渡せたが、高度があがるにつれてすぐに雲の下に見えなくなった。
あれから40年。あのアムステルダムの夜に喉にひっかかった小骨のような思いは、消えないでいる。
<借用した写真のクレジット:下記のとおり、全てflickrからのものです>
①は、Swimmerguy269さんの“アムステルダム”

この 作品 は クリエイティブ・コモンズ 表示 3.0 非移植 ライセンスの下に提供されています。
③は、Paul Asma&Jill Senolele さんの“キュッケンホーフ”
④は、Mauroさんの“アムステルダム“

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