ちょつといっぷく 越前若狭 時季の風物詩

越前の風物誌などをお送りします・・・

グリフィス館

2015-11-12 22:30:15 | 時事



福井の足羽川の桜橋のそばに明治時代のおやといのグリフィス先生の自宅が再建されました、なかなか良い建物でした、



福井こども歴史文化館で輝石展

2015-11-11 00:04:30 | 時事

福井こども歴史文化館は小学生を対象にした施設です、

元福井県立図書館を改装したもので、寺小屋ルーム、

先人の広場、ドキドキルーム、達人の広場、

南部洋一郎科学ワールド、白川静漢字わーるど、など

とても面白い施設で、その入館チケットは紙の吹きゴマ

になるチケットです、輝石展は宝石屋さんの様相で

とてもきれいでしたね、



京福電鉄の最新低床車両が脱線

2015-10-18 22:42:56 | 時事

ちょつとびつくりでしたが京福電鉄の最新低床車両が脱線です、

この車両は脱線しないと聞いていたのですが間違いでしたね

とてもいい形の都市型の電車ですけれども、しばらく運転は見合わせるようです


後ろの車両がちょつと脱線したようで線路が5mmほど開いたようで

早く復旧してほしいです、



森の巨人たち百選 桃木峠(ももきとうげ)の大杉

2015-08-30 10:20:15 | 時事

福井県大野市 経ヶ岳国有林 桃木峠(ももきとうげ)の大杉

大野市指定の天然記念物

全国の国有林から100本の巨樹・巨木 森の巨人たち百選

泰澄大師(たいちょうだいし。白山を開山した人と言われています。)

が峠で昼食をとった時、地面に挿した箸が根付いたと言われています。

この峠を越す人や馬の目印であったりしたことから、

根元に小さな祠(ほこら)があり、昔を語りかけるようなお顔の

お地蔵様が祀(まつ)られています。

 


越前若狭のアラカルト3

2015-08-17 11:25:23 | 時事

8月に入りますとさすがに新幹線効果がありまして金沢はいっぱいなので

福井に来てもらえる人が増えています、ともかく石川県のレンタカーの伸び率が

急速拡大でうれしい悲鳴をあげていました、福井もよりたくさんの人が来てもらえると

うれしいのですが、福井のおもてなしも一度見てください、

かなりマイナーな観光地もあります、こしの公民館には天体望遠鏡まであります、

鯖江市はドクラウドファンディング事業などIT関係は注目されています、街中アプリも有りです

こしの漁協は春から夏にかけて定置網を引かせてくれます、

参加費は500円で大人も子供も、たしかお昼ごろの網を引かせてもらっているはずです

若狭ではとらふぐも食べられますね地域で養殖して県外に出荷しています、

あぐりパークほんごう〒 910-3266  福井市足谷町2-20 4月~10月の第2日曜日、第4日曜日のみ

料 金: 1人:炭焼き・2,500円 椎茸植菌・2,000円 アレンジ・1,000円 ちまき・1,000円

「歴史の道」愛宕坂 一乗谷朝倉氏遺跡    足羽山 

福井市おさごえ民家園

 

五太子の滝 この付近に応神天皇の末裔(まつえい)が住んだという伝説があります

そば道場 各地でしています参加料も2-3人で2000円前後だと思います

  越前そば道場    ごっつおさん亭    そば処 一筆啓上 

◆ ふるさとふれあい道場  ◆ リトリートたくら    ◆ 万葉そば道場

今庄そば道場    

◆ 手打ちそば実習 新田塚そば教室 ふうりん亭(福井市新田塚1丁目70-32)

◆ 朋楽の里       ◆ 武生そば道場     ◆ 池田ふるさと道場

◆ 生きがい創作館 マイドーム清水  ◆ 越前そばの里 越前そば道場

◆ 金華山サザンクロス



 


