3/20 畳の学校

 知り合いに誘われ、「畳の学校」に参加してきました。

 古民家の畳の座敷に座って、日々の気づきや思いを話す、というもの。

 誘われるままに行ってみましたが、なかなか興味深かったです。

 この日の参加者は、主催者含めて5人。最初は簡単な自己紹介から。

 
 少しずつ話を始めていくと、いろんな人がいろんな考えを持っていることに、

 当たり前だけど、気づかされます。

 
 私の自己紹介から、話は高齢者や認知症の話になりました。

 ある人は、「認知症になっても、その人が生きてきた人生があるんだから、今そこに存在することが大事だ」といいました。

 また、ある人は、「認知症になったら、自分もわからないし、まわりの人も大変なんだから、昔の姥捨て山みたいに、山奥の施設かどこかに集めたらいい」なんていってました。

 また、ある人は、「わからなくなっても、その人の人生が終わるまで、そこに存在する、その事が大切なんだ」と言いました。

 結論は、もちろん出ません。モヤモヤとした気持ちだけが残りました。


 どんな意見も、考え方は人それぞれだから、そこに正しい答えや正解を求めるなんてことは意味のないことかもしれません。

 私は、日々の仕事として、そんな方々に寄り添う仕事をしています。今の制度にイライラしながら、自分が年をとったら、きっと崩壊しているだろう今の福祉システムを呆れながら、それでも目の前で暮らす方々と向き合って仕事をしています。

 答えが出ない仕事をしていていいのかしら?と思いながら。

 それでも、考えることが大事なんだと信じて、明日も働きます。

 さじは、いやになったらいつでも投げられるんだと思って。


 
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