長い人生だから、経験した怪我を集めてみると結構ある、ある。

時系列に並べてみると、小っちゃい時より、大きくなるほど増えているような気がする。結果として、性格も透けて見えてきているような気がする。恥ずかしいけど、書いてみる。
最初の怪我については、別のシリーズ(初めての…シリーズ)で書いているから、簡単に紹介する。4歳ぐらいの頃、板垣と蔵の間に滑り落ちた。板垣に打ってあった釘を背中に受けて、体重でずり落ちた。だから、今でも背中には傷跡がある。忘れない。一緒に遊んでいた友達の家が医者だった。その彼が、今も山の中で医者をしている。秀ちゃん、もう会うことは無いだろう。
幼稚園になると、墓地で戦いごっこをやった。パチンコ(ゴム銃)で小石を打ち合って遊んでいた時、身を隠した墓石にいやっというほど額を打ち付けて、眉毛のあたりを切った。血が噴き出して、お医者さんに行って4、5針縫ってもらった。今でも、右の眉に傷跡が残る。不注意な怪我だろう。
中学の実習で、みんなで花壇を耕した。物置小屋の鍬(くわ)を掛けるところに、ちゃんとは掛けてなかったのだろう、鍬が落ちてきた。墓石に打ちつけた時と同じように、こんどは左側の眉毛のあたりを切った。学校の先生が慌てて、外科病院に運んで、また縫ってもらった。だから僕の眉には左右に同じような傷跡が残る。幸い、眉毛の中に隠れているから、皆をギョッとはさせてはいない。
高校では、これは僕のせいでない骨折。サッカーをやっていた。右足でボールを切った瞬間、友達が同じボールを蹴ろうとして、僕の左足をけり上げた。僕の両足が宙に浮いて、左の腕で着地。その時、左腕尺骨を骨折。
大学時代のバイト先で、鉄の4段ロッカーを開けて書類を取り出していたら、ロッカーの最上段が滑り出てきた。反射的に止めようと右手を出したら、滑り出た鉄の引き出しの角で、右手の小指の外側を切った。バイト先の課長が慌てて、近くの虎の門病院に連れて行ってくれて、そこで縫合してもらった。今も、右手小指には、縫合のギザギザがある。でもそれで、バイト先の麗の君の唇に触れることが出来た。
大学時代には、11月3日にクラブのハイキングで高尾山に登った。まだ、冬山とは思っていなかったのだけど、初雪がうっすら。もみじ台から、一丁平、小仏は尾根道で順調。しかし千木良、つまり相模湖への下りで、うかつにも柴の上の雪に乗ってスリップ。 グループのなかで、一番山歩きの経験のある僕がザックを飛ばした。そして、またまた、左腕の尺骨を折った。
友達の関係者が東京女子医大にいるというので、腕木をして中央線で新宿に戻った。たちまちギプス。でも若かったのだろう、12月の大学祭のダンスパーティの前日にはギプスから解放され、ジルバを踊っていた。後遺症は無い。
大学を卒業して、I社に就職。スキーで妙高・赤倉スキー場を斜滑降していたら、その日に初めてスキーを履いたばかりの人に、直滑降で飛びこまれた。僕の左足のすねは、彼のスキーのエッジでスパッと切れた。白いゲレンデに鮮血。スノーボートで麓まで運んで貰った。
臨時の診療所が開設されていて、そこで脛を縫合。偶然、それは僕の最初の大学、大阪市立大の医学部が開設したものだった。時間が経っても脛の肉は薄いので、縫合はうまくいかず、今も、脛に傷を持つ身。着いたばかりの日だったのに、その夜の列車で新宿に帰ってきた。くっ~~~だった。
人生最大のけがは、車の自損事故。しかも酒酔い運転。4年がかりの大きなプロジェクトがカットオーバー(稼働開始)。海の向こうからも多数、お偉いさんたちが来て、江の島のレストランを借り切ってパーティー。プロジェクトリーダーだった僕が表彰された夜、車を運転して帰りに、用水路に車を落として右腕を骨折。上腕X2,肘関節、尺骨x2の合計5か所の複雑骨折で、3か月の入院。即、罰で課長は即首に。部長付に降格。車の中で、運転するまで3時間ほど寝たのになぁ…と今でも恨み言。
落こった用水路から僕を救ってくれたチーズ工場の人たち、仕事で迷惑を掛けた人たち、お見舞いなど世話になった人たち、家族や友人などの心配掛けた人たち、本当に感謝。幸いだったのは、イタリアで仕込まれたて、シートベルトをしていたこと。そうでなかったら、僕の人生は、もしかするとあそこで終わっていたかもしれない。
3年ほどのペナルティー・ボックス入りの後、課長に復職して、12月のボーナスの日。みんなに早くボーナスの明細書を渡そうと、大型コンピュータがそそり立つ部屋に入った。大型のコンピュータ群を動かすには、配線と冷房のために、床が1メーター以上上げてある。大型のマシンの角を曲がったら、目の前のフロアの蓋が一枚だけ開いていた。落とし穴は、保守の連中が仕掛けていた。(嘘)
明細書の名前の確認でもしていたのだろう、左足のすねをこすり付けながら、穴に落下。すねの皮と肉が削れて、骨がすぐそこにあった。出血。でも、ボーナスの明細書は呻きながらもみんなに配り終えた。診療室に行ったら、看護婦さんに怒鳴られた。縫合も出来ないから、包帯で手当てをしてもらった。今も、左すねの肉が削げてキズになっている。二回目の脛に傷。
最後は、I社の初代コンサルの頃。前日の雨で柔らかくなっていた庭には、モグラの掘った穴があったようだ。それに気づかず、脚立に登って庭の金木犀を剪定中、脚立の足が、モグラの掘ったトンネルにズルリとめり込み、バランスを崩して転落。しかも悪いことに、落ちたのは飛び石の上。左のかかとを骨折した。
娘が見ていて、救急車で、横浜国際親善病院に入院。1か月で退院したが、最初のクライアントの仕事を二人で担当していた相棒、Nさんに迷惑をかけてしまった。ピンチヒッターのTさんもいい迷惑。今でも頭が上がらない。後遺症として、左足のアーチが狂っている。左足で片足立ちして見ると、それがよく分かる。
まとめてみると、自分の不注意が8ケ、他責が2ケ。圧倒的に自分の不注意。
今はもう、血がサラサラになる薬、ワルファリンを飲んでいるから、怪我はできない。一応、慎重に生活している。これからは、何もないことを願っている日々だ。
<ギプスの絵は、WikipediaからDx220bさんの“Long arm cast”をお借りしました>
<arel="license" href="http://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.1/jp/">

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