越前若狭のできごとアラカルト1

2015-08-17 09:55:03 | 時事

ここしばらくあまりに暑いのでブログはお休みしていましたが

しばらくの間で福井もいろいろありまして時系列で書きますと下記のようになります、

3/24 敦賀原発の地下断層が将来動きそーだと言われました、

3/25 高浜原発再稼働の意見を町民に求めました

原発事故の避難地図の配布をはじめました、敦賀市や福井県はかなり心配してるようですが

多額の補助金が入るのでやめるにやめらず、悩ましい状態です、

ちなみに福井大地震は約70年前におきて当時の繁華街のデパートが崩れかけている写真などが

良く新聞雑誌に掲載されます、


この図は福井県内の一時避難所などへの避難ルートです


下記は奈良県への広域避難ルートで原発の事故が起きると風向きによって

京都や滋賀県琵琶湖へ放射能が流れこむような感じですね

3月末福井の甘えびを市場をとうさずに東京で販売します

価格は3割くらい安いそうです


白山神社平泉寺の光と影、そして そのかおりと歴史 その三

2015-07-15 00:00:42 | 時事

三ノ宮 安産の神様

栲幡千千比賣命 (タクハタチヂナヒメノミコト)

この神様は万幡豊秋津師比売命(ヨロヅハタトヨアキツシヒメノミコト)ともいわれ

機織物の神様とも言われ伊勢神宮 内宮にも祀らわれている、

名前は日本書紀にも出ていてかなり重要な神様で

天照大神の養子-天忍穂耳神の嫁さんになって繁栄にかかわる美人の神様

この神様も明治以後の廃仏稀釈の時に取り入れられたようです

下は現在も発掘調査を行っている場所で石畳の道は当時のままの再現のようです


いろいろな神様があり社には相撲取りの願掛けの絵馬がかかっていた、

この石積壁は平泉寺が隆盛の時のまま現在に残っている景観です

上の史跡は楠木正成のお墓です


白山神社平泉寺の光と影、そして そのかおりと歴史 その二

2015-07-01 18:30:25 | 時事

1192 (建久3) 源頼朝、鎌倉幕府を開く。
1195 (建久6) 源頼朝、平泉寺領藤島荘の年貢1000石を没収する


1292 (正応5) 時宗二世他阿、鎌倉時代後期の時宗の僧 府中(今の福井県越前市)

で平泉寺僧に乱暴される。平泉寺と府中は距離にして2-30kはなれているが勢力は

越前の広範囲で影響をあたえていたようです、典型的な宗派間の争いです


1333 (元弘3) 平泉寺衆徒、大野郡牛原荘の地頭淡河時治と戦い時治敗れて自害する

この時期平泉寺の武力は絶頂時期で周辺の武士の集団を壊滅させるほどの力があったようです

1338 (建武3) 足利尊氏、室町幕府を開く

1440 (永享12) 平泉寺、火災のために焼失する
室町幕府、北陸道七か国の棟別銭を平泉寺造営費用にあてる
(棟別銭とは国郡の家屋に賦課された租税の事)

1467 (応仁1) 応仁・文明の乱(~1477)

1471 (文明3) 朝倉氏、一乗谷を本拠とする。以後、平泉寺は朝倉氏と結ぶ


1573 (天正1) 朝倉義景は、姉川の合戦で近江の浅井氏を救援するが、織田信長に破れ一乗谷に退く

その後、大野で一族の朝倉景鏡の反逆にあい、自刃する。一乗谷焼亡、朝倉氏滅亡する。

平泉寺、本覚寺等の越前一向一揆勢に攻められる。

1574 (天正2) 平泉寺の衆徒、一揆勢の立てこもる村岡山を攻撃する。

宝光院等の坊主、衆徒が討死にし、平泉寺も攻撃され焼亡する。

天正2年(1574)、一向一揆との戦いで全山が焼失し、往時の姿を伝えるものはほとんど失われてしまいました。

一向宗は朝倉旧臣団や平泉寺の衆徒をほとんど壊滅させてしまいます、前述の朝倉景鏡がその原因を作り

朝倉旧臣団は信じられないような同士討ちをしたり自滅をしていきます

1583 (天正11) 顕海が美濃より帰還し、平泉寺を再興する。
羽柴(豊臣)秀吉、平泉寺に禁制札を与える。

この時期には平泉寺は旧来の勢力はほとんど無くしているようです


1729 (享保14) 平泉寺と牛首・風嵐村との間に、白山領の境界につい
て争論が生じる。
1732 (享保17) 白山争論。白山天嶺は平泉寺境内と、幕府が裁許す


1833 (天保4) 天保の大飢饉おこる。
1839 (天保10) このころ、木下家住宅完成。
1859 (安政6) 平泉寺白山社の拝殿が再興される。

1868 (明治1) 明治維新
1870 (明治3) 平泉寺寄進地領がすべて没収となる。平泉寺の名称を廃し、白山神社となる。

明治政府の廃仏毀釈の官令によりここはびっくりするほど古代の神々が祀られます、

寺院はほぼ全廃でヤシロが作られています、

1873 (明治6) 白山天嶺の三社が白山比神社の本社となる。------古代の神々関係はその三で紹介します



白山神社平泉寺の光と影、そして そのかおりと歴史 その一

2015-06-29 00:06:14 | 時事

梅雨に入る前に福井県勝山市にある平泉寺にしばらくぶりに行ってきました

越前禅定道の入口まで入りました、越前禅定道のルートは

 

白山神社の三宮裏手を起点に、三頭山、稚児堂、法恩寺山頂、小原峠、三ツ谷、

市ノ瀬などを経て、室堂から白山頂上です

平泉寺は長い歴史がありますが以下が12世紀前半の事柄でした

710年 (和銅3)平城京が都に定められその後、717 (養老年間)泰澄大師が白山を開く、

832 (天長9) 白山信仰の拠点として、越前の平泉寺、加賀の白山本宮、美濃の長滝寺の三箇所ができます

1084 (応徳1) 平泉寺、延暦寺末寺となる、その当時延暦寺の僧兵は天皇や上皇へも強訴していた、

1147 (久安3) 延暦寺と園城寺が対立し、平泉寺は延暦寺側につく

この時代から平泉寺は僧兵を増やし始めたようです、後で書きますが北谷二千四百坊、

南谷三千六百坊の数が明記されたのは十五世紀位からです

1183 (寿永2) 源義仲(木曽義仲)が、藤島七郷(福井県福井市周辺)を平泉寺に寄進する

平泉寺長吏の斎明、源義仲軍に参加し、燧城で戦う


****(ちょうり)

中国の漢時代(BC200年頃)にあった官吏で高い官位の者の呼称
日本では神主や僧侶に代わり、政権と折衝を行う者を言う
加賀国の白山権現の、近江国の三井寺の長吏が有名
特定の寺僧の長で本来は座主などと同格の地位を持っていて戦にも出陣した
そのため別当(官吏司の長官)より上位になることもある ******

1183源頼朝、藤島荘(福井県福井市周辺)を平泉寺に寄進する

1192 (建久3) 源頼朝、鎌倉幕府を開く。

平泉寺はその時代の力の強い側に付いて行ったようですが、あとの応仁の乱まで激動の時をすごしてますね

1195 (建久6) 源頼朝、平泉寺領藤島荘の年貢1000石を没収する---------この後はその二で紹介します


永平寺の夕方 1

2015-06-16 18:57:04 | 時事

先日夕方に永平寺へ行ってきました、夕方に行くことはめったに無いのですが

ややいつもとは違いました、これは入口で

吉祥山永平寺   日本曹洞第一道場 と書かれています

その下は開祖 道元禅師の読み詩で

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり

読むとふつうですがあまり良くわからないですね、

道元禅師はあまり詩歌はうまくなかったのかもしれませんね

とてもしずかな道でした


ここから毎年新入りの僧が入っていきます

新入り修行僧が入る上山の儀式はここから始まります

新入り修行僧はすぐに入る事が出来ず門前で一昼夜

待たせられる事があります、