前日に無条件降伏を受け入れたばかりの
久留米市街地の様子です。(現六ツ門付近)
まったくもっての無差別大量殺人による無駄死にです。
以下、紫幻翔夢さんのブログより引用させていただきました。
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今日、10時30分、サイレンがなりました。
もちろん、火事のサイレンではありません。
今日は久留米空襲の日。
ここでは、よくある質問について、記載しておきたいと思います。
1.空襲時間
10時20分頃から爆弾の投下がはじまり、20分間程度で終了したようです。
なお、爆弾よりも焼夷弾の方が多く使用されています。
このことは、後の「5.攻撃目標」と密接な関係があります。
2.犠牲数
罹災戸数4,506戸 罹災者数20,023人
死者212人 重軽傷者160人 収容後死亡者16人
3.なぜ、久留米市だったのか?
当初の目標は、広島県呉市の軍事工場だったことがわかっています。
当時、日本各地が空爆目標に指定されて、各目標に優先順位が付されていました。
しかし、空襲当日、呉市は天候が悪く、急遽、優先順位が低い久留米市に目標が
変更されました。
4.攻撃進路
鹿児島方面から飛来し、有明海を抜け、筑後川河口を目標にし、筑後川の河口から
川を遡上してきたようです。
5.攻撃目標
隣接する太刀洗空襲では飛行場、当初の目標であった呉市では軍事工場であった
のですが、久留米空襲は最初から軍事施設は標的からはずされていました。
陸軍師団も予科練も攻撃を受けていません。明らかな都市攻撃が目的でした。
だから、大型の爆弾を必要とせず、焼夷弾を多用することになります。
久留米空襲は、明らかに、非戦闘員に対する無差別爆撃といえます。
6.B-29は飛来したのか?
当時の証言を聞くと、よく「B-29が来た。」と聞きますが、事実は若干異なるようです。
B-29が全く飛来しなかったといえば、実際、編隊に組み込まれていました。
しかし、焼夷弾を中心とした都市攻撃には、大型戦略爆撃機は必要なく、
編隊の中心はB-24が大半だったというのが事実のようです。
この航空機編成をみても、戦略的爆撃が目的ではなく、単なる都市攻撃が
目的だったことがわかります。
ここまで説明すれば、自ずと、ある大切な答えが導き出されると思います。
久留米空襲の最大の問題は、不要な攻撃であった、ということです。
ちなみに、久留米空襲の前日、日本政府は、ポツダム宣言の了承を連合国側に
通告しています。すでに、日本に戦闘の意思はなかったのです。
しかも、無差別な都市攻撃。明らかに、悪意を感じられます。
今、市街地には、20階建ての市役所がシンボルのように建っています。
しかし、この建物も、空襲という犠牲の上に成り立っています。
願わくば、この痛みを忘れないでほしい、と思っています。
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いつの時代も同じことの繰り返しですか・・・